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圧倒的バイオレンスから始まるラブストーリーってありますか?

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 俺の名前は田中良尾(たなか よしお)高校一年生。好きな食べ物はチョコミントアイス。そんな俺の中学時代からの想い人、丘咲桜(おかざき さくら)さんが軽音部に入ったらしいという情報ををキャッチした俺は、盛大に焦り散らかした。
 だって軽音部といえばチャラい男とギャルギャルしい女の巣窟じゃではないか。脳が溶けた輩がずっこんばっこんしているイメージしか無い魔窟である。

 チャラ男共の魔の手から彼女を救わなければならない。チャラ男達よりも先に彼女と組んず解れつな関係になりたい。そんな使命感と欲望に駆り立てられ、散々頭を悩ませて俺が出した結論は神頼みであった。

 俺は平日の夜、「イケメン来い」「息子に嫁を」「結婚できました」「彼氏ができました!」等書かれた絵馬が多数掛けられた小さな神社に赴いていた。神社の名前は、たしか猫狸神社とかなんとか。どこぞの青い猫型ロボットを想起するネーミングだった。

 絵馬の字は妙に達筆だがどれもこれも書き方の癖が同じに見える。同じ人物が量産したものじゃなかろうかと以前から俺は睨んでいた。たまに敷地内にニタニタとやけにスケベっぽい下卑た笑みを浮かべながら竹箒で掃除をする禿頭のじじいが出没するが、奴が第一容疑者だ。

 ご利益のほどは疑わしいことこの上ないが、近場で恋愛成就にご利益があるという神社はここだけだったのだから仕方ない。賽銭箱に奮発して五百円玉を投げ入れ、手を合わせる。

(どうか他の誰よりも早くわたくしの恋心が成就いたしますように!!)

 そう三回ほど強く唱えた。ふぅ。これだけ願えばチャラ男共に負けることもあるまい。明日辺りになにか運命的なイベントも起こってもおかしくはない。なんの根拠もなく俺はそうタカをくくったのだった。

 神のご利益は俺の予想を上回る効能で、神社から家に帰る途中、暗闇のなか街灯に照らされる桜さんを発見した。まさに運命の遭遇と言えるだろう。部活……にしては遅い帰りである。手に持つギターケースから推測するに、もしかすると友達の家でバンド練習をした帰りなのかもしれない。

 ……バンド練習って、軽音部のレン中と?つまりチャラ太郎やギャル子たちと狭いお部屋で?一瞬で思考がダークサイドに堕ちそうになった。
 やはりダメだ。神など信じてはいけない。偶然を期待するんではなく、自分でなにかアクションを起こさなくては彼女との関係はクラスメイトからなにも変わらないのだ。唐突に恋愛とはなんたるかを悟った俺は恋心をメラメラと燃やし、彼女に近づく。

「あ、ああああああの、さささ、くらしゃん!」

 彼女に声をかけるという一大ミッションの緊張感に負け、ほんの少し、ちょっぽりどもってしまったことは認めよう。

 でも俺が後ろから肩を叩いた瞬間、「きゃーっ。殺されるー!」はあんまりではないか。
 彼女が持っていたギターケースがコロンと地面に転がる。あんまりにあんまりなリアクションに俺が心を痛めるのもつかの間、桜さんが眼をぎゅーっと瞑ったまま繰り出した拳が、俺の顔面にクリーンヒットした。痛みに悶える暇もなく、今度はみぞおちに衝撃が走る。

「ひー殺さないでぇ!」

 そんな悲鳴から繰り出されるのは震え声に見合わぬ的確に急所を打ち抜くコンビネーション攻撃。止まらない打撃の連打、連打連打連打ッ!彼女が拳を振るう間、俺は倒れることすら許されなかった。永遠にも思える連打が止まり、俺は膝から崩れ落ちる。俺はなんとか手のひらを前に突き出し、全身凶器のグラップラーに待ったをかけ、続くラッシュの阻止を狙う。殺さないではこちらのセリフでだった。

「う、ゔおぉっど、ゔぁっでぐだゔぁいだぶだざン゛」

 ちょっと待ってください桜さん。そう告げたかったはずが口周りが盛大に腫れているせいか口の中が傷だらけだからか、俺はうまく喋ることができなかった。

 俺です。あなたのクラスメイトの田中です。しかし口に出した言葉は意味をなさなかった。もはや痛すぎて感覚が定かではないが、歯も何本か折れているかもしれない。ボコスカと殴る蹴るの暴行を加えられた俺の顔は見るも無残なものに変わり果てていることだろう。

「ひ、ひぃ~ぞ、ゾンビぃ!」

 そう。彼女の言う通り、それはまるでソンビのように……って、え?

