過去を見据える観測者

不来方しい

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第一章 転入生と地味な僕

013 白昼夢と現実の狭間で

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 また、現実か夢かも曖昧な夢を見た。悲しい夢ではなく、幸せだった記憶が夢として現れたような、同じ世界を二度体験したかのような出来事で、起床するといつも目から涙が流れていた。
 最後だからとわざわざ今日のために制服をクリーニングに出してくれ、新品のような制服がかけられている。
「おはよう、鈴弥。しっかり食べていってね」
「気合い入りすぎじゃない?」
 卵焼きにあんがかかっている。とろとろで美味しそうだが、朝から食べるものではない。ちょっとした豪華な食事でしか見たことがなかった。テストで良い点を取ったときだったり、文化祭お疲れ様の夕食でも食べた。
「高校最後の日よ? これくらいの気合いは入っちゃうわ」
「食べ過ぎて卒業出られなくなったらどうするのさ」
 味は最高すぎるから文句なんてすぐに引っ込んでいった。お吸い物まである。
「卒業式の後はどうするの? 聖子ちゃんと出かける?」
「う、ん……分かんないけど」
 そういえば、約束なんてしていたっけ? 付き合っているからといって、必ず一緒にいなければならないものでもない。友達同士でカラオケやボーリングをしたり、すぐに家に帰ってきたっておかしくない。
 未だに俺は北野さんと呼び続けている。聖子さんとは一度も呼べない。何度も喉まで出かかっては、口が閉じてしまう。暗示にかかったみたいに、自分の意思とは違う何かに邪魔をされてしまう。
 新品みたいになった制服に袖を通すと、縮んだ気がした。実際は俺の身長が伸びたからだ。目標だった百七十センチも超えたし、体重も増えた。でも身長はあと少しほしい。
 校舎まで行くと、俺は記念に一枚写真を撮った。真新しく感じていた建物も、三年間の想い出とともに古美に心に刻まれていくだろう。
 教室ではすでに泣いている女子、いつも通り騒ぎ続ける男子、我関せずと読書で違う世界を放浪する人と様々だ。
 泣きそうになっている担任からは長々と有り難い話を聞かされ、式では校長からもさらに長い話を聞かされ、無事に卒業式を終えた。
 目の奥がつんともしない。卒業式より大事なことが頭の片隅にあって、友人の呼び止めにも立ち止まらずに階段を駆け上がった。
「……ひどい」
 ぼろぼろになったポスターは、落書きもされて探偵の文字には画鋲で押さえつけられている。一生懸命作った……ポスター。
「……誰だっけ?」
 俺は作った記憶がない。そもそも俺の字じゃない。誰かが作って、貼ったポスターだ。
 探偵クラブは、俺の代で終わる。俺が作って俺が終わらせた。入ってくれる後輩もいなかった。誰も興味なんて持ってくれない。
「ここにいると思った」
「北野さん……」
 胸元には大きな花が飾られている。後輩からもらったのだろう。
「初めてここで鈴弥君と出会ったのよね。覚えてる? 親身になって悩みを聞いてくれて、私、あのときから……」
「ねえ、何の悩み相談だっけ?」
「相談? うーん……なんだったかな……小さい悩みだったのかも」
「このポスターって、誰が書いたか分かる?」
「鈴弥君しかいないんじゃないの? だって部員ひとりでしょう? あっちょっと、大丈夫?」
 心臓が大きく揺れ、耳鳴りのような音が届く。壁に手をつき、何度か深呼吸を繰り返した。
「俺……脳がおかしいのかもしれない。なんかへんだ。違う自分がもうひとりいるみたいで、おかしな夢もみるし」
「もしかして体調悪いの? 来週の旅行は取りやめようか?」
 そうだった。旅行のことをすっかり忘れていた。
 俺はいきたい孤島があると話したら、彼女はついてきてくれると言った。本当は北海道が良かったはずなのに、北野さんは俺に合わせてくれたのだ。
「うん、ごめん」
「旅行はいつでも行けるしね」
 台詞と顔が一致していない。毎日メールでやりとりするほど、彼女は楽しみにしていたのに。
 申し訳なさすぎて、俺は何度も頭を下げた。彼女はそこまでしないでといい、俺の隣に腰を下ろす。違う、そうじゃないんだ。旅行をキャンセルしたことを謝っているわけではなく、旅行に行けなくなってどこかほっとしている俺がいて。彼女が思う謝罪と一致していない。北野さんとは、いつも歯車が合わない。がりがり音を立てて俺の心が削れていく。まるで違う世界線を生きているみたいだ。 
「世界線……?」
 どこかで、誰かが言っていた。多分、夢だ。夢の中で、俺の選ぶ選択は生と死の真っ二つで、それが高校生のときに訪れると。内容だけだと恐ろしい夢なのに、ずっと夢の中でふわふわしていたかった。現実に不満があるわけではないのに、おかしい。
 北野さんとは校門で別れ、俺は母と家に帰った。別れる直前も母に、俺が具合が悪いと伝えたものだから、しっかりした人だ。ふらついただけでもうどこも悪くないのに、罪悪感で大丈夫だと言えなかった。
 小さくなった最後の制服を脱ぎ捨て、ベットに横になりながらSNSやメールを返していく。ふと、俺に一度返信をしてくれた人のアカウントを覗いた。俺にお守りのある孤島を教えてくれてから、誰にも返信していないしフォローも俺だけだ。
 リビングに顔を出すと、母が誰かと電話していた。お寿司を取るつもりらしい。
「寝てなくていい? お寿司取ったんだけど、やめようか?」
「まさか。寿司がいい。ねえ……俺ってお母さんの子供だよね?」
 突拍子もない質問に母は驚くが、すぐに笑って野菜を切り始める。
「これだけ顔が似ていて、まさか川から拾ってきたと思っているの? お母さんとお父さんの子供に決まっているでしょう?」
「だよね。ただの気の迷いの質問だから」
「大きな怪我も病気もしないで育ってくれただけで嬉しいわ」
「本当に? 怪我したことはない? 瓦礫に挟まったり、誰かに刺されたり」
「どうしたのよ。事故も事件もないわよ」
 冗談と受け取ったのか、母は笑うだけで相手にしてくれなくなった。
 部屋に戻ってもう一度ベッドに伏せた。北野さんからメールが届いている。
──具合は大丈夫?
──寝てる。大丈夫だよ、ありがとう。
 罪悪感が積み重なっていく。彼女からのメールより、卒業式に持っていったお守りの方が気になっているものだから、なおさら心が痛い。手のひらに収めると、こんなに小さいのにずっしりと重みを感じる。
 スマホが震えている。誰からの電話だろう。出なければならないのに、急に身体が重くなって触れることさえできなかった。
 直感的に、またあの夢を見るのだと思った。現実味があって夢のままでは終わらなそうな夢。俺は、恐ろしくとも夢に幸せを感じている。



