過去を見据える観測者

不来方しい

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第二章 探偵の卵と佐藤葵

016 お泊まり

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 ひとり暮らしのアパートの前まできて、俺は鍵を差し込む直前に妙なことに気づいた。
「佐藤さん、俺のアパートに来るの初めてですよね? どうして説明もなしに家が分かったんですか?」
「探偵らしく鋭い感覚だね。キミの履歴書を見たからだよ。納得してくれた?」
「納得はしましたけど、腑に落ちません」
「あは、だろうね」
 佐藤さんのお腹が小さくなった。昼以来、水すらまともに飲んでいない。
 冷蔵庫には豚肉が入っている。フライパンで焼いて焼き肉のタレを絡め、どんぶりにご飯と千切りキャベツ、一番上に豚肉を乗せた。それとレトルトの春雨スープ。
「すごい。ちゃんと作ってるんだ」
「凝ったものはできないですよ。片方はレトルトだし、キャベツ千切りは九十八円で買ったものだし」
「俺より立派だよ。ちなみに昨日はジャンクフードね。家に持って帰ったらポテトがしおれてた」
「しおれても美味しいポテトとそうじゃないのがありますよね。塩味の違いかなあ」
「使っている芋や形状も関係があるかも。探偵として依頼がきたら、ぜひ調べてみたいところだね」
 佐藤さんは残さず食べてくれた。食べている途中で、結婚しかないね、結婚しようとぶつぶつ言っていたが、無視して食べ続けた。焼き肉タレの功績は大きい。
 片づけをしようと立ち上がると、カーテンの隙間から一瞬強い光が差した。光の後に遅れて地響きのような音が鳴る。驚いて皿を落としそうになった。
「今日雨の予定でもあった?」
「確か、晴れのち曇りだった気がします」
 雨予報なんてなかったのに、叩きつける雨がアスファルトと屋根に響く。空の機嫌が悪いのか、八つ当たりをされているみたいだ。
「雷怖いなあ」
「苦手ですか?」
「好きじゃないよ。独りじゃなくてよかった」
 俺より年上なのに、子供じみた笑顔はなんだか可愛かった。
 母性本能がくすぐられる意味は、こういうことなのかと知る。
「提案なんですけど、もしよければ泊まっていきます? 明日俺も佐藤さんも休みだし」
「いいの? 悪いなあ。家賃代と食事代は請求していいからね。手始めに片づけは俺がやるから、鈴弥は先にシャワーでも浴びてきて」
 慣れない鈴弥呼びだ。学生時代だってそう多かった呼ばれ方ではない。むしろ覚えてもらえなかったと思う。
 有り難く先にシャワーを済ませ、キッチンを覗くと、夕食前よりきっちり片づいていた。
「ねえ、佐藤さん。どうして皿の位置分かったんですか?」
「え?」
 皿だけではなく、フライパンの置き方も箸の場所も完璧だ。怖い。佐藤さんが怖い。
「鈴弥が料理するところ見てたからかな。フライパンはそこから出したし、そっちの棚には普段使いの皿や箸。合ってる?」
「合いすぎて、私生活を覗かれてる気分です……どういうこと?」
「やっぱり結婚しかないよ、これ」
「シャワーをどうぞ。着替えも置いたんで、洗濯したいものは洗濯機に突っ込んでおいて下さい。デザートにバニラアイスがあります」
「やった。甘いもの大好き」
 子供みたいにアイスクリームに釣られ、小走りでシャワールームへ向かった。二つ買っておいてよかった。チョコミントにチャレンジしていたら、もしかしたら出さなかったかもしれない。癖もあるし、例のあれに似ている味だと言われたら俺もしばらく食べられなくなる。
 子供に戻った佐藤さんはさっさと出てきて、バスタオルで頭を拭いているものの、バスローブに滴っている。
「もう、こっちに来て下さい!」
 絨毯に滴がこぼれ落ちる。ソファーに座らせ、大型犬を愛でる勢いで頭をがしがしと拭いた。
「うわ……気持ちいい……」
「いつも彼女さんにやってもらってるんですか?」
 バスタオルの隙間から見える目はストーカーさながらで、狙った獲物を逃すまいと、俺の手首を掴んでくる。
「……アイス」
「はいはい、出してきます。ちゃんと髪乾かして下さいね」
 わざわざ皿に出す理由はないだろう。冷凍庫から冷え冷えのアイスクリームを取り出し、スプーンを添えて彼に渡した。
 バスローブの隙間から鍛えられた白い足が見えて、俺は慌てて目を逸らした。
「……さっき、変なこと聞いてきたでしょ?」
「変なこと?」
「彼女にやってもらっているか」
「ああ……変なことですかね」
「変なことだよ!」
 なんだかアットホームバージョンの佐藤葵は、ちょっと子供っぽい。綾川さん絡みのときは、頼れる先輩という感じがしたのに。
「キミは女性と限定した。人にはそれぞれ事情がある。センシティヴな内容だし、彼女じゃなく恋人にすべきだったよ」
「……ごめんなさい」
「あっいやいや、そんな真剣に考えなくても」
「確かに、俺の言い方は人を傷つける恐れがありました」
「俺が言いたいのはそうじゃなくて! 気をつけるに越したことはないけど!」
