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第二章 探偵の卵と佐藤葵
014 探偵の卵と佐藤葵
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「都会の人はこういうのあまり飲まないかしら?」
「いいえ、母も入れてくれます」
急須は珍しいものではないし、よく母も温かい緑茶を入れてくれる。
家に招き入れてくれたおばあさんは、ほうじ茶とクッキーを出してくれた。甘く煮詰めた人参を上に乗せた人参クッキーだ。
お守りを懐かしそうに見つめ、おばあさんは目元にハンカチを当てている。俺はおろおろするしかない。
「ごめんなさいね。つい懐かしくて」
「懐かしい? お守りがですか?」
「これはね、二十年くらい前に私が作ったものなのよ」
「え」
驚愕して息が止まるところだった。
「どうしてあなたが持っているのか、教えてもらえるかしら?」
「俺もよく分からないんです。本に挟まってて、気になって調べたら、ここの島が出てきたんです」
「……そう」
おばあさんは遠くを見て、何も言わなくなってしまった。手持ち無沙汰にお茶を飲み、クッキーも口に入れる。人参が柔らかく、野菜特有のえぐみがない。野菜というよりフルーツに近い。
「私には、娘がいたのよ」
過去形の話に、俺は耳を傾けることしかできなかった。
「いつもは美味しそうにご飯を食べるのに、いきなり吐くようになってしまって。身体が悪いのかと思い病院に連れていったら、妊娠が分かったの。まさかつわりだとは夢にも思わなかったわ。相手は誰だって問いただしたけれど、唯一答えてくれたのは村の人じゃないってこと。観光客しかいなかったのよ。あの子はここから出たことがなかったから」
「娘さんに渡したお守りだったんですか?」
「ええ。娘は村中から白い目で見られたわ。村の祭りを担う中心人物だったからね」
「妊娠してたら、参加できないとか?」
「……そうね。妊娠なんてとんでもない話よ。本当は男の子同士のお祭りなんだけど、女の子しか生まれなかったから。ここに来るまでに大きなお屋敷は見たかしら? 神子の屋敷よ。私はそこの家の出だったんだけど……家から追い出されたの」
最初に感じた違和感は間違っていなかった。家というより山小屋なのは、追いやられてここしか住めなかったからだ。
「でもそれも過去のことでね、回りの人たちはみんな優しくしてくれるのよ。友達が遊びにきてくれるのを楽しみにしているわ」
「娘さんは……」
「娘は島を出ていったっきり、もう何年も連絡がないわ。もしかしたら……あなたは私の孫かもしれないって思ったのよ」
見ず知らずの観光客を家に招いた理由が分かった。残酷だろうが、おばあさんのためにも口にするしかない。
「俺は東京で生まれました。残念ですけど、おばあさんのお孫さんじゃないです。ちなみに、お孫さんのお名前とか分かるものはないですか?」
「付けたかどうかは分からないんだけど、男の子でも女の子でもいいように『あおい』って名前を付けたいって話していたわね」
「あおい?」
あおい……あおい。どこかで見た記憶があると思ったのは、ベッドに置かれていた本だ。主人公がタイムトラベルをするという、いつ買ったのかも分からない本。最初のページに平仮名で『あおい』と書いていた。
「元々、島の伝承にいい顔をしなかった子だから。結婚するにしても、島を出るのは時間の問題だったのかもしれないわ」
孫ではないのは確実で、期待に添えられず申し訳なさが募る。自分のおばあさんに会ったことはないけれど、もしいたらこんな風に慈愛に満ちた人だったかもしれない。合間合間に「クッキーを食べて」だの、「お茶のお代わりはいかが」など勧めてくる。
おばあさんにお礼を言い、お暇した。おばあさんは最後までお守りから視線を外さなくて、一瞬だけ返すべきかどうかよぎったが、俺は手にするべきだと判断した。
あくまで可能性の問題で、絶対にあり得ないとは言えない話が不明瞭に浮かぶ。俺は大事な記憶を失っているのかもしれない。どういう経路で抜け落ちたのかも思い出せないが、ヒントとなるものは得ることができた。『あおい』と『お守り』だ。ふたつは繋がっていて、忘れてしまっている記憶を取り戻すには、このふたつが必要不可欠だと知った。
