アレの眠る孤塔

不来方しい

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第四章 奪うもの

035 綺麗な魚

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 世の中が落ち着くまで、ハクは冷凍保存されることになった。
 俺は扉を閉めた。俺の手で閉めたかった。ハクの顔を最後まで見ていたかった。
「ここからが勝負だ」
「任せとけ」
 俺はアンドロイドであっても、人間であっても、なるべく多くの命を救いたい。アルネスも、きっとそう思ってる。
 次は誰が運ばれてくるのか心をざわつかせてうろうろしていると、扉を叩いたのは見知らぬ男性だった。
「外はひどい有り様だ。一区のアンドロイドたちは皆、家に閉じこもっている。シェリフは政府が勝てないと踏んで、我々の味方についた。くそっ……うっ……」
「問題ない」
「何に対してだよ! 麻酔効いてねえぞこれ」
「ごめん、薬も限りがあるから、命に別状がない限りはケチって使えってアルネスが」
 うちの息子が何か、と目がそう言っている。麻酔の量は半分ほどだ。抉られた肉から銃弾を取り出し、ひとまず縫った。縫合の腕がどんどん上がっていく。
 切り傷程度であれば片手でアルネスが、それ以上の深さともなると、俺やドイルさんが担当する。ただし、手術が必要な者は状況を判断して、だ。もう数人の命を落としてしまっている。ここにやってきてすでに命が尽きていた者、手の施しようがない者。様々だが、携わるとなると気持ちの良いものではない。
「タイラーたちは大丈夫かなあ」
「見た目通りに頑丈な男だ」
「た、頼む……失敗しないでくれよ……」
「お前…………」
 アルネスの顔と言ったら。素直に怖い。
「私の息子が失敗するとでも?」
「いや、まさか、そんな………いってえ!」
「あ、ごめん」
 縫合の最中、針を変なところに刺してしまった。大丈夫、少し血が出ただけだ。問題ない、とアルネスの口調が移ってしまうほど魔法の言葉だ。
 消毒液はもったいないので、とりあえずテープだけを貼っておこう。
「よし、終わった。傷口は目立たなくなるよ。俺、縫合は得意なんだ。何度もやってるし」
「さっき刺さなかったか……いや気のせいだったな」
「お前のDNAも指紋も、私はすべて把握している。料金は高いぞ」
 支払いを終えるまでは逃げられないぞ覚悟しておけと、俺の翻訳結果だ。
 何度か咳をし、残りの患者を呼びに行こうするが、アルネスに呼び止められた。
「凪、お前は休め」
「ちょっと前に休憩したけど」
「時間」
 要は、カプセルの中に入れと言っている。ばれていた。頭痛と目のかすみはどうにもならない。
「起きる頃に、ちゃんとアルネスはいてくれる?」
「ああ、待っている」
「いなくならない?」
「ならん」
「まだキスもハグもしてもらってないんだけど」
 これにはアルネスは目を大きく開いた。してやったりだ。
「冗談だよ。おやすみ」
「起きたらしてやろう」
「楽しみにしてる」
 地下への隠し扉が開き、ひとりで下りていく。寂しくなって振り返ると、アルネスは俺を見ていてくれた。

