アレの眠る孤塔

不来方しい

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第二章 政府とアンドロイド

019 幻影

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 アルネスの薬といえど、過度な期待は厳禁だ。作った本人も「改良の余地がまだある」と言い、医者としての腕前が試されている状態だ。ならば、俺は喜んで被験者となろう。
「土に微量の幻覚作用のある成分が混じっていた」
「そこら辺の土にはないのか?」
「ああ。湖近くの一帯だけだ。家の回りも調べたが、特に異常は見当たらない」
「俺からすると異常だらけだけど。土に毒でも撒かれたんじゃないのか?」
「……可能性は、いろいろと」
 昼休憩に地下へおりてきたアルネスに、俺は特製マヨネーズを使ったサンドイッチを出した。癖のない魚とマヨネーズ、そして野菜サラダ。我ながら栄養たっぷりメニューを作ったと思う。残りの卵は夜に使おう。それと。
「その、肩に乗ってる生き物が気になるんだけど」
 触れ合いたくてうずうずする。俺って、根っから生き物が好きだったのかもしれない。山羊や少しずつ慣れてきた鶏も、家畜といえど目に入るだけでテンションが上がるのだ。
「ハクの家の鳥だ」
 宙を回り、テーブルの上に乗る。カラスのように真っ黒で、小型のインコのように小さい。
「足になんかついてるよ」
「小型のカメラを取り付けた。今からパソコンに繋ぐ」
「カメラって、この世界では使っていいのか?確かパソコンはダメって聞いたけど」
「……パソコンに繋ぐ」
「へーい」
 よく理解した。アルネスの言葉はまったくもって分かりやすい。これ以上は聞いてはいけない。
「お前は動物に好かれるのだな」
「そうか? でも好きだよ。あいつらも、」
「家畜だ」
「分かってるって。情は持たない」
「一匹ほど、そろそろ捌いてもいい頃合いだな」
「……………………」
 聞かなかったことにしよう。
 画面にはあまり映りのよくない映像が流れている。ピロピロと小鳥の囀りつきで、なんとも世界とかみ合わない映像だ。
「どこ?」
「三区だ。餓えにまみれている」
 毒ガスなのか、紫色をした煙がわんさか映る。どんな成分のガスなのか聞くまでもないほど、俺の体内に入ったら即死だろう。
 砂漠のような砂だらけの地区、岩石にまみれ住めないような場所、家らしい家は、粘土や岩を固めただけのお手軽な洞窟のような場所。あきらかに治安はよくない。
「すげえ……」
 シンプルな感想だが、広大な海を見せられれば、長文の感想なんか出てこない。上空を飛んでいるためか、汚染された海はそれほど汚く見えなかった。
「…………これって」
「いずれお前に見せたいと思っていた」
 鳥が止まる。建物の中には、アルネスと同じような白衣を着た者が忙しく歩き回っている。みな、鳥には気づいていない。気づいているのかもしれないが、いつものことだと、相手にしていないのかもしれない。何か変わったことがない限り、記憶に刻まれないものだ。だからこそ、俺はアルネスと過ごす日々をしっかりと刻みつけたい。いずれはやってくる終わりに備えて。
「お前を拾った場所だ」
「…………ここに、いたの?」
「ああ」
「海に囲まれた塔だけど」
「船で入った」
「…………なんで、どうやって」
「失ったふたつを、取り戻すため」
「取り戻せたのか?」
「…………ひとつは」
 ソファーに座るアルネスは、画面を見ていない。シュガービーツを見つめるような熱い視線は、今は俺に向けられている。
「…………俺?」
「ああ、お前」
「あのさ、俺とアルネスってどういう関係?」
「……………………」
「ここまで話して、さすがにだんまりはやめてくれよ」
「拾った、と言ったが、少し語弊がある言い方だ。盗まれたものを、私は取り返しただけだ」
「俺は、アルネスの所有物?」
「難しい表現だ。お前を個人と認識している。正確には所有物ではない。が、大切すぎて、お前を傷つけるものは……したいくらいだ」
「聞こえなかったけど、聞いちゃいけない気がする……」
 とてもグロテスクな表現が耳に入ってきたが、二度言わすべきではないだろう。
「サキという名前に、聞き覚えは?」
「サキ……」
 その名を口にすると、気のせいかもしれないが、アルネスの目に小さな光が宿った気がした。希望を含んだ名前なのかと、記憶に鞭を入れる。
「ごめん、聞き覚えない」
「そうか」
「そんな落胆しないでくれよ」
「お前の……大切な人の名前だ」
「え? 俺の……彼女とか?」
「馬鹿者」
 久々に見るアルネスの顔は眩しくて、見ていられなかった。
 アルネスもそんな風に笑うんだな、と出かけた言葉を飲み込んだ。背中に回される手と肩に乗る顔が暖かくて、余計な一言が熱を奪われる気がして、俺は薬品の匂いがする彼におもいっきり抱きついてやった。

「しばらく、魚は食べられそうにない」
 袋に入った肉や豆を有り難く冷蔵庫にしまい、今日の夕食を出した。豆のスープと、何かの肉と野菜炒め。それとリンゴを練り込んだパン。初めて作ったが、アルネスはリンゴのパンから視線が外れない。作って正解だったようだ。
「むしろこれだけ食べ物があって助かるし、嬉しいよ。けどなんで?」
「湖の魚が全滅した。念のため、海も含め漁業は禁止だと政府から命が出た」
 リンゴのパンに、さらにリンゴジャムを乗せて食べる。アルネス流の食べ方だ。
 スープを掬うと、滴が垂れて水面を揺らす。俺はその様子を黙って見ていた。もしかしたら。あくまで仮定で、暫定にもならない一つの腹案だけれど。ぽわんと老婆の顔が浮かんだ。元気にしているだろうか。
「老婆は死んだ」
「………………は? え?」
 心を見透かされたのかと思った。じわじわと負の感情が締めつけ、胸の辺りが苦しくなる。生き物の死は、誰であっても悲しくて何も残らなくても何かを残してくる。
「彼女は魚を食べた。心臓が動いていなかった。呼ばれて彼女の家まで行くと、彼女は冷たくなっていた。およそ二日ほど経過してた」
「冗談……なわけないよな」
「ない。私が行って医師としてできたことは、死後からの経過を伝えることだけだった」
「そっか……駄目だったか。その後どうしたの?」
「近所で世話をしていた女性に、後のことは任せてきた」
「そういう人いたんだ。アンドロイドの基本型ってアルネスだから、みんな優しいものだと思ってしまうんだよ。その女性も、きっと優しい人なんだろうな」
「……結婚は許さんぞ」
「ええ……なんだよそれ。飛躍しすぎじゃないのか?」
 ぐしゃりとパンが歪に歪む。柔らかなパンは、アルネスの力によりぺしゃんこになった。
「結局、お婆さんが植物を口に入れてしまった原因って、海が関係してたってこと?」
「分からない。私の解けない謎もある」
 どこから流れてきたものなのか。俺は口にしなかった。代わりに残りのパンを放り込む。我ながら美味くできたと思う。アルネスも味を噛み締めている。
 きっと、政府は原因を綺麗に伝えはしないだろう。今もどこかで起こっている戦の末路は、俺たちに降り注いでいる。血の雨は、まだ止みそうにない。
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