外で寝ていた狐は起きていて、ふたつの瞳が俺を捉えている。狐はついてこいと踵を返すと、森の中へ歩いていく。遅れないように後を追った。
道案内をする狐は境内も通い慣れているようで、足を止めることはない。風景を楽しみたいのに、そんな暇さえ与えてくれない。
「ここ……俺は……」
来たことはないはずなのに、なぜか落ち着く。神社特有の香りと風景が一遍に視覚と嗅覚を満たして、幼かった頃に住んでいたような錯覚さえした。
境内の奥には、小さなお社がある。少し隙間が空いていた。人の気配はなく、狐も側で動かなくなったので、誘われるように扉を開いた。
お社の中は、行灯と綺麗に畳まれた布団のみ。寂しく感じてしまうのは、行灯に火が灯っていないからだ。
「……あおい」
試しに呟いてみると、しっくり馴染む。俺の心は、俺があおいと呼ぶのを待ちわびていた。
「やっぱり俺、ここに来たことがある」
心に記憶がなくても、鼻が記憶していたのだ。お社独特の香りは、そう嗅げるものではない。
唐突に目眩が襲ってきて、俺はたたまれた布団に倒れた。圧がかかったみたいで、起きようとしても身体が言うことを聞かなかった。
──リン。
誰かがリンと呼んでいる。透き通った男性の声だ。
──リン、リン。
頭を背中を撫でられ、目眩が眠気に変わっていく。
「だ……れ……?」
男性は小さく笑った。誰かが俺の背中を撫で、一定のリズムを刻んで叩く。吹いていた風の音も聞こえなくなった。
俺はまた夢を見た。とっても恥ずかしい、言えない夢。俺は裸で、知らない男性と抱き合っていた。なぜ下着もつけていないんだ、しかも男性と。ガールフレンドの北野さんとだってこんないかがわしい行為を想像もしたことがないのに。
俺を抱いた赤髪の男性は、きっちりと服を着ると顔にキスをし、俺をリンと呼んだ。
お社を出て山の一番高いところへ行き、木の陰に行ってしまう。遅れてやってきた俺は辺りを捜すが、赤髪の男性の姿はなくなっていた。
淫猥で謎めいた夢から覚めると、下着をぐっしょりと濡らしていた。側にはテッシュ箱が用意され、たたまれていたはずの布団に横たわっている。夢か、白昼夢か、現実か。
俺は、この世界に生きているように思えなかった。見えない何かにいつも見守られているような……。
探偵学校を俺は四年で卒業を迎えた。はっきりとつけられる成績では、俺は上の上。本当はトップを目指していたが、まずまずの結果だった。同時に、大手の探偵事務所への入社も決まっている。
慌ただしく過ぎた二年の間に、人生の岐路を立たされた出来事がもう一つある。俺は北野聖子さんと別れた。理由なんてよくある話で、多忙のあまりすれ違いが多くなってしまったことが原因だ。
北野さんは北野さんで教師になる夢を見つけて、県外で就職が決まった。泥沼化した別れではなく、お互いに夢を叶えようね、と清水の中で澄んだ別れになった。芸能人でよくある後出しじゃんけんになるようなこともないだろうし、子供ができたと後々言われる心配もない。そう思ってしまった俺は、心から彼女を信用していなかったのかもしれない。
初めの仕事はペットや物探しから始まる。いきなり浮気の調査を任されても、絶対に困惑する。恋愛経験に乏しい俺からしたら、いきなりの修羅場は耐えられそうにない。作られたドラマより生々しい。
「佐藤って名字って目立たなくていいのよなあ」
「そうですね。前はありふれていて嫌でしたけど。偽名使わなくてもいいくらいですよね」
仕事の流れを教えてくれた先輩は、東と雲と書いて東雲。珍しい名字の分類だ。
「佐藤は三つ上の先輩と組んでもらうことになるからな」
「東雲さんじゃないんですか?」
「俺の相方は別にいるって。可愛くってえー、可憐でえー、乙女チックなやつ」
「くだらないこと言ってねえで行くぞ」
チンピラというよりまるでヤクザだ。探偵と名乗っても間違いなくヤクザと思われる。ヤクザもとい飯塚さんは、ベテランの東雲さんよりずっとずっと先輩だ。
俺の相方になる人は午後出勤だと言われ、しばらくパソコンとにらめっこをして待った。
「佐藤君、遅刻ギリギリよ」
呼ばれたと思い顔を上げるが、俺に向けてではなかった。