 時間経過は丸二日だ。何度か起きたが、カプセルが開かないと寝るしかない。何せ、内側から開ける術はない。
 開く前までは、アルネスがいなかったらどうしようと不安に駆られたが、心配は無用だった。ようやく開放されて上半身を起こすと、いつしか見た光景が広がっていた。
 椅子の上で半分夢に落ちているアルネスは、俺の気配に気づく。濡れた身体を拭くため、用意されたバスローブを羽織った。
「本当に待っててくれたんだ」
「二度も寂しい思いはさせない」
 トラウマになってるのは、アルネスの方かもしれない。
 すぐに血液検査に入った。外で戦争が起きていると思えないほど、いつもと変わらない。
「お前が寝ている間に、外はだいぶ静けさを取り戻した」
「戦争が終わったってこと?」
「孤塔は跡形もないそうだ。生き延びた人間たちが少ない。シェリフと同様、すぐに降参の旗を上げた。今はハクの家で、鳥の世話をしてもらっている。シルヴィエたちが見張りをしてくれて、軟禁状態だがな」
「この後の処遇なんだけど……」
「第二の争いの火種がそれだ。人間は全員処刑派と、我々と共存する派に分かれている」
 当然と言えば当然だ。アルネスの望みはどちらだろうか。
 血液検査の結果は、まあ悪くないと曖昧な答えで濁されてしまった。外へは出さん、と言葉も添えて。
「凪」
 振り返ると同時に、背中に腕を回された。厚みのある胸板で、全身が暖かく、心の暖かみが身体を火照らせているのだ。俺も背中に手を回した。
「よく、生きていてくれた」
「俺の台詞。言っておくけどな、ひとりで孤塔に向かったことは許したつもりはないから」
「何か企みがあるとは思っていたが……こうなるとはな」
 アルネスの体温が心地良い。ここが俺の帰ってくる居場所だと、心臓が安心の音を奏でている。
「シルヴィエも無事なんだな?」
「軽傷は負った。ナイフで肌をかすめた程度だが。バーの秘密も暴いてくれた。地下で薬の密売が行われていたらしい。すべて回収し、薬の処分の仕方も考えねばならない。今はドイルを家まで送っている」
「やることが山積みだなあ」
 笑うにしても、心から笑えず乾いたものになってしまった。
 まだ抱きしめてほしかったけれどきりがない。俺から離れると、アルネスは不服そうに顔を曇らせた。ハグはもらったけれど、キスはまだだ。自分から言うのも気が引けて、結局アルネスも無言でリビングに向かった。
「何の音?」
「頭を抱えたくなる」
 キメラの地鳴りともとれる低い音が、リビング中に響いている。正体はすぐに判別した。
 ソファーで地鳴りの正体が寝ていた。大きな口を開けて、血と硝煙の臭いをまとっている。生き延びたアンドロイドは、起床後に大量の食料を欲するだろう。
 胃にずっしりくるものを作りたかったが、食料のメインは、豆と野菜だ。あとは酢漬けにしか茸など。パンの残りもないので、一から作った。
 アルネスが卵を持ってきてくれた。産み続けてくれる鶏たちには感謝しかない。卵は栄養も豊富で、腹を満たしてくれる。これは固めのゆで卵にした。塩だけでも充分に美味しい。
「随分作ったな」
「タイラーがいっぱい食べるだろ」
「私も空腹だ」
「先に食べていよっか。いつ起きるか分かんないし」
 地鳴りをBGMに、ふたりで食事会が始まった。もっといろいろ話したいが、俺たちの声より背景で流れる音楽が大きい。まずは腹を満たすことが先決だと、黙ってスプーンを動かした。
 片付けはアルネスが担当し、俺はシャワーを浴びた。今まではバスローブでうろうろしても平気だったのに、落ち着かなくなっている。戦える格好でないからかもしれない。
 お湯を止めると、リビングが騒がしくなっている。案の定、タイラーが起床し、腹が減ったと騒いでいる。
「無事で何よりだよ。先にシャワー浴びてきたら? スープを温めておくから」
「頼む……限界だ」
 神妙な顔で見つめるアルネスに首を傾げるが、目を逸らされてしまった。何が言いたかったんだ。もしかしたら、食卓にシュガービーツを出さなかったから、機嫌が悪いのかもしれない。
「シュガービーツあるけど……」
「…………切ってくれ」
