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第五章 マドゥヤ帝国

7 龍のお世話係

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 「残ったらいいのに。マドゥヤ料理も口に合うし、大出世になる」

 控えの部屋へ戻った途端、メッサラに話しかけられた。
 グリリは、俺が王太子の世話を焼いている間も、ずっとマドゥヤ残留を口説かれていたらしい。いささか、げんなりした顔つきだった。

 「私の希望云々ではなく、クラール王のご意向によるのでしょう?」

 「王は、賛成なさるに決まっているさ」

 「何故、そう言い切れるのですか?」

 俺の言葉に間髪入れず応えた近衛隊長は、グリリの問いに、はっと息を呑んだ。

 「いや。つまりその、可愛い娘を後宮に入れるのは、親として忍びないだろう?」

 「確かに、そうですね」

 「そうだろうそうだろう。オピテル隊長も、娘は絶対嫁に出さない、と言っている」

 俺が思わず賛成したので、メッサラは安心したように喋り出した。わざわざ他人を例に引くところを見ると、彼自身に娘はいないようだ。

 「沐浴の用意が整いました」

 召使いが呼びに来たので、話はうやむやに終わった。

 寒い時期のせいか、入浴は二日に一回である。
 マドゥヤ宮殿の風呂は、日本の銭湯に近い。広い空間に、大きな浴槽が埋め込まれていて、全裸で入る。

 ここにも専属の召使いがいる。
 一緒に入る王太子は、頭から全部洗ってもらっている。召使は、頼まれれば俺達も洗うつもりらしいが、誰も頼んだことがない。皆、自分で洗うことに慣れている。

 浴槽に浸かって温まった後は、寝つきが良い。王太子もすぐに眠りに落ちたのを見すまし、控えの部屋へ戻ると、メッサラ達も眠っていた。

 今日俺にかけた魔法や、今後の身の振り方についてグリリと話したかったが、彼もまた眠っていた。
 人の姿だといびきはかかないが、体力の回復が遅い、と聞いたことがある。

 わざわざ起こすまでもないので、俺も寝ることにした。


 翌々日、ルキウス王太子は、コーシャ王妃からお茶に呼ばれた。
 一日会えなかっただけであるが、いつも押しかけ気味に訪ねているところ、母君から声をかけられて嬉しさひとしおであるのが、側から見てよくわかった。呼ばれていない俺まで嬉しい。

 四人打ち揃って行って見ると、見慣れぬ高貴な女性がいた。コーシャ王妃よりも遥かに年上だが、相応の美しさを保っている。

 「こ、皇太后様」

 王太子がすかさず礼を取る。俺達も慌ててならう。
 ラヴァンヤ皇太后、すなわちイーシャ故皇帝の妻であり、王妃の実母であった。葬儀で見かけただけで、まともに顔を合わせるのは、初めてである。
 間近で見ると、王妃と似た雰囲気を感じ取れた。

 通常、訪問先に別の招待客がいる時には、事前に通告するのが礼儀である。それがなかったのだから、俺達は皇太后用の土産を用意していなかった。

 普通の手土産は、不測の事態に備えて多めに持参している。この際、それで勘弁してもらうしかない。横目で様子を窺ったメッサラの顔色は、蒼かった。言わずもがなである。

 「あらあら、そんなに堅苦しい挨拶をなさらなくても良いのですよ。これは非公式の訪問ですし、もうわたくしは隠棲の身ですからね。可愛い孫とお話ししたくて、急に押しかけましたのよ」

 にこやかに受け応えする皇太后の後ろには、お付きの者が数人控えている。身なりからして護衛もいるが、全員女性である。

 「母上がいらっしゃることを、内緒にしておりましたの。驚くのも、無理はありません」

 王妃が俺達のために口添えしてくれた。有難い。高貴なお方がよろしくても、背後が許さない、ということはままある。
 皇太后が不要な物品は、召使に回るから。

 一通り儀礼的なやりとりの後、お茶会が始まった。マドゥヤで茶と言えば、茶色く醗酵はっこうした茶葉を湯に浸す、要は烏龍茶である。

 本日の茶菓は、点心が数種類。前回より控え目のような気がする。しかし十分な量ではある。
 王妃の卓子に着くのは、皇太后と王太子だけである。護衛組は互いに邪魔にならないよう、距離を取りつつ部屋の壁際で待機する。