「…………え」
佐藤と呼ばれた男性は、二本持つ缶コーヒーのうち一本を俺の机に起き、隣に座った。
「佐藤葵と言います。よろしくお願いします」
「…………あおい」
名前を聞いた瞬間、心臓が激しく鼓動を鳴らし、俺は自然と左胸に手を当てた。
子供の頃から夢や不思議体験のような白昼夢を見続けてきたが、久しぶりにこの感覚を味わった。あおいという名前の人はは今まで出会ったことはないけれど、いつも身近にいた気さえする。
「佐藤君と佐藤君がペアなんて、どっち呼ばれたか分からなくなっちゃいそうね」
「ふふ……そうですね。俺が彼に仕事を教えます」
置かれたままの缶コーヒーは、汗をかき始めた。もう一つの缶コーヒーはプシュッと良い音を立て、佐藤葵が静かに傾ける。
「どうぞ。召し上がれ」
「あの……はあ、……はい」
微糖のコーヒーは、微の定義が曖昧なくらい甘い。でも緊張していたし、甘いコーヒーで良かった。
「……会いたかった……すごく」
「……お、俺に、ですか?」
「…………うん」
男が男に向ける視線にしては、情熱的すぎる気がする。
「ほら、相棒になるわけだし」
「ああ……ですよね。佐藤鈴弥です。こちらこそよろしくお願いします」
「…………鈴弥」
心臓がまたおかしな音を鳴らす。薬を飲んだ方がいいんじゃないかと思うほど、張り裂けそうだ。痛い、苦しい。その呼び名は違うと、もうひとりの僕が訴えている。
「……鈴弥で」
「いいの? 鈴弥って呼んでも」
「同じ佐藤ですし、こんがらがっちゃいますから」
「んー、でも仕事中は佐藤って呼ぶよ。プライベートでは名前で呼ぼうかな」
プライベート。それは仕事終わりの付き合いもしようという誘いだろうか。
缶コーヒーをお供に、今日は打ち込みだけで終わった。
家に帰って熱いシャワーを浴び、サイダーでひとりで乾杯をした。
佐藤葵という存在は、偶然と片づけるには出来すぎだった。佐藤はありふれた名字でも、名前は本に落書きされた名前と同じ。佐藤と葵。
机の引き出しからお守りを取り出すと、相変わらず狐が俺を見つめている。お守りは一年で効果が切れるというが、これはずっと持続して俺を守ってくれている。
「佐藤さんに見せてみようかな……」
スーツのポケットに入れ、明日の仕事のために早めに就寝することにした。
「いいえ、母も入れてくれます」
急須は珍しいものではないし、よく母も温かい緑茶を入れてくれる。
家に招き入れてくれたおばあさんは、ほうじ茶とクッキーを出してくれた。甘く煮詰めた人参を上に乗せた人参クッキーだ。
お守りを懐かしそうに見つめ、おばあさんは目元にハンカチを当てている。俺はおろおろするしかない。
「ごめんなさいね。つい懐かしくて」
「懐かしい? お守りがですか?」
「これはね、二十年くらい前に私が作ったものなのよ」
「え」
驚愕して息が止まるところだった。
「どうしてあなたが持っているのか、教えてもらえるかしら?」
「俺もよく分からないんです。本に挟まってて、気になって調べたら、ここの島が出てきたんです」
「……そう」
おばあさんは遠くを見て、何も言わなくなってしまった。手持ち無沙汰にお茶を飲み、クッキーも口に入れる。人参が柔らかく、野菜特有のえぐみがない。野菜というよりフルーツに近い。
「私には、娘がいたのよ」
過去形の話に、俺は耳を傾けることしかできなかった。
「いつもは美味しそうにご飯を食べるのに、いきなり吐くようになってしまって。身体が悪いのかと思い病院に連れていったら、妊娠が分かったの。まさかつわりだとは夢にも思わなかったわ。相手は誰だって問いただしたけれど、唯一答えてくれたのは村の人じゃないってこと。観光客しかいなかったのよ。あの子はここから出たことがなかったから」
「娘さんに渡したお守りだったんですか?」
「ええ。娘は村中から白い目で見られたわ。村の祭りを担う中心人物だったからね」
「妊娠してたら、参加できないとか?」
「……そうね。妊娠なんてとんでもない話よ。本当は男の子同士のお祭りなんだけど、女の子しか生まれなかったから。ここに来るまでに大きなお屋敷は見たかしら? 神子の屋敷よ。私はそこの家の出だったんだけど……家から追い出されたの」