 なんだか微妙な空気が流れてしまった。けっこう大きめのバニラアイスはもうない。食べてごまかそうとしても後の祭り。
 微妙だと思っているのはおそらく俺だけで、佐藤さんは俺の伸びた髪を弄りたおしている。髪を弄るのが好きなのかと思ったが、自分の髪には無関心。眠くなったのか、俺の肩に頭を乗せてきた。
「今日、俺はどこで寝たらいいの?」
「ベッドがありますよ」
「………………ええっ?」
「なんですか、その声」
「おっ俺も? 一緒に寝ていいの? ほ、ほんとに?」
「え?」
「え?」
 勘違いに勘違いが積み重なった山は脆く、簡単に崩れ去った。
「俺が今座っているソファーで寝ますから、佐藤さんは俺のベッドを使って下さい」
 滑舌よく、はっきりと答えた。今度はしっかり伝わった。ぶんぶん振っていた尻尾が下がり、不愉快だ、と顔が物語っている。
「あのさあ……そういうことじゃないんだよなあ……」
「一緒に寝ます?」
「はい」
 うちの会社に決まりました、はい、くらいの重いノリだ。「はい」の一言にありがとうやらいろんなものが込められている。結婚しよう、はい。会社よりこちらの方がしっくりくる。
「ベッド大きいんで、寝られなくはないですけど……枕とか布団に俺の匂いついちゃってますよ? 洗い立てってわけじゃないし」
「……………………いいね」
「ん?」
「寝ようか、ベッドで。ふたりで」
 小声で何を言ったのだろう。聞こえなかった。
 仲良く並んで歯磨きをし、部屋を案内した。親ですら立ち入った経験のないプライベートルームだ。そう言うと、なんだか芸能人になった気もする。
 物珍しいのか辺りを見渡し、本棚で目が止まった。実家にあるものより、かなり小さい。半分もない。全部持ってきたかったが、ぼろぼろになった本を中心に持ってきた。俺がよく開いている確かな証拠だから。
 佐藤さんは真っ黒い表紙の本を手にした。最初のページをめくっていき、物語が始まる直前で止まる。
「…………あおい」
「それなりに並んだ本の中で、どうしてそれを取ったんですか?」
「最近読んでたでしょ? 綺麗に並べていたのに、これだけ少し前に出ていたから」
 確かにそうだ。理由を聞けば、もっともらしい正論で帰ってくる。家の場所も、フライパンや皿の位置も、本も。何もおかしいことはない。なのに。
 何かが違うと心に住むもう一人の俺が訴えている。偽物の正論を並べているだけだと。ガラスの部屋に閉じこめられていて姿形は見えるのに、口は開いていても何を話しているのか聞き取れない。
「佐藤さんって……何者?」
「俺が怖い?」
「………………怖い、のかな。よく分からない」
「怖がらなくていい。俺は、キミの過去を少し知っているだけだから」
「不思議な童話の話のこと? 過去に会ったことがある? お守りも知っていたし」
「それでいい。鈴弥、俺に敬語は使わなくていいんだ。それが本来の姿だから」
「過去に……俺は佐藤さんと会って……なんて呼んでた?」
「…………ダーリン」
「嘘つきっ。それは絶対にないっ」
「あは、ばれた?」
 佐藤さんは、さあ寝よう、と布団をばんばん叩いた。こういうときは「大丈夫、何もしないよ」と言ってほしかったのに「大丈夫、期待に答えるから」と人智を越えた答えが返ってきた。
「ちょっと、重いっ」
「腕枕? それとも子守歌?」
「どっちもいらないよ……早く寝ようよ」
 不思議なことに、今まで敬語を使っていたのが嘘のようにざっくりとした話し方の方が馴染む。さすがに仕事中は敬語に戻るが、間違ってざっくばらんな話し方になってしまいそうだ。
「鈴弥って良い匂いだよねえ……俺にこの枕くれない?」
「佐藤さんって変態って言われません? 職場の人とかに」
「まさか。ありえないよ。何言ってんの?」
「いやそれ……こっちのセリフだし……」
「一回、抱きしめてもいい?」
 脈絡のない会話はどこまで続くのかと、適当に相づちを打ってしまった。
 足を絡めたまま、背中に回された手は、ほんの少し震えていた。口ではなんでもないよ、余裕だよと装っていても、強がりの盾を携えている。可愛くて可哀想に思えてきて、俺も背中に手を回した。嫌じゃない。むしろ……そこにあった場に還っていくように、とてと落ち着く。
 匂いだ。ちょっと変わったお香のような、懐かしい香りがする。佐藤さんのことを変態呼びしたけれど、僕も人のことを言えない。
「……勃ってる」
「そういうの、言わなくていいです……」
「息荒いよ? 大丈夫?」
「いざとなったらトイレ行くし、大丈夫」
「いやいや、トイレより便利で気持ちいいことあるでしょ?」
「……冗談でしょ?」
 質問に質問で返してしまった。
 パジャマの隙間から手が入り、下着にまで入るものだから太股でおもいっきり挟んだ。
「太股気持ちいい……」
「……変態って言われたことないの?」
「ないよ。キミ以外は」
 ああもう。どうにでもなれ。
 全身の力を抜くと、耳元でとんでもない猥褻な発言を囁く上司は、上着のボタンを器用に片手で外していった。
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