薫る薔薇に盲目の愛を

不来方しい

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第一章 盲目の世界

017 時代の流れと禁忌の世界

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 優子は蓮を見つめては、吐息混じりのため息をついた。
「ミカの面倒をよく見てくれていたけど、少しおかしいと思っていたのよ。アイカの話をほとんどしたことがないでしょう? アイカの遺品を欲しがるわけでもない、ミカに対して『パパ似てきた』なんて言っても『ママに似てきた』とはほとんど言ったことがなかったんだもの」
「騙したのは俺です。本当に、申し訳ございません」
「いいえ、騙したというのは語弊があるわよ。薫君は一度もアイカに惚れているとは口にしてないでしょ?」
 かずとは無言で頷いた。苦しそうな表情はずっと変わらない。
「生まれてきた時代も違うから、なんていうか……理解が難しいのよ。ご家族には話したの?」
「これから話します。将来ともに生きたい人ができたと言うつもりです」
「ねえ……その……気の迷いとかじゃないのよね」
 呼吸ができない。とにかく苦しかった。
 人の気持ちを蔑ろにした、愚かな言葉だ。
 それでも彼女の言うように「生まれてきた時代」が違う。どの時代であっても否定することは、その人の人生を否定してしまう。いつだって人間は正しいと思って生きている。正義は刃になる。
「ごめんなさいね。言ってはならなかったわ」
「アイカさんたちのことは忘れません。俺の大切な人であるのは変わりないですから。優子さんが俺に前を向いて生きてほしいと言ってくれたように、俺は蓮君と生きていく決心がつきました」
 その人の考え方次第なのだと蓮は思う。男性同士の恋愛や遊びを容認され、当たり前のようにあった時代も存在する。いつから禁忌とされ、このような反応をされなければからなくなったのか。
「僕自身、かずと先生が好きって気持ちは止められないです。理解できない優子さんの気持ちを変えようとも思わないです。ただ僕の人生ですので、誰かのご機嫌取りではなく、好きに生きます」
 かずとは目を開き、蓮を凝視する。
 蓮はただ笑って、
「これはもう、どうしようもない問題なのかなあと思いました。誰かの期待に応えるために生まれてきたわけじゃないですし」
 そう告げた。
「るーちゃんは、ママがすきなの?」
「違うんだ。俺が好きなのは、ミカのお父さんなんだよ」
「…………おとこのひとだよ?」
「ああ、そうなんだ」
 子供の質問にごまかしたりせず、かずとはゆったりとした口調だ。
「長々とありがとうございました。優子さんも、かなり困惑しているかと思います。蓮君が話したように、ご理解頂くのはとても難しいと思います。今日は失礼します」
 かずとは立ち上がったので、続いて蓮もソファーから腰を上げた。
「るーちゃん、かえる? まだあそんでないよ?」
「ごめんね。また今度遊んでくれる?」
「いーよ!」
 ミカは得意げに言った。
「れんくんもまたねー」
「えっ……あ、うん。またね。遊ぼうね」
 無条件に子供に好かれた経験がなく、蓮は戸惑った。だが悪い気はせず、愛情を注ぎたくなる笑顔は崩したくない。
 蓮とかずとは深々と頭を下げ、アイカの家を後にした。
「一緒に来てくれてありがとう。ずっと言えなかった本音だけど、蓮君がいたから初めて言えた」
「前を見ていけそうですか?」
「俺が好きなのは蓮君だよ」
 ほしかった言葉だ。亡き人に嫉妬していないかと言えば嘘になる。
 蓮は胸の辺りをさすった。
「まだ不安?」
「判ってはいるんですけど、時間が止まると抜け出せないって僕にも経験してきたことなんで。母親が決めつけてくる将来にも目が見えなくなったときも絶望しか感じなくて、ひとりで寝ると過去に戻るときがあるんです。トラウマってやつですね」