最初に感じた違和感は間違っていなかった。家というより山小屋なのは、追いやられてここしか住めなかったからだ。
「でもそれも過去のことでね、回りの人たちはみんな優しくしてくれるのよ。友達が遊びにきてくれるのを楽しみにしているわ」
「娘さんは……」
「娘は島を出ていったっきり、もう何年も連絡がないわ。もしかしたら……あなたは私の孫かもしれないって思ったのよ」
見ず知らずの観光客を家に招いた理由が分かった。残酷だろうが、おばあさんのためにも口にするしかない。
「俺は東京で生まれました。残念ですけど、おばあさんのお孫さんじゃないです。ちなみに、お孫さんのお名前とか分かるものはないですか?」
「付けたかどうかは分からないんだけど、男の子でも女の子でもいいように『あおい』って名前を付けたいって話していたわね」
「あおい?」
あおい……あおい。どこかで見た記憶があると思ったのは、ベッドに置かれていた本だ。主人公がタイムトラベルをするという、いつ買ったのかも分からない本。最初のページに平仮名で『あおい』と書いていた。
「元々、島の伝承にいい顔をしなかった子だから。結婚するにしても、島を出るのは時間の問題だったのかもしれないわ」
孫ではないのは確実で、期待に添えられず申し訳なさが募る。自分のおばあさんに会ったことはないけれど、もしいたらこんな風に慈愛に満ちた人だったかもしれない。合間合間に「クッキーを食べて」だの、「お茶のお代わりはいかが」など勧めてくる。
おばあさんにお礼を言い、お暇した。おばあさんは最後までお守りから視線を外さなくて、一瞬だけ返すべきかどうかよぎったが、俺は手にするべきだと判断した。
あくまで可能性の問題で、絶対にあり得ないとは言えない話が不明瞭に浮かぶ。俺は大事な記憶を失っているのかもしれない。どういう経路で抜け落ちたのかも思い出せないが、ヒントとなるものは得ることができた。『あおい』と『お守り』だ。ふたつは繋がっていて、忘れてしまっている記憶を取り戻すには、このふたつが必要不可欠だと知った。
外で寝ていた狐は起きていて、ふたつの瞳が俺を捉えている。狐はついてこいと踵を返すと、森の中へ歩いていく。遅れないように後を追った。
道案内をする狐は境内も通い慣れているようで、足を止めることはない。風景を楽しみたいのに、そんな暇さえ与えてくれない。
「ここ……俺は……」
来たことはないはずなのに、なぜか落ち着く。神社特有の香りと風景が一遍に視覚と嗅覚を満たして、幼かった頃に住んでいたような錯覚さえした。
境内の奥には、小さなお社がある。少し隙間が空いていた。人の気配はなく、狐も側で動かなくなったので、誘われるように扉を開いた。
お社の中は、行灯と綺麗に畳まれた布団のみ。寂しく感じてしまうのは、行灯に火が灯っていないからだ。
「……あおい」
試しに呟いてみると、しっくり馴染む。俺の心は、俺があおいと呼ぶのを待ちわびていた。
「やっぱり俺、ここに来たことがある」
心に記憶がなくても、鼻が記憶していたのだ。お社独特の香りは、そう嗅げるものではない。
唐突に目眩が襲ってきて、俺はたたまれた布団に倒れた。圧がかかったみたいで、起きようとしても身体が言うことを聞かなかった。
──リン。
誰かがリンと呼んでいる。透き通った男性の声だ。
──リン、リン。
頭を背中を撫でられ、目眩が眠気に変わっていく。
「だ……れ……?」
男性は小さく笑った。誰かが俺の背中を撫で、一定のリズムを刻んで叩く。吹いていた風の音も聞こえなくなった。
俺はまた夢を見た。とっても恥ずかしい、言えない夢。俺は裸で、知らない男性と抱き合っていた。なぜ下着もつけていないんだ、しかも男性と。ガールフレンドの北野さんとだってこんないかがわしい行為を想像もしたことがないのに。
俺を抱いた赤髪の男性は、きっちりと服を着ると顔にキスをし、俺をリンと呼んだ。
お社を出て山の一番高いところへ行き、木の陰に行ってしまう。遅れてやってきた俺は辺りを捜すが、赤髪の男性の姿はなくなっていた。
淫猥で謎めいた夢から覚めると、下着をぐっしょりと濡らしていた。側にはテッシュ箱が用意され、たたまれていたはずの布団に横たわっている。夢か、白昼夢か、現実か。