 マドゥヤ側の召使いは、部屋の外にいた。
 侍女のチャルビと近侍の俺は、卓子の近くにいて、茶葉が古くなったのを捨て、茶菓がなくなったら補充する、あるいは王妃が点心を取り分けた皿を受け取り王太子に手渡す、といった黒子的役割を担った。

 皇太后にも侍女が付いて、同様の仕事を受け持っていた。

 茶会は和やかに進んだ。皇太后と王太子の会話は、祖母と孫そのもので、聞くだけなら、日本とさして変わらなかった。最近どんな勉強をしているか、何に興味があるか、レクルキスでの生活は楽しいか、といった日常生活の話である。

 「ではルキウス殿、今度は、わたくしが貴方を招待しましょう」

 小一時間ほど話しただろうか、ラヴァンヤ皇太后が言った。王太子は無論、快諾する。すると、皇太后は席を立った。

 「今からですか」

 王太子も俺と同じ気持ちのようだ。皇太后は満面の笑みを浮かべて、コーシャ王妃に顔を向ける。

 「これから、何かご予定が?」

 「いいえ。ございません」

 と答えてから息子を見る。実質軟禁状態に等しい。予定などない。あったとしても、皇太后の誘いが優先である。
 母子の間でも、目顔で同様のやり取りがなされた。

 「コーシャ、美味しいお茶をご馳走様でした。マドゥヤの伝統を覚えていてくれて、嬉しく思いました。またの機会を、待ち望んでおります。さあ、殿下。行きましょう」

 もう、行くより他にない。俺達護衛組も、移動し始めた。

 「あの、皇太后様」

 声を上げたのは、皇太后の護衛だった。

 「護衛の方々全員を馬車に乗せるのは、不可能です」

 馬車で来ているとは、知らなかった。それほど宮殿内が広いということか。俺達は顔を見合わせた。

 「何人までなら、乗れますか?」

 メッサラが護衛に問う。二人まで、と回答を得て、オピテルを見て頷く。

 「では、私とリヌスが同行します。トリスとグリリは、殿下が戻られるまで、オピテルの指揮下に入れ」

 「承知しました」

 こうして、俺とグリリは、王妃の下に残された。
 思いがけず嬉しい時間ができた。まずは、お茶会の片付けから始める。王妃は侍女と着替えに去っていた。

 オピテルとイレナと一緒に仕事をする。

 「残った菓子は、食べていいんだぞ。食べられる時に食べないと、肝心な時に役に立てないからな」

 オピテルは自ら手本を示しながら、俺達に点心を勧めた。イレナが食べるのを見て、俺も倣う。春巻、海老焼売、餡入り胡麻団子、と甘辛揃って美味しい。

 「チャルビさんの分は、どうしますか?」

 グリリが尋ねる。

 「私が持っています。着替えが終わって合流したら、渡します」

 イレナが小袋を持ち上げた。まとめて突っ込める点心でよかった。

 片付けは、すぐに終わった。茶器や菓子器などをワゴンに載せてマドゥヤ側の召使いに返すだけで、俺達が皿洗いをする訳ではない。
 だから、食べる時間も取れる。侍女のチャルビは、王妃に付き切りである。

 俺は今回近侍のお役目を免れたが、王太子に付いて行ったら、飲まず食わずになるところだった。側仕えは気力体力も必要である。

 王妃が戻ってきた。その姿を見るなり、オピテルが口を開いた。

 「まさか、また行かれるのですか」

 「察しの良いこと。折角だから、トリスとグリリも紹介したいのです。本当は、ルキウスを連れて行きたかったのですが」

 「どちらへ、いらっしゃるのですか?」

 俺は小声でイレナに尋ねた。彼女は短い髪を左右に揺らすと、部屋を出ていった。
 仕方なく王妃の方を見る。二本の脚が見えた。ドレスでもなければ、マドゥヤの女性服でもない。乗馬服に似ている。思わず顔を見る前に、グリリに足を蹴られた。結構痛い。