「良い想い出も過去を縛ったりするし、それは否定できない。でも今は本当に、蓮君との将来しか見てないよ」
「一つ質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「すっごくすっごく恥ずかしいんですけど、僕のどこを好きになったんですか? かずと先生は誰にでも優しくて爽やかで、まだ学生の僕は貯金もあるわけじゃないし……」
 かずとの車に乗った。子供や彼女がいるわけでもない彼の車は、いたって中もシンプルだ。おもちゃがあるわけでもない。煙草の臭いもしない。何もない空間が蓮の心を満たしていく。
「優しくて爽やか、かあ。俺が思う俺の性格は、引っ込み思案で根暗だよ。学校の先生や元クラスメイトに聞いても、多分俺の名前を覚えてる人はほぼいないと思う」
「そんなに目立たなかったんですか?」
「学校の卒業式で、ひとりひとり名前を呼ぶでしょ? 担任、俺の名前が出てこなくて泣いてるふりしてたし。俺って担任にも忘れられる存在だったんだなって思ったよ。かずとー、えー、えー……ううっ……みたいな」
 当時の担任の物まねをしたかずとに、笑ってしまった。
「どこが好きって言われると、自然にそういう気持ちになった、が正しいかな。最初は目の見えない子供って印象くらいだったよ。一時でも俺も目が見えなくなったときがあったし、同情心と仲間意識が芽生えた。蓮君を車椅子に乗せて散歩に行ったりしたでしょう? 純粋に好意を向けてくるし可愛くてたまらなかった。告白もされた経験がないし、嬉しかったから」
「徐々にって感じなんですね。僕は先生の声を聞いて好きになりました。優しいし、ふわっとしててそこがいい。電話で話したりすると心地良いだろうなあって妄想ばっかりしてました」
「連絡先、交換しようか」
 妙にかずとの声が緊張していて、吹き出してしまった。
 タイミングが悪くかずとの端末が鳴った。かずとは京都訛りの言葉で電話に出た。
 親しい間柄のようで、かずとの表情はよく変わる。
 電話を切ると、
「蓮君、今から実家に行こう」
「ええ? 今からですか? 台風に巻き込まれた気分です……」
「スイカ持って帰れってさ」
「田舎だとよくある光景なんですね。田舎暮らしって憧れます」
「蓮君とふたりで? 畑とか耕すのか。それはそれでありだな」
「ど田舎じゃなくても、庭でちょっとした野菜とか花とか育てたいんですよ。僕のおばあちゃんやおじいちゃんがそういう人だから、憧れがあって」
「家庭菜園は庭でできそうだね。水耕栽培なら、家の中でもできるし」
「キッチンの窓のところで、おばあちゃんが小松菜を育てていて……」
 夢や将来を語るのはこんなにも楽しいものだと知った。
 十年先も彼が隣にいてくれたら、どんなにいいか。
 かずとの家に着いた。立派な平屋の家で、かずとに似た女性が顔を出した。助手席に乗る蓮を見ると、口角を上げた。
「可愛い子だね。恋人?」
「うん。紹介しようと思って。東京から来てくれたんだ」
 蓮は呆然としてしまった。自分の親だからか、優子と比べるとあっけらかんとしている。
「ずいぶん可愛い子だねえ」
「初めまして。宮野蓮といいます」
「蓮君ね。薫の母です。いつもお世話になってます。スイカは好き?」
「はい、大好きです」
「小ぶりなんだけど、持って帰ってふたりで食べなさい」
「ありがとうございます」
「家に上がってご馳走したいんだけど、これから用事があって外出しなくちゃいけないのよ」
「また連れてくるよ。今度はちゃんと予定立てるから。今回は急だったんだ」
「そうしてちょうだい。蓮君、また遊びに来てね」
 帰りにかずとの母からペットボトル二本を渡された。
 受け入れられている、と思うと心が熱くなる。決して夏の暑さが原因ではない。
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