俺は、この世界に生きているように思えなかった。見えない何かにいつも見守られているような……。
探偵学校を俺は四年で卒業を迎えた。はっきりとつけられる成績では、俺は上の上。本当はトップを目指していたが、まずまずの結果だった。同時に、大手の探偵事務所への入社も決まっている。
慌ただしく過ぎた二年の間に、人生の岐路を立たされた出来事がもう一つある。俺は北野聖子さんと別れた。理由なんてよくある話で、多忙のあまりすれ違いが多くなってしまったことが原因だ。
北野さんは北野さんで教師になる夢を見つけて、県外で就職が決まった。泥沼化した別れではなく、お互いに夢を叶えようね、と清水の中で澄んだ別れになった。芸能人でよくある後出しじゃんけんになるようなこともないだろうし、子供ができたと後々言われる心配もない。そう思ってしまった俺は、心から彼女を信用していなかったのかもしれない。
初めの仕事はペットや物探しから始まる。いきなり浮気の調査を任されても、絶対に困惑する。恋愛経験に乏しい俺からしたら、いきなりの修羅場は耐えられそうにない。作られたドラマより生々しい。
「佐藤って名字って目立たなくていいのよなあ」
「そうですね。前はありふれていて嫌でしたけど。偽名使わなくてもいいくらいですよね」
仕事の流れを教えてくれた先輩は、東と雲と書いて東雲。珍しい名字の分類だ。
「佐藤は三つ上の先輩と組んでもらうことになるからな」
「東雲さんじゃないんですか?」
「俺の相方は別にいるって。可愛くってえー、可憐でえー、乙女チックなやつ」
「くだらないこと言ってねえで行くぞ」
チンピラというよりまるでヤクザだ。探偵と名乗っても間違いなくヤクザと思われる。ヤクザもとい飯塚さんは、ベテランの東雲さんよりずっとずっと先輩だ。
俺の相方になる人は午後出勤だと言われ、しばらくパソコンとにらめっこをして待った。
「佐藤君、遅刻ギリギリよ」
呼ばれたと思い顔を上げるが、俺に向けてではなかった。
「…………え」
佐藤と呼ばれた男性は、二本持つ缶コーヒーのうち一本を俺の机に起き、隣に座った。
「佐藤葵と言います。よろしくお願いします」
「…………あおい」
名前を聞いた瞬間、心臓が激しく鼓動を鳴らし、俺は自然と左胸に手を当てた。
子供の頃から夢や不思議体験のような白昼夢を見続けてきたが、久しぶりにこの感覚を味わった。あおいという名前の人はは今まで出会ったことはないけれど、いつも身近にいた気さえする。
「佐藤君と佐藤君がペアなんて、どっち呼ばれたか分からなくなっちゃいそうね」
「ふふ……そうですね。俺が彼に仕事を教えます」
置かれたままの缶コーヒーは、汗をかき始めた。もう一つの缶コーヒーはプシュッと良い音を立て、佐藤葵が静かに傾ける。
「どうぞ。召し上がれ」
「あの……はあ、……はい」
微糖のコーヒーは、微の定義が曖昧なくらい甘い。でも緊張していたし、甘いコーヒーで良かった。
「……会いたかった……すごく」
「……お、俺に、ですか?」
「…………うん」
男が男に向ける視線にしては、情熱的すぎる気がする。
「ほら、相棒になるわけだし」
「ああ……ですよね。佐藤鈴弥です。こちらこそよろしくお願いします」
「…………鈴弥」
心臓がまたおかしな音を鳴らす。薬を飲んだ方がいいんじゃないかと思うほど、張り裂けそうだ。痛い、苦しい。その呼び名は違うと、もうひとりの僕が訴えている。
「……鈴弥で」
「いいの? 鈴弥って呼んでも」
「同じ佐藤ですし、こんがらがっちゃいますから」
「んー、でも仕事中は佐藤って呼ぶよ。プライベートでは名前で呼ぼうかな」
プライベート。それは仕事終わりの付き合いもしようという誘いだろうか。
缶コーヒーをお供に、今日は打ち込みだけで終わった。
家に帰って熱いシャワーを浴び、サイダーでひとりで乾杯をした。
佐藤葵という存在は、偶然と片づけるには出来すぎだった。佐藤はありふれた名字でも、名前は本に落書きされた名前と同じ。佐藤と葵。
机の引き出しからお守りを取り出すと、相変わらず狐が俺を見つめている。お守りは一年で効果が切れるというが、これはずっと持続して俺を守ってくれている。
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