霊救師ルカ

不来方しい

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5-ルカの過去

032 婚約

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『ハルカ・カゲモリです。王子に選んで頂けて、大変光栄に思います』
 ひそひそと聞こえる声はフランス語であり意味は理解できないが、歓迎されていないのは通じなくとも読み取れた。ルカ以外は誰も喜んでいる者はいない。異国の男性というのは、それほど城全体に衝撃を与えた。
『ルカ、本当に選んだのか?』
『はい』
『嘘偽りはないな?』
『もちろんでございます』
『なぜ、彼を?』
『純粋な瞳に惹かれました。目は心を映し出します。彼は心も美しい。お話をして、ますます彼を知りたくなりました』
『うーむ……』
 悠にも分かるように、会話は英語で行われた。目の前にいるのはルカの叔父に当たる人物で、シモン・ド・キュスティーヌだとルカは説明した。現在の城の持ち主だが、財産相続の権限はないとも付け加えた。
『その、ルカは前に……』
『妻がいたことですか?すべて彼に話してあります。彼は私が過去にどんな女性とお付き合いをしていようが構わない、すべて愛しますと誓って下さいました』
 そのような発言をした覚えは一切ないが、悠は力強く頷いた。
『ルカは……男性が好きだったのか?』
『月並みなお言葉ですが、愛に性別など関係ございません』
『しかし…王子が男性と結婚など……』
『ドキュスティーヌ家には代々受け継がれている言葉がございますね。そのうちの一つが、性別、年齢、国籍問わず人を愛し、差別をしないと』
『まあ、それはそうだが』
『おじさま、お願いがございます。私は悠のことをもっと知りたい。どうか、国民の皆様には悠の素性を話さないで頂きたいのです』
『しかし』
『悠はまだ学生です。優先すべきは勉学であり、それを邪魔したくはないのです』
 止まることなくよく動く口に、悠は口が開いているのにも気づかないほど感心した。
『それと、婚約の儀はまだ先に持ち越して頂きたいのです』
『それでは国民も納得しないだろう』
『私は結婚は二度目になります。悠とはこれからも上手くやっていきたい。お互いを理解しあうには、時間が必要です。まずはお友達から、といったところでしょうか。ですがこの先も彼だけを愛すと誓った証に、悠』
『はい』
 悠は笑いを堪えながら、胸元からロケットペンダントを出した。回りの従者たちもざわめき始める。
『それを渡したのか』
『左様でございます。ずっと彼に持っていてほしい』
『うーん……』
 またもや唸る。王の立場からすれば、唸るしかないだろう。家元の出でもなく、社長令嬢でもなく、庶民でありしかも同性だ。フランスでは同性婚が認められているとはいえ、マスコミに追いかけられるのは目に見えているし、好奇の目にだって晒される。
『とりあえず分かった。承諾しよう』
『ありがとうございます』
『ハルカ』
『はい』
『君の素性は調べてある。身寄りもおらず、孤独にも耐え、大学の成績も優秀なようだ。それを踏まえて失礼な質問をするが、君は財産に目が眩んだのか?』
 いきなり確信のついた質問であるが、悠の答えは決まっていた。
『いいえ。もし財産を頂ける立場になったとしても、私は1ユーロも受け取る気はございません』
『それはなぜだ?』
『王子が側にいて下されば、僕は幸せです』
『悠……』
 ルカは目を少し潤ませ、悠を見つめた。この顔はよく知っている。早くカレーが食べたいと言っている目だ。『早くあなたとふたりきりになりたい。悠にたくさんの愛を囁きたい』
 ルカの頭の中はカレーで埋め尽くされている。
『もう一度確認するが、いずれ婚約を交わすのだな?』
 シモンは顔をしかめながらルカに問う。
『はい』
『ハルカも、それで良いのだな?』
『はい』
『よろしい。認めよう』
『ありがとうございます。いずれ母にも紹介するために、イタリアへ参ります』
『そうした方がいい。久しく会っていないようだからな。私の弟には』
『父には、会う気はございません』
『……そうか。すまないな』
『私の家庭の問題でございます』
『謝罪ついでに、私の息子が迷惑をかけるかもしれない。テオドールには話してはいるが……』
『彼は誰よりも野心家であり、同性愛を嫌います。私はすべてを受け入れてもらおうなどとは思っておりません。毛嫌いという気持ちを持つのも彼の一部を形成しています。否定は致しません』
『ありがとう。君は優しい子だ』
 テオドールはシモンの息子だと会話で読み取れた。
『では悠、私の部屋に参りましょう。食事も用意させます』
『はい、王子』 
『食事は彼とふたりで取ります』
 念を押すように言うルカに、悠は口元を押さえ笑いを噛み殺した。

