二度目の初恋と軟禁された蜜月

不来方しい

文字の大きさ
26 / 29
第三章 現実

026 アガサという女性

しおりを挟む
 締め切り間近でパソコンと向かい合っていると、インターホンが鳴った。
『ピザのお届けに上がりました』
 チョコレート肌をした男性が立っていて、白い歯を眩しいほど見せつけてくる。いい笑顔だ。
「あの……頼んでませんが……」
 みるみるうちに笑顔が萎んでいく。申し訳ないことをしてしまったが、頼んでいないのは本当だ。リチャードは仕事で家を出ているし、頼んだ人は誰もいない。
 男性の口から住所がつらつら出てくるが、確かに僕らのマンションだ。
「でも頼んでないんです」
『そうですか……何かのミスかもしれませんね』
「だと思います」
『ご家族の方の注文という可能性は?』
「それはないかと」
『おかしいなあ……』
 ピザに限らず、家に誰かを呼ぶのはセシル以外控えている。もし食べたいときは、必ずリチャードとふたりでいるときだけだ。
 ピザ宅配の人は帰っていった。
 その夜、わざわざリチャードに報告する話でもないのでピザ屋の件は特に何も言わなかった。というより、仕事の締め切りが近いのとベッドに引きずり込まれたのがセットになり、頭の片隅にも残っていなかった。

  原稿を送り、仕事がある程度片づいたので、僕は久しぶりに買い物と散歩を楽しむことにした。
 見慣れている道であっても、仕事中と仕事終わりでは見える景色が違う。道が僕を案内してくれているようで、吸い込まれるまま屋台のある方向へ歩いた。
「こんにちは」
 甘酸っぱいベリージュースを公園のベンチで飲んでいると、女性が話しかけてきた。
 いかにもデートです、という格好で、僕が隣にいるのが申し訳なくなるくらい。
「あなたはディックを知っていますか?」
 べこっとカップが情けない音を鳴らす。
 ディック。これはリチャードの愛称だ。僕も呼ばない。呼んでいるのを見たことがあるのは、リチャードの父と弟のセシル、そして挨拶に行ったときに会った母親だけだ。親しい間柄のみ呼ぶことが許される呼び名。僕も呼ばせてもらえないわけじゃないが、初めて会ったときにリチャードだと挨拶されているので、僕はこれからもリチャードと呼び続けたい。
「あなたは?」
 好奇心より圧倒的に勝った警戒心で、質問に答えずに質問で返した。二度目のべこっが響く。強くカップを持ちすぎた。
「ディックの……知り合いです。学生時代の同級生」
 間はなんだと言いたくなった。肝心なことを隠しているような言い方。そして何かを匂わせようとしている。
 さて、どう出ようか。とりあえず、残りのジュースを飲み干した。
「あなたとディックが歩いているのを見かけたもので、」
「いつですか?」
 ちょっと前のめりになって聞いてみる。リチャードは尋問するとき、威圧のためか身体を前に出す。僕もまねてみた。
「先週の、日曜日だったかと……」
 先週は確かにふたりでカフェでランチを取った。間違ってはいない。
「もし連絡先を知っているなら、会わせてもらえませんか?」
「それは……彼の仕事の都合もありますし」
「私が合わせます」
「しばらく帰ってこないかも……」
「待ちます。弁護士って忙しいんですね」
 そうだった。リチャードは法学部に通い、弁護士だという設定だ。法学部へ行くと友人には伝えたのだろう。
「お願いします。どうしても会わないといけないんです」
「お名前を教えてもらえますか?」
 彼女は目を逸らしながらアガサと名乗った。僕の好きな小説家と同じ名前だった。