 眼をぐるぐると回してパニック状態の彼女は驚いた拍子に落としたギターケースを開く。なぜ、今ケースを開く必要があるのか。答えは簡単、ギターを使うからである。

 彼女は呼吸を乱し瞳に涙を浮かべながら「えーと、えーっとゾンビは頭、頭を潰さないと」と不穏なことをぶつぶつと呟きながらギターのネック、その先端部分を両手で握り込んでギターを逆さまに掲げる。そしてきゅっと脇をしめて野球のバットのように構えた。
 今彼女にどんな名投手が豪速球や変化球を投げてもすべてホームランにされるだろう。そう錯覚してしまうほど熟練じみたその構えを見た瞬間、俺の脳裏にとても、とても嫌な未来が視えた。

「びょ、ゔぁっ」(ちょ。まっ)

 身構えるまもなく、全身が連動した芸術的はスイングによってギターのボディ部分へと集中した莫大的な運動エネルギーが、俺の顔の側頭部にぶち当たる。

 ヴェーンとギターのロックな音が鳴った気がした。

 幸いなことに俺の頭は場外ホームランされてかなた遠くに飛んでいくというスプラッタなことにはならず、未だ首にひっついていた。

「……あれ?もしかして……田中、くん?」

 彼女は変わり果てて地べたに倒れ込んだ人型生命体を俺と認識してくれたらしい。こんな状況にありながら、その事実に俺はたまらなく歓喜した。

「あの、大丈夫?」

 可憐な加害者は、通りすがりの第一発見者のような顔をして上から覗き込む。とても無事とは言いづらい状況ではあるが、生きてはいる。

「やだ、どうしよう。な、なにかわたしがした方が良いこととか、ある?」

 ―――付き合ってください。

 救急車を頼もうとしていた俺の口は、勝手にそんなセリフを告げていた。正確には「ゔぉゔぃあっべぐゔぁざい」と、人間が理解できる言語にはなっていなかったけども。こんな仕打ちを受けた後でも俺はまだ彼女が好きなままらしい。

 テンパっている彼女の「火事じゃないです」「えーと場所は」といったやり取りがぼんやりと聞こえてくる。やはり俺の告白は彼女に届いていいなかったようだった。

 後日、案の定というか、俺は入院した。順調にいけば今週中には退院できるらしい。いろんなところが折れたり切れたり腫れたりしていたが、なんとか一人でトイレにはいけるレベルの怪我で済んだ。

 両親および相手方の両親、病院へ事情を説明するのは苦労したが、被害者である俺が気にしてないからと、とくに彼女が咎められることにはならずに済んだ。向こうの両親にはめちゃくちゃ謝罪されて大変だったけども。子供の喧嘩……というには少々一方的すぎる気もするが、そういう扱いに落ち着いたらしい。

 この時ばかりは大雑把でいい加減な両親の性格に感謝した。両親が怪我の事情知り、俺に放った第一声が「女の子に負けるなんて情けないわねえ」「おまえのお年玉貯金で筋トレ器具頼んどいてやるよ」だったのはさすがにどうかと思ったが。

 俺は想い人にクラスメイトを病院送りにした、なんて悪評が出回らなかければいいがと彼女の今後の学園生活を案じた。窓際のベッドになったからだろうか。どうしても外を眺めながら色々と考えてしまうのである。

 ――ねえ神様。俺のこの哀れな姿を見ていらっしゃいますか。ここから始まる俺と彼女とのラブストーリーはあるのでしょうか。

 俺は眼が痛くなるような青空にそう問いかける。神からの応答はなかったが、代わりにがらりと病室の扉が開く音がした。
 カツカツと硬い足音がこちらに近づいてくる。閉じられた白いカーテンがシャッと少しだけ開かれる。そこから事件の加害者であり俺の想い人でもある女子高生が申し訳無さそうにちょこんと顔をのぞかせた。

「怪我、大丈夫……じゃないよね」

 色々と状況説明のために顔を合わせて会話はしたことはあったが、あの事件後彼女と一対一で話すのはこれが初めてだと気づく。

「いや、今週中に退院できるらしいから」
「入院してる時点で大丈夫じゃないんだよ田中くん」

 それは確かにそうだけども。

「怒ってる……よね?」
「怒ってないよ」
「絶対ウソだ。だってボコボコに殴っちゃったし、ギターでぶっ叩いちゃったし」
「うん、まあ確かにあれは死ぬほど痛かったけど……」

 軽音部じゃなくてボクシング部や空手部、もしくはソフトボール部に入った方が良いんじゃないかと天性の運動センスを感じ取るくらいにはすごかったけども。

「……」
「……」

 場が沈黙に支配された。

「ケーオンブ、ハ、タノシイ、デスカ?」

 とても自分の口から出たとは思えない、出来損ないのロボットみたいな無機質な発音だった。

「タ、タノシイデェース」

 でも彼女も彼女で日本語覚えたての外国人みたいな発音だったので問題はないだろう。どこらへんが問題ないのかは自分でもよくわからないが。

 ポツポツとぎこちなくではなるが彼女との会話がキャッチボールの体を成してくると、ぼくは自分のマヌケな勘違いに気づくことになった。

 彼女が入部したという軽音部。まず上級生が一人も所属しておらず、今年入部者がいなくては廃部になる予定だったようだ。どうもその状況が桜さんの大大大好きらしいとある学生部活バンドを題材としたアニメと同じだったらしく、女友達三名を強引気味に引っ張ってきて入部したらしい。バンド名は早朝コーヒーブレイクとかなんとか。