 本棚には英語やイタリア語の教材、中でも日本語の教材が一際目立つ。王子らしい部屋というよりは、学生らしい部屋だ。ベッドも映画で観るようなキングサイズのものではなく、至ってシンプルで、しかし上質な布団を使っている。
 ひと通り案内してもらったあと、ようやくテーブルにつく。緊張からか、大した歩いたわけでもないのに筋肉が悲鳴を上げていた。
「あったかいご飯に、常温や冷たいカレーもなかなかいけます」
「悠はいつもそのような召し上がり方ですか?」
「温めるのが面倒なときとか。今日は温める鍋もないのでこのままかけちゃいます」
「ブラーヴォ。ぜひそのマナーを取り入れたい」
「マナーってほどじゃないんですが」
 お皿に盛られたライスはルカがわざわざアジアの米が良いと注文したものだ。フランスで食べられる米は細長く、さらさらとしている。アジアの米はもっちりで、甘みが強い。
 常温のレトルトカレーをご飯の上にかけると、スパイスの良い香りが広がった。
「いただきます」
 スプーンを口に運び、口を動かす。無言のまま食べ進めていく。
 夕食はチキンやスープなども用意されている。チキンは柔らかくジューシーで、悠はほぼ平らげた。
「話の内容でご理解されたと思いますが一応。シモンは私の父の兄で、テオドールはシモンの息子になります。彼は今、イギリスの大学に通っています」
 誰もが知っている大学名がルカの口から出た。
「はあ、優秀なんですね……」
「優秀なのは結構ですが、先ほども申し上げた通り、かなりの野心家でもあります。私を慕ってくれてはいますが、しかし城や財産を手に入れるためなら手段を選ばない性格も持ち合わせています。ですが悠は守りますので、私の側から離れないように」
 カレーを食べ満足そうな顔で、デザートのブランマンジェに手をつけている。
「テオドールさんはルカさんがオッドアイなのを知ってるんですか?」
「テオドールもシモンおじさまも知りませんが、遺書の内容は頭に入っています」
 ドアがノックされ、ルカはどうぞと声をかけると、独特の白い衣装に身を包む女性たちが現れた。不機嫌を隠そうともせず、ルカは頭を抱えた。
「悠はここで待機。部屋から出ないように。黙ってデザートでも食べていなさい」
 ルカが出るなと言えば従うしかない。廊下では争う声が聞こえたが、やがて荒波は去っていった。
 時間にしておよそ20分ほど経過したあとだ。やることがなく、本棚を眺めていると、いきなり扉がバンと開かれた。扉の開け方からしてルカでない。醜いものを見るかのように、背の高い男は悠を睨みつけている。ブロンドヘアで、ルカのように目元は甘くない。どちらかというと、狙った獲物を逃さない鋭い目つきだ。
『どなたでしょうか?』
  英語で呼びかけても睨むだけで、男は何も喋らない。
『すみません、フランス語は分からないのです』
『アンタ、ルークの結婚相手か?』
 英語を話せる男は厳しい視線を悠に向け続ける。ルークとは、ルカの愛称のようだ。悠は頷いた。
『アジア人で、しかも男かよ。どんな趣味してんだ』
『ハルカ・カゲモリです。よろしくお願いします』
『お前には名乗らない。出ていけ』
 好かれていないのは明白だ。それでも悠は淡々と答える。
『嫌です』
『は?』
『ルカさんは部屋から出るなと言いました。だから僕は出ません。彼に従います』
『なんだと?』
 瞼がぴくりと反応した。
『それにここ、ルカさんの部屋ですよ?勝手に入ってきていいんですか?』
『お前とは立場が違うんだよ』
『はあ』
『一般庶民が選ばれるなんてあり得ねえ。どんな手を使ったんだ?』
『ただお話ししただけです』
『嘘を吐くな。あのルークだぞ?成績優秀で運動神経も良くて女に困らなかったルークが、なんでお前みたいなガキで一般庶民を選ぶ?しかも男だ。からくりがあるはずだ』
 からくりは確かにあるが、悠はドアの向こう側を指差した。
『それはルカさんに聞いて下さい』
 ドアに凭れ、腕を組むルカはカサブランカのように大層美しかった。カサブランカの花言葉は威厳や壮大な美しさで、まさに今のルカにぴったりだ。そして悠は良く知っている。あの顔は激怒だ。
『……テオドール』
 悠はぎょっとして、テオドールと呼ばれた男を見た。
 同性愛を嫌い、野心家で名門の大学に通うルカのいとこ。ルカを目の前にして、額に汗が滲んでいる。
『なぜ、あなたがここに?』
『いや、ルークがお見合いしたっていうから見に……』
『部屋に入る許可はしていない。それに私が誰を選ぼうと、あなたには関係ないはずだ』
『国民になんて説明すんだよ』