 中毒症状が出るような野菜ではないけれど、食べすぎは不安になる。食べ過ぎないようになという俺の小言はきれいさっぱり無視をして下さった。温めるついでにシュガービーツを切り、アルネスの定位置に置いた。
 タイラーが戻って来て顔を見合わせ、ハイタッチをした。
「話したいがちょっと待ってくれ。餓死する」
「はいはい、いろいろ用意してるから」
 最先端の掃除機のように、食べ物が大きい口に吸い込まれていく。タイラーは味や質より量だ。もう少し味わって食べてもらいたいが、これはこれでアルネスの食べ方とは違った満足感がある。茸の酢漬けのとき、フォークの動きが遅くなったのを、俺は見逃さなかった。
「ふう…………」
「満足したか?」
「した。茶」
 タイラー専用の大きめのカップを用意した方がいいのかもしれない。
「助かった……餓死が目の前までやってくると、手も足も動かなくなるんだ。何も考えられなくなって、おかしくなる」
「そんなにひもじかったのか……」
 最後の一滴まで飲み干すと、音を立ててテーブルに置いた。
「お前らが船で帰った後の話だな」
 大気中の毒素や放射線より、一番恐ろしかったのは人間の精神世界だと、タイラーは話す。
「現実を受け止められないでいた。今まで築いてきたものが一瞬で破壊され、汚染された世界に身を置く恐ろしさを肌で感じ……あいつらは、持っていた拳銃を自分のこめかみに当て始めた。一人が命を絶つと、また一人、もう一人……バタバタと倒れていった。死にきれない、生にすがる人間たちの方が少なかった。殺してやりたいとあれほど思っていたのに、俺は海に飛び込み、奴らが死ぬのを必死で止めた」
「残ったのは?」
「瓦礫で死んだ者、自ら命を絶った者、溺れ死んだ者。海が死体で埋め尽くした。残った人間も、肺や脳をやられている」
「汚染された大気に関しては、自業自得だ。瓦礫で死んだ者たちは、さぞ私を恨んでいるのだろうな」
 あの世で憎悪にまみれていても、俺はアルネスの盾になるだろう。アルネスは充分に苦しんだ。それも気が遠くなるほどに。ある意味、人から恨まれるよりも恨み続ける方が、辛いときもある。
「生存者は、建物の中にいる。手錠で繋がれていなくても、ほとんど動けない状態だ。運良く動ける人間たちは、ハクの家で労働作業中」
「アルネスの話だと、このあと人間たちをどうするか問題みたいだけど……」
「そこだ」
 タイラーは人差し指を立てた。
「元はと言えば、アーサー大先生が孤塔をぶっ壊したんだろうが。とりあえず意見を聞こうか」
「まとめ上げるリーダーが必須だ。シェリフでも人間の味方でもない、誰かを」
「お前は?」
「断る」
 一秒も満たないお断りだ。シュガービーツを食べる手が止まらない。
「親のような愛情を注げる人だ。当然、叱る愛情も含む。そして強い。そういう人物こそが、この国のリーダーに向いている」
「アルネスじゃん」
「アーサーは駄目だな」
 俺とタイラーは同時に声を出した。真っ向から対立した。タイラー、おかしいよ。
「お前……今の条件で、こいつに向いていると本気で思ったのか?」
「まんまアルネスじゃんか。でもダメだよ。アルネスは医者やりながら俺とバーテンダーもやって、家族として過ごす時間も確保しなきゃいけないんだから」
「そういうことだ。私は論外」
 空の皿を眺めては、一瞬だけ俺に視線を送る。そんな顔をしてもダメだからな。
「タイラーも論外だしなあ……」
「おい待て」
「あ」
 一人、頭に浮かんだ人物がいる。というより、さっきから左から右へ、右から左へぽわんと浮かぶのだ。
「毒まみれの川でしか泳いだことのない魚を、綺麗な川に放ったらどうなる?」
 突然の謎解きだ。
「ストレスで死にそう」
「綺麗な川で泳いでいた魚を、どぶ川に放ったら?」
「…………生きられない」
「そうだな。でも生きている者もいる」
 例外中の例外だ。それは、俺。父の力を借り、生き長らえている。
「私は賭けてみたい。例外が他にいるということを」
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