過去を見据える観測者

不来方しい

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第二章 探偵の卵と佐藤葵

018 ありがとう、観測者さん

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「お前が……探偵になったと噂で聞いた……。いつも俺の邪魔ばかりするんだな……」
 いつもってなんだ。言葉を呑み込んだ。口に出せる雰囲気ではない。
 ぼや騒ぎのときより大きい悲鳴が沸き起こる。なんとか息を吸おうと、短くは、は、と吸っては吐いた。
 葵に腕を掴まれ、影が覆い被さった。手が大きく震え、けれど離そうとはしない。
「杉野誠一だな。お前がストーカー行為をしているのは知っていた」
 怖がって腰の抜ける女性、窓越しに何かを叫ぶ子供、一直線に逃げるサラリーマン。
「もうすぐ警察も来る。逮捕まで時間の問題だ」
「さ、佐藤さん……お願いだから……煽るようなことを……」
 おかしい。この人は探偵学校は出ていないのか。学校では、犯人と対峙したときの方法も学んでいる。警察じゃないんだからとぼやく同級生の横で必死に頭に入れていた俺は、よく頑張ったと褒めてやりたい。なのに、目の前ではすべて覆すようなことが行われている。
「放火もお前か?」
「答えるかよ」
「なぜこんなことをした?」
「さあな」
 ナイフの先は佐藤さんに向かう。辺りからまた小さな悲鳴が起こった。
「どけよ」
「断る。彼は関係ないだろう」
「あるさ。ずっとな。いつもいつも人の幸せを邪魔しやがって」
「邪魔って……邪魔するほど俺たち付き合いはなかったはずだよ」
「俺が退学処分を食らったのも、女に振られたのも全部お前のせいだ。本当はお前に一番復讐したかった。命を捨ててでも、殺したくて殺したくてたまらなかった」
「な、なんだよそれ……」
「お前が万引きのことチクったんだろう!」
「……………………は?」
 場にそぐわない、変な声が出てしまった。
 俺がチクった?
 なんの話だ。
「お前の探偵ごっこせいで、俺の人生はめちゃくちゃだ!」
 探偵ごっこ……。
 高校時代に作った探偵クラブは、俺が作り俺の代で終わった。俺はひとりで活動をして……それで……。
「……ひとり、だったのか……?」
 おかしい。何かがおかしい。もうひとりの自分が違う、目を覚ませと最奥で騒ぎ出す。
 そもそも、本当にひとりで活動していたのか?
 廊下に貼られたポスターは?
 お守りは?
 あおい。
 あおい。
 あおい。
 何度も何度も心の中で呼びかけると、目の前の佐藤葵は大きな手で俺の手を包んだ。
 一瞬、身体の中心から光のようなものが弾け、全身を包んでいった。
 直感と記憶が交差し、光は一直線に進んでいく。ものすごいスピードで、直感を信じて追いかけないと引き離されてしまう。
 それでいいと、もうひとりの俺が大きく頷く。信じていい。信じてしまえば、楽になれた。けれど決定的な証拠がない。おそらく、鍵を握っているのが目の前の男。
「お前と、目の前の男だ。ふたりまとめて殺してやる」
 未だに俺をかばい続ける佐藤さんは、一向に手を離してくれない。
 先に動いたのは杉野だ。鋭い切っ先をまっすぐに向けて、こちらに数歩進んだ。
 佐藤さんは動かず、片手を俺の拳へ、もう片方は広げたまま。自身をかばおうともしない。先端ごと受け入れようと言わんばかりの体勢のまま、俺の拳にさらに圧力がかかる。
「……ぐっ…………」
 聞いたこともない低いうなり声が耳に届くのとほぼ同時、けたたましい叫び声も響く。
「佐藤さん……?」
 崩れ落ちた身体を抱き寄せると、異常に体温が高かった。金具がアスファルトに落ちた音が鳴り、確認もしていないのに佐藤さんは刺されたと頭が真っ白になった。
 杉野の背後には警察官がいて、隙をついて犯人の上からのしかかる。
「そいつ、ストーカーです! 放火の疑いもある!」
 振り絞った声で叫ぶと、警察官は俺を一瞥して、這いつくばって逃げようとする杉野の手足の自由を奪う。
「佐藤さん、佐藤さん!」
「…………、………………っ」
「なんですか? ちゃんと声に出して下さい!」
「……………………リン、」
 リン。
 そうだ。俺は佐藤鈴弥で、リン。
 昔、最近、いつの日か、そう呼ばれていた。そう遠くない記憶は、懐かしさとまばゆい日々を鮮明にしていく。
「…………リンだよ、葵。目を瞑っちゃ駄目だから。起きて、葵」
 血は出ていない。葵の手から落ちたものを拾い、ポケットに入れた。俺が渡した時より重みもあり、私物なのに
 次第に記憶が遠のいていく葵に、俺は必死に名前を呼び続けた。