 夕食の準備をしていると、リチャードが後ろから抱きついて甘えてきた。
「リチャード、危ないですよ」
「ちゃんと何を作っているか判断してから抱きついてるさ」
 抱きつかないという選択肢はないようだ。したいままにさせておこう。僕の心も平穏が保たれる。いつもなら。
「何かあったのか?」
 いち早く察してくれるリチャードに、しばらく僕も甘えていた。キッチンで何をしているんだと、鍋から出る湯気を見ながらぼんやりと考えた。
「アガサって、知っていますか?」
 珍しいことに、リチャードはこれでもかと驚いた顔をしている。間違いなく知り合いだ。
「そう名乗る女性に、今日会ったんです。仕事が終わって買い物ついでに散歩してたら、公園で」
「何を話した?」
「ディックに会いたいと言っていました。会えるなら、僕を通してでも連絡がほしいって。リチャードみたく背が高い女性でした。ブロンドヘアーをまとめて、意思の強そうな感じの人です」
「……分かった。俺から連絡する」
 出そうになる意地汚い本音は、なんとか噛み締めて口から出さないようにした。僕にしてはえらい。よくやった。
 その日に食べた夕食は、少ししょっぱかった。涙の味とごまかしたいところだが、ただの塩の入れすぎだった。リチャードは美味しい美味しいと食べてくれる。それが切ない。
 いつも一緒に寝ようと誘ってくるのに、今日のリチャードは何も言ってくれなかった。僕も誘える雰囲気ではなく、キスをしてそれぞれの自室へ戻った。
「誰だろう……アガサって」
 友人であれば、あんな切羽詰まった声を出さないはずだ。懐かしそうに会いたいと告げるだけでいい。浮かぶものがあっても、声に出せるほど僕は心が広くない。
 もやもやしたまま眠りにつくと、朝はリチャードが先に起きていた。彼が早かったんじゃなく、僕が遅すぎた。
 パンにチーズとハムを挟んだサンドイッチと、バナナのスムージー。リチャードの成長をまたしても知ることができた。格段に上手くなっていく。僕が必要とされなくなる日がくる。
「締め切り間に合ったって言ってたけど、今日時間はある? ちょっと付き合ってほしいところがあるんだ」
 昨日の今日であっても、リチャードはあまり変わらないトーンで告げた。
「大丈夫です。どこに行くんですか?」
「病院」
「え」
「俺がどこか悪いわけじゃないよ。知り合いが入院していて、会いにいくことになった。こそこそするまねをしたくないから、君を連れていきたい」
 リチャードは余計なことは言わないが、昨日会った女性の関係者だ。朝から変な汗が出てきて、気のせいだと思いたくてスムージーを口にした。とにかく、バナナが全面にくる。多分、ミルクを入れ忘れている。後からもミルクが追いかけてこない。
「ナオが会ったアガサを名乗る女性の話だけど、彼女のことから話さなければならないね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

聖女召喚の巻き添えで喚ばれた「オマケ」の男子高校生ですが、魔王様の「抱き枕」として重宝されています

八百屋 成美
BL
聖女召喚に巻き込まれて異世界に来た主人公。聖女は優遇されるが、魔力のない主人公は城から追い出され、魔の森へ捨てられる。 そこで出会ったのは、強大な魔力ゆえに不眠症に悩む魔王。なぜか主人公の「匂い」や「体温」だけが魔王を安眠させることができると判明し、魔王城で「生きた抱き枕」として飼われることになる。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

ノリで付き合っただけなのに、別れてくれなくて詰んでる

cheeery
BL
告白23連敗中の高校二年生・浅海凪。失恋のショックと友人たちの悪ノリから、クラス一のモテ男で親友、久遠碧斗に勢いで「付き合うか」と言ってしまう。冗談で済むと思いきや、碧斗は「いいよ」とあっさり承諾し本気で付き合うことになってしまった。 「付き合おうって言ったのは凪だよね」 あの流れで本気だとは思わないだろおおお。 凪はなんとか碧斗に愛想を尽かされようと、嫌われよう大作戦を実行するが……?

もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。 目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。 二度と同じ運命はたどりたくない。 家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。 だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

聖者の愛はお前だけのもの

いちみりヒビキ
BL
スパダリ聖者とツンデレ王子の王道イチャラブファンタジー。 <あらすじ> ツンデレ王子”ユリウス”の元に、希少な男性聖者”レオンハルト”がやってきた。 ユリウスは、魔法が使えないレオンハルトを偽聖者と罵るが、心の中ではレオンハルトのことが気になって仕方ない。 意地悪なのにとても優しいレオンハルト。そして、圧倒的な拳の破壊力で、数々の難題を解決していく姿に、ユリウスは惹かれ、次第に心を許していく……。 全年齢対象。

処理中です...