彼岸での再会

在江

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 河原にいる。川は右から左に流れている。

 幼い頃遊んだ記憶にある風景と異なる最大の点は、植物が見当たらないことである。葦の茂みや灌木ばかりか、まさに草の根ひとつなかった。岩盤を思わせるほど硬い地面の上には、大小様々の積み石が足の踏み場もないほど作られ、隙間にも無数の石が詰まる。つまりは土がない。

 人びとは移動する度に積み石の小山を崩し、また別の人びとが新たな小山を積み上げる。積み石をするのは子どもばかりである。しかしながら遊びではなく、皆真剣に取り組んでいる。


 そこには人がたくさんいた。

 積み石をする子ども以外は、皆一方を目指して進み、川岸で止まる。川を歩いて、あるいは泳いで渡ろうと試みる者はない。川の上には霧が立っていて、向こう岸が見えない。ただ対岸の方が明るく、相対的に此岸が暗いように感じられる。

 人びとは川岸に佇み、明るい方へ顔を向けている。口を利くものはない。

 霧を掻き分けて、舟が現れた。十人も乗れば一杯になるような、木製の簡素な舟である。船頭が棹を差して舟を操り、船縁を直接岸へつける。桟橋がないのである。

 人びとは行儀よく順番に舟へ乗り込む。岸にはあぶれた人が大勢残るが、誰もが大人しく先客を見送る。船頭が棹をぐいと押し出すと、舟は岸を離れる。河原に立つ人びとはすぐに霧に紛れて見えなくなる。


 霧の中、舟は静かに進む。川の流れは穏やかである。霧のせいか、川面に影が映らない。水中の様子も見えず、深さも知れない。船頭の棹は常に水中に先端を没しており、長さから深さを推し量る事もできない。

 船頭は頭からつま先までを黒い布ですっぽり覆っている。顔も布の奥深くに隠されている。棹を握る手だけは布から外に出ているが、黒い手袋を嵌めているので、老若男女の別もつかない。船頭は黙々と棹を動かす。


 不意に、視界が明るくなった。同時に舟が接岸した。振動と音が同時に感じられた。

 人びとは次々と立ち上がり、舟から出た。人気がなくなってから立ち上がると、恐らく船頭と思われる手が、背後から上陸を手助けしてくれた。

 こちらの地面に砂利はない。耕した畑の土のような、柔らかさがあるように感じられる。視界は上下左右変わらぬ白さである。眩しくはない。そこここから穏やかな話し声がする。こちらの方が幾分温かい。川を渡る前は肌寒かった。


 「よう。来たな」

 聞き覚えのある声がした。私は声の方を向いた。やはり何も見えない。人の近付く気配だけは感じられた。

 「若返った気分はどうだ? 俺もお前と同じぐらいまで若返ったぞ。ちょうど良い釣り合いだな」

 声は親しげで、上機嫌だった。

 「若返る?」
 「お前、見えないのか?」

 相手の声が曇った。私は意識的に目蓋を開け閉めしてから頷いた。

 「そのようです」
 「どうして。ここに来るまで見えていただろうに」
 「私にも、わかりません」

 川を渡り終えるまでは確かに見えていた。私は視力を失ったことを漸く理解し、今後は目蓋をなるべく閉じておくよう心がけることにした。使わない物を箱にしまう感覚である。相手は吐息のように笑った。

 「俺の姿を見てもらえないのは残念だが、迎えにきた甲斐があったというものだな。さあ、行こう」

 と手を取る。途端にそこから記憶が流れ込んできた。


 彼と私は幼なじみである。幼い頃から各々人生の針路を定められており、互いに恋愛感情を抱くことなど考えられなかったし、現にそうして一生を過ごしてきた。

 しかるに今つながれた手から伝わる感情は、紛れもなく恋愛のそれである。顧みれば、掟がなかったならば、私も彼を愛したかもしれない。

 とはいえ、現実には彼は別の女性と結婚し、子までなした。彼女もいずれ必ずここへ至るのだから、揉め事は避けたい。そこで手を振り放そうと考えたものの、目が見えない不安から、実際には大人しく手をつながれたままでいた。

 周囲の音や匂いからは、今歩いている場所が屋外であるらしいということしかわからない。そもそも、私は本来どこへ行くべきか、知らない。川を渡った後の決まりを教わる機会はなかった。

 「どこへ行くのですか」
 「家だよ。一緒に住む家」

 彼は当然のように言った。ここにも家があるということも驚きだが、一緒に住むという言葉は聞き捨てならない。私は立ち止まった。彼もすぐに止まった。手はつないだままである。この状態では聞き辛いが、確かめずにはいられない。

 「あのう。奥様は?」
 「だってまだ来ないもの。ここへ来るとは限らないし。多分来ないよ。ともかく、今は一緒においで」

 彼は屈託なく答えた。私は観念して従った。


 「着いた。ここだよ。といっても見えないか」

 途中どんな道を通ったのかも、遠いのかも近いのかもわからぬまま、彼の言う家に到着した。何も見えないのは彼の言う通りである。

 「どんな家ですか」
 「木造の平屋。それほど大きくない。冷暖房の心配も要らないしね。気に入らなければ、建て直す。煉瓦造りでも漆喰塗りでも作るよ」

 「そんなに簡単に作れるものですか」
 「そう。服でも家でも好きなものは何でも作れる。生き物以外はね。さあ、入ろう」

 彼は手を放したかと思うと、肩へ手を回して私を導いた。戸惑いも覚えたが、実際、案内なしには、身動きが取れなかった。座らされたのは二人掛けの小振りなソファで、彼が隣に来て一杯になったので、それと知れた。
 彼の腕は肩にかかったままである。こうした状況には不慣れで、私はあしらいに困った。

 「お前の心が読めない。俺の考えていることは判るか?」
 「いいえ」

 ただでさえ初めての地に来て、しかも突然視力を失い、私は身の置き所さえわからないでいた。何もかもわからず、尋ねるべき問いも浮かばない。

 「でも俺の元へ来たのだから、それが答えだよな」

 回された腕に力が入り、向きを変えられた。もう一方の腕も加わり、私を囲い込む。彼の顔が近付く気配がわかった。緊張に身体が強張る。

 「あのう」
 「ん?」

 という声は既に蕩けかかっている。私は頭がくらくらした。体勢を立て直す前に、唇を塞がれた。思い出した。遥か以前にも似たようなことがあった。しかし決して同じではない。何故なら、私も一緒に蕩けてしまったからである。

 「愛している」

 私から離れる度に、彼の唇は繰り返した。見えなくても、彼の形ははっきりとわかった。彼の存在に包まれ、私は生涯にも体験しなかった幸福感を覚えた。

 「愛しています」

 こぼれ出た言葉に、彼が笑顔を作ったのが感じ取れた。

 「初めて言ってもらえた」
 「私もです」
 「言ったことなかった?」
 「はい」

 私たちはひたすら互いを求め合った。
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