 雨が降り続き、ようやく太陽が顔を出した。とは言っても雲は空を覆い、すぐに隠れてしまう。暑すぎず、かといって湿気混じりでもなく、過ごしやすい日だ。
「今日、病院に行くの?」
「はい。行ってきます」
「ついでにこれ持っていって」
 東雲さんから小さな紙袋を渡され、今話題のエコだと得意気に笑う。取っ手部分がビニールでできている気がしないでもない。
「なんですか、これ」
「超有名店のプリン。ふたつ入ってるから、ふたりで食べな」
「ありがとうございます」
「めっちゃなめらかだから! すんげー美味いの」
 プリンはなめらかなものと固めのものがあるが、どちらかに全力投球のものはどちらでも美味しい。微妙なのは、中途半端な食感だ。たとえ味がよくても、プリンは食感が命だと思う。
 電車でひと駅しか離れておらず、ホームを出てから数十分歩く。
 受付で面会希望だと告げて手続きをした後、病室へ向かった。
 六人部屋だというのに、入院患者は三人。窓際で本を読む彼はすぐに気づき、利き腕とは逆の手を上げた。
「やあ。毎日お見舞いに来てくれるなんて……これは結婚しかないね」
「これ、東雲さんから。超有名店のプリンだそうです」
「……あとで何か奢られそう」
 百面相が面白くて笑ってしまった。
「ご飯はちゃんと食べてます?」
「うん。食パンが一番美味しい。ついでにいうと、イチゴジャムが癒しだね」
「普段どれだけ塩味の強いものを食べているか分かりますね」
 俺からの差し入れは塩せんべい。開けようとする手を止め、先にプリンにしてと言った。生物は日持ちしない。
 東雲さんが言う通り、舌触りのいいプリンだった。左手で器用に食べるもカップが動くので、食べやすいようにと横から支えた。右手のギプスは大袈裟なほど痛々しい。実際、手のひらにヒビが入っている。
「なに?」
「そっち?」
「そっちって?」
 子供みたいに口をへの字に曲げると、佐藤さんはスプーンを渡してきた。
「ほら」
「あー、幸せ」
「今日だけだよ」
「え? ええ?」
「なにその驚きは」
「いやいや、ないって」
「もう、早く食べてよ」
 美味しい美味しいと何度も言うので、俺のプリンも半分食べさせた。カラメル部分も食べてみたかったが、あまりに喜ぶのでよしとしよう。
「ちょっと散歩しない?」
「外って出てもいいの?」
「うん。室内ばっかりだとどうしても気が滅入るんだよね」
 バルコニーに出ると、車椅子の女性とすれ違った。全然似ていないのに、孤島で出会った女性を思い出した。元気にしているだろうか。
 ちょうどベンチが空いたので腰を下ろすと、ゼロ距離で隣に据わる佐藤さん。じっと睨むと、そういう顔も可愛いとわけの分からない答えが返ってきた。ついでに腰に手を回してきた。
「鈴弥ってさ、」
「もう、リンって呼んでくれないの?」
 佐藤さんは息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。
 泣きそうに歪み、腰に回る手が崩れ落ちた。
「いつ……記憶が戻ったの?」
「葵がストーカーにナイフでやられたとき。本気で刺されたと思って、頭に血が上って身体中熱くなって、いろんなものがフラッシュバックした。昔から俺の中で、俺じゃない人がもうひとり住んでいて、いつも何か叫んでたんだ。でも声は聞こえなくて。記憶を取り戻したとき、初めて『思い出していいんだよ』って声が聞こえた。SNSでくれた過去を見据える観測者って、葵だろ?」
 ナイフにやられる直前、葵は手に握ったお守りで切っ先から守った。重みのあるお守りは葵が事前に鉄を仕込んでいて、腹部にナイフが突き刺さる瞬間、お守りを当て命を守った。命の代わりに右手の手のひらが犠牲になった。衝撃に耐えられず、右手はヒビが入ってしまった。
「また……俺を救ってくれたんだな。過去を何度もやり直して、今回をやり直さなかったのは、最善の選択だったから?」
「やり直したよ。一度目はリンが死んでる。すぐにやり直した。それ以外の選択なんてなかった。二度目もリンが死んだ。俺が逃げろと叫んだら、リンは俺の前に出て杉野から庇った。今回で三度目。ふたりの命が助かった。だから充分だよ」