 ……軽音っていうか、けいおんだったようだ。部室ではきゃっきゃうふふとした空間が形成されているらしい。つまりチャラ太郎くんもギャル子ちゃんも存在しないのである。いや、一緒に入部したという桜さんのお友達にギャル子ちゃんがいるのかもしれないが。

 俺は彼女が軽音部に入ったという情報に勝手に妄想を膨らまえせ、勝手に焦るという一人芝居をしていたようだった。そうしてとち狂った結果、夜道を一人歩く彼女に背後から声をかけるに至り、このザマである。

 しかし俺はこの無様な結果に微塵も後悔していなかった。なにせ俺の恋愛における引腰姿勢は筋金入りだった。こんな事件でも起きない限り、桜さんとこうして会話することも一生なかったのではないか。そう思えてならない。

「退院したらあの猫狸神社の賽銭箱に500円投げ入れに行こう」

 俺はそうぼそりと呟いた。

 形はどうであれ、神はたしかに桜さんと急接近するイベントを起こしてくれたのだから。俺にとってはこの平凡な会話だけで骨を折った価値はたしかにあったのだ。

「田中くん、あの神社に行こうと思ってるの?やめといた方が良いと思うけどなあ」
「え?」

 彼女がそう忠告してくる理由がよくわからなかった。もしや、一度お参りしてご利益がなかったのか?つまり彼女には俺の知らない想い人がいたのか?そんな想像が脳内を埋め尽くした。

「あそこ、わたしのおじいちゃんが管理してるんだけどね?あそこの恋愛が成就しましたって内容の絵馬、全部おじいちゃんが書いてるんだ。お願いが叶った人なんて、一人も居ないんじゃないかなーって」

 ああ。なるほど。そういう理由だったらしい。また変な妄想が膨れ上がって大爆発を起こすところだった。それにしてもあの禿頭のじじい……いやおじい様が桜さんの祖父だったとは。あの御方が絵馬を偽造してるだろうという俺の疑いは正しかったようだった。

「それに、ほら。田中くんにはもう彼女がいるんだから、恋愛成就なんて願う必要ないでしょ?」

 カーテンを体に巻きつけた桜さんが、顔を朱色に染め上げ、もじもじと体を揺らした。俺は首をかしげる。

「それは、一体どういう……」

 途端にシュンと悲しげに眉が八の字を描き、口がしぼむ。

「返事したのに……聞こえてなかったの?ほら、田中くんが倒れてる時、なにかした方がいいことあるかなって聴いた時にその、告白されたでしょ?そのお答えを……あの時させて頂いたわけですけども」

 思い当たる節はあった。確かに俺はあの時桜さんに勢い余って告白した。彼女はあのおよそ人間の言語とは思えぬ俺の言葉を、聞き取れていたと言うのだろうか。

「でも桜さん、あのあとすぐ救急車を呼んで……」

 そう。だから俺の告白は伝わらなかったと判断したのだ。彼女が告白に答えた素振りはなかった……はずだ。

「それはほら。そのー、田中くんの顔とか色々とやばかったからなにより先にと思って。でもその後にちゃんと答えたんだけど……もしかして、聴いてなかった?」
「気を失ってましたごめんなさい」
「いや、こちらこそ気が失うまで痛めつけてしまってごめんなさい……」

 互いにペコペコと頭を下げ合う。大分打ち解けてきたムードがお通夜となった。口ぶりから察するに、彼女は俺の告白を了承したのだという。
 もう少し、あと一分ほど意識を保っていれば聞くことができたのだろうか。そもそも自分から告白しておいて、彼女が答えてくれた時は聴いてませんでしたなんて事実がわかってしまった今も告白は有効なのだろうか。俺と桜さんは、彼氏彼女の関係なのか?なかったことにされてはいないだろうか?

 それらすべての不安と疑問を解消するすべは、実に単純なことだった。

「あ、あの桜さん!」
「はい!なんでますでしょうか田中くん」

 桜さんはピンと背筋を伸ばした。言葉遣いが少し変である。

「す、好きです。俺と付き合ってくれませでせうか。」

 俺も人のことを言えた義理ではなかった。

「はは、はい。ふ、不束者ですが、これから末永くよろしくおねがいいたします、です?」

 俺の伸ばした手に彼女の汗ばんだ手のひらが触れる。彼女が体に巻き付けた白いカーテンが、俺にはまるでウエディングドレスかのように見えた。

 ――神様。ここから始まるラブストーリーはあるみたいです。

 こうして一つの恋が成就した。賽銭箱に投げ入れるのはやはり一万円にしよう。俺はそう心に決めた。

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