『同性を選びました』
『まんまじゃねーか!納得するはずないだろう!聞いたぞ、今から初夜の儀……』
『テオドール』
 よりいっそう、ルカの声が低くなった。早口で悠には聞き取れない。
『悠に謝罪し、部屋から出ていけば許してあげましょう』
『はあ?謝罪?』
『仮にも私の結婚相手となる人です。その方がいる部屋に許可なく入り込み、なお怒鳴りつけるなど、あなたのお父上の耳に入ったらどうなるかご存知ですね』
 男の目線は泳ぎ、謝りたくないと全身から言葉を発している。やがて観念したのか、
『……悪かったよ』
 一言言い残し、とぼとぼと部屋から出ていってしまった。喧騒が去ると、ルカはすまなそうに頭を下げた。
「怖い思いをさせましたね」
「いえ、僕は大丈夫ですよ。それより、さっきテオドールは何を言っていたんですか?」
「……納得していないのはテオドールだけではないのです。婚儀を終えたあと、とある儀式を行うのですが、私とあなたの本気を試すために、私の父が勝手に早め、仕向けたのです」
「儀式?仕向けた?」
「まだ婚約すら結んでないというのに…全く。悠は何も知りませんと、そう通しなさい」
「ルカさんがそう言うなら…了解です」
 結局儀式はなんなのか知らないまま、悠は首を縦に振った。
「それより悠、私は無理を承知であなたにお願いしたいことがあります」
「なんでしょう?」
「この日誌をご覧下さい」
 古びた日誌であり、表紙には名前が刻まれているが、悠には読めなかった。だがだいたいは察しがつく。
「もしかして、財産の遺言書を残した方ですか?」
「そうです。勝手に拝借してきました」
 ルカから白い手袋を渡され、悠も同じように装着する。
「何かおかしいですか?」
「いえ、ただ…こうして白い手袋をはめると、SHIRAYUKIに戻ってきたような気持ちになります」
「私も考えていました。もう少しの辛抱です」
「それで、この先代の方の心を読み取れと仰るんですね?」
「さすが悠です。私の側にいるだけはある。霊救師としての仕事ですので、給料は弾みます。私は先代を家族と認識しまっているのか、声が全く聞こえません。悠にお願いをしたいのです。側にいる雰囲気は感じるのですが」
「やってみます」
 悠は日誌を開き、ゆっくりと1ページずつ捲っていく。
 ふわりとした気持ちと、ずっしりとした重みのある枷が脳に入り交じる。悠はさらに集中させた。
「怨みが大きい。それと、愛の囁きも聞こえます。リアーヌ、愛してる」
「リアーヌ、ですか。それは彼の好きだった女性の名前です」
「確かにリアーヌと言っています。それと、差別は許せない、心はリアーヌ以外に渡さないと」
「今も捕らわれたままなのですね…彼は。悠、もういいです。ご協力感謝します」
 首まで流れた汗をタオルで拭き、日誌を閉じた。
「あの、ルカさん……ユーリさんのことなんですが」
「なぜそこでユーリが出てくるんです?」
「……ユーリさんの声を聞こうと思ったんですが、聞こえませんでした」
「勝手な行いは許しません」
「ごめんなさい」
 軽はずみだったと悠は謝罪するが、すぐにルカは首を横に振り、手を握ってきた。
「謝らなければならないのは私です。私のためを思ってしてくれたのですね」
「いえ、迂闊でした」
「ノアから聞いていると思いますが、私はユーリを殺した犯人を見つけます。そうですね…少し私の話をしましょうか」
 ルカは悠の座るソファーに移動し、重い話にならないように淡々と話した。
「子供の頃の話はどこまで聞いていますか?」
「仲良くて、ユーリさんは目に見えないものが見えたって」
「当時は私は日本語が全くできませんでしたが、彼は日本語が話せました。異国の島国の文化にとてもきょうみを持っているようでした。日本人とも友達になりたかったようです。私は彼に習い、そしてフランスに戻った後も家庭教師をつけて日本語を学んでいたのです」
 ルカが初めてできた友達は、不思議な空気をまとっている人だった。
「可視世界と不可視世界の狭間に生きているような、ふわふわした人でした。私が心を開けた人は、母以外で彼だけです」
「しょっちゅうイタリアに行ってたわけですね」
「ええ。私が15歳、ユーリが18歳の話です。いつものように会いに行くと、家の回りにはカラスが羽ばたき、血の臭いが漂っていました。ドアは開け放たれ、リビングで倒れているユーリの姿がありました」
「ひどい……」
「微かに息があり、彼は日本……または日本人とだけ呟いたのです。絞り出した声で、はっきりとは言えません。気になるのは亡くなったとき、彼は頭を腕