 電車、徒歩、フェリーと移動ばかりの一日だが、ようやく席に座ることができた。まだ十代なのに、いろんなものが確実に腰にきている。痛い。隣に座るおばあさんと目が合い、同じものを抱えているのねと憐れみの目で見られてしまった。
 半分夢の世界で過ごしていると、もうすぐ予定通りに着港すると船内放送が流れる。うんと伸びをして横を見るも、おばあさんがいない。気づかないほど眠っていたらしい。
 先に降りた観光客が歓声を上げている。島に上陸すると、電流が全身を流れて感覚の無くなった足は雄叫びを上げた。尻餅をついた俺を見て、女性たちは悲鳴に似た声を出す。
「大丈夫ですか? 宿泊する民宿はここから近いですか?」
「そんなに遠くないはずです。さっきまで寝ていたんで、急に立ちくらみが起こっただけです」
 おかしなことに、左胸が熱くなった。ポケットにはお守りが入っていて、何か訴えているような気がした。
 民宿に到着すると、着物を着た女性が出迎えてくれた。予約したのにひとりになってしまい謝罪をすると、お連れの方とまたいらっしゃいと優しいお言葉だ。
「すみません、ここで開かれているお祭りについて聞きたいんです。あと。これは知っていますか?」
 お守りは冷たいままだ。けれど熱を帯びたのは幻と思えない。
「人からもらったものなんです」
「では、こちらを手に入れた方は祭りの関係者ですね」
「どういうことですか?」
「祭りの日しか手に入らないものですよ。しかも極少数。観光客の方では、持っている方はほとんどいらっしゃらないかと。販売しているのは似たお守りで、そちらは近親者にしか配られていないものです」
「近親者……?」
「見た目は分かりにくいですが、この島の人間ならばすぐに分かります」
 女将さんは祭りについて詳しく教えてくれた。大昔、この辺り一帯で農作物も採れなくなり、濁った水で餓えを凌ぐほど大飢饉に襲われた。人間たちの前に姿を現したのは、人語を話す狐だった。
──肥えた土を取り戻したければ、一番裕福な家の子供を差し出せ。
 狐はそう言い残すと、森の中へ消えた。
 稚児をひとり差し出すと、みるみるうちに土地が蘇り、大ぶりの肥えた作物が実るようになったという。
「村の人に聞いても、いろんな説があって面白いですよ。稚児ではなく若い女を差し出しただの、狐ではなく狸だっただの」
「でも野菜が大きいのはびっくりしました」
「水がいいんですよ。祭りの行われる神社や山でも飲めますから、ぜひ召し上がって下さいね」
 夕食まで時間がある。民宿に荷物を置かせてもらい、外に出た。島は瑞々しい香りで満たされている。都会では絶対に嗅ぐことのできない自然の匂いだ。
 狐が物陰からじっと見ている。人に慣れているようで、逃げる様子もない。食べ物も持っていないのにすり寄ってきては、ポケットから出ていたお守りのひもを咥えた。
「あっちょっと!」
 口に入れるでもなく、お守りを口に挟んだまま狐は歩き出してしまった。慌てて後を追う。小走りでないとついていけない。
 道のない森の中、木々の間をすり抜けていく狐は、息を切らす俺と一定の距離を離れない。時折後ろを振り向いては、いるかどうか確認をしている。
 都会にあるような飾られた家とも違う、山小屋に似た建物だ。畑には数種類の野菜が植えられている。根を張った木々の隙間からしか太陽の光を射さず、夜であれば不気味な雰囲気になりそうだ。
 狐は止まり、畑の横で座ってしまった。お守りを返してもらおうと手を伸ばすが、元々返すつもりだったのか取りやすいように口を開ける。
「ここに案内してくれたのか?」
 頭を撫でようとすると、耳を飛行機みたいに横に広げ、思わず笑ってしまった。
 家から物音がし、女性が出てきた。俺を見ては笑い、こんにちはと笑顔を見せる。目尻の皺が優しい。
「こ、こんにちは」
「観光でいらしたの?」
「そうです……」
「若い子が珍しいねえ。何にもないところなのに」
「えと……ここの祭りに興味があって」
 笑っていたおばあさんは歓迎の目をしていたのに、どこか違う世界に迷い込んだようだった。
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