 俺の手が骨折したわけではないのに、手の中心からじわりと痛みが広がっていく。
「俺は善人じゃない。だから、リンは変な責任を感じなくていい。犠牲になったものが多くて、杉野はそのうちの一人」
「杉野……? 俺たち、探偵クラブだったよな? あいつが万引きしているところを見つけて、ネットで売りさばいているところも見つけたんだよな?」
「そうだよ。杉野の記憶も、リンみたいに曖昧になっている。今いる世界では、本当は杉野は万引きで捕まったんじゃないんだ。でも、あいつも思い出したんだ。そのせいで俺たちに逆恨みをしていた。綾川さんに好意があるのは、どの世界線でも変わらなかった。けれどストーカーをしない世界線もあった。そういう意味では、綾川さんも犠牲にしてしまった」
「……いっぱいいっぱい、辛い思いをひとりで抱えてくれたんだな。ちっぽけな俺を救うために、見えない世界で戦ってくれたんだな。もうこれ以上、しなくていいんだよ。過去にも行かなくていい。葵に何かあっても、俺が守るから」
「……実はこれ以上、何かあってももう行き来できないんだ。限界がきてる。俺の身体ももう持ちそうにない。そんな顔しなくて大丈夫。死ぬわけじゃない。ただ、リンに何かあっても、もう救えない。もう一度戻ったら、俺の身体はバラバラになるかもしれない」
「そしたら、今度は俺が過去に戻るよ」
 歪んだ顔から「あ、鷹が飛んでる」なんてのん気な声が出たものだから、俺も空を見上げてみた。でも鷹なんて飛んでいなくて、隣からは鼻をすする音しかしない。それも気のせいかもしれない。気のせいということにしておく。俺も熱くなる瞼は気のせいだから。両成敗。
 人を犠牲にして生きるのは、傷つけられて生きるよりももっと過酷なのかもしれない。感情は見えないからこそ孤独で、独りよがりの願望はストーカーをも生む。相手が答えれば恋になる。紙一重すぎる。
「退院したらさ、もっとたくさんのこと教えてよ。俺も葵に会えなかった分、話したいことがあるし。孤島での話もしたい。葵の家族かもしれない人に会った」
「それは興味深いなあ」
 食いつくわけでもなく、今日も天気が良いですねくらいの反応だ。
 自分の家族には固執していないのかもしれない。彼にとってはもう過去の話で、変えるべきものではない。
 お兄ちゃん、お兄ちゃんと、俺は大きな建物に住む男性に懐いていた。摘んだ花を持っていけば、嬉しそうに笑い、絞り出すような声でありがとうと言うと、お兄ちゃんは決まって空を見上げた。
 いつの間にか建物は壊されることになり、大好きなお兄ちゃんの行方も分からなくなった。代わりにできたお兄ちゃんの家よりも大きな屋敷は、なんだか不気味で近寄りがたい存在だった。俺は近づかなくなり、記憶も奥底に沈めていた。
 高校生のとき、年齢を偽って現れた水瀬葵。ふたりで探偵クラブを活動をし、同級生の杉野誠一の万引きを密告した。彼からすれば、俺たちのせいで人生がおかしくなったと言う。
 葵は俺の前から消え、同時に記憶もなくした。正確に言うと、なくしたというより上書きされた。こちらの方がしっくりくる。上書きは下になるものがあって、起こったことはなくならない。
 探偵学校を卒業し、探偵事務所にも就職できた。人生の待ち伏せをされたのは初めてだ。駅前の公園で待ち合わせレベルの話じゃない。
 ここでも俺は死を間近に控えていた。選択肢を間違えれば俺は刺されていた。過去を渡るには、身体に負担がかかり、痛みが襲うという。どれだけ彼は痛みに耐え、俺を救い続けてくれたのか。
 何気に手のひらを見ていたら、横から覗いた葵は「生命線が短すぎ」と笑った。生命線だけでは判断できるものではないが、葵の手のひらと比べると、悔しいくらいに違う。短いし細いし途切れているし、人生苦労しますという、いかにもな生命線だった。
 十年後には笑い合える話でありたいと言うと、葵は目を伏せて無理やり笑みを作った。
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