 イレナが戻ってきた。オピテルに報告している。

 「馬の用意は出来ているそうです。すぐ出発できます」

 こちらは、馬車ではなく、馬で行くらしい。


 馬に乗って連れて来られた場所は、舎だった。
 八角形のお堂のような建物が、ずらりと並ぶ。倉庫にしては、建物の間が開きすぎている。
 つまり、犬小屋ならぬ龍屋である。

 一体につき、一棟が充てられているという。十棟以上はある。周囲を塀で囲んであるのは、人の侵入を防ぐためだそうだ。龍は空を飛べる。柵で囲っても意味がない。

 塀に設けられた出入り口に近付くと、詰所から兵士が飛び出してきた。
 コーシャ妃の姿に気付き、武器を下ろして伝令を走らせる。まだ年若い。交代もあるだろうに、彼が顔を覚えられるくらい、王妃が頻繁に通っている、ということだろう。
 王妃の方は、馬を難なく操り、兵士の近くで止めた。

 「拝跪はいきせずともよろしい。ウー・リャンヤはいますか」

 「はっ。只今、参ります。妃殿下にあらせられましては、そのままロン・レンヤ舎へ向かわれますか」

 「そうします。リャンヤにも伝えてください」

 「承ります」

 王妃と話していた兵士が合図すると、門がギリギリと開き始めた。塀も厳重で、扉も頑丈そうである。
 王妃と後ろに乗る侍女を除く俺達は、下馬していた。扉が開き切るまでに、グリリの助けを借りて、どうにか馬へよじ登る。

 中へ入る。お堂の一つから、龍の頭が出てきた。髭に埋もれた鱗は、黄色。

 「レンヤ!」

 王妃が馬の腹を蹴って駆け出す。いや、駆け出したのは馬だが、今は人馬一体化している。後ろにしがみついたチャルビが悲鳴を上げるのも構わず、更にスピードを上げた。

 「ひっ、姫様あああっ」

 普段、妃殿下とか王妃様とか呼んでいる侍女である。焦り具合がよくわかる。彼女は王妃が幼少の砌から仕えており、年は五十前後、早駆けの馬に揺られるのは、きつかろう。

 「私達も行くぞ。遅れを取るな」

 オピテルの馬も駆け出す。イレナはハーフエルフで、馬の扱いになれていた。
 隊長の面子を保ちたいオピテルと、馬へ乗る際、どちらが前になるかで揉めていた。今は、大人しく隊長の腰にしがみついている。
 これで遅れを取ったら、次は自分が前に出る、と言いかねない。隊長が必死になる訳である。

 グリリは、馬の腹を蹴るのを躊躇ちゅうちょしていた。俺と同様、乗馬は初心者とみえる。都合よく、馬は命じられないうちに、仲間を追って勝手に走り出した。

 「よかった。もし何かあったら、トリスがこの子に話しかけて誘導してください」

 振動で、がくがく揺られながらグリリが言う。気をつけないと、俺も舌を噛みそうだ。

 「通じるか?」

 「風魔法で通じる筈です」

 ロン・レンヤの方でも、長い胴体を伸ばして近付いてきたので、さほど長距離を駆けずに済んだ。主に俺達の馬が遅れたお陰で、オピテルの面目は一応保たれた。

 レンヤの頭の上に、誰か乗っている。王妃の姿を認めると、ひらりと舞い降りて、拝跪した。少年である。

 「お立ちなさい。あなたがレンヤの担当なの? リャンヤは?」

 王妃も馬から軽快に降りると、チャルビを下ろしながら尋ねた。馬は龍に怯える様子もなく、大人しく立っている。

 「彼はウー・ルゥイヤ。リャンヤの息子だ」

 答えたのは、レンヤだった。ルゥイヤは、龍の紹介に合わせて礼をとった。折しも、蹄の音と共に、駆けつけた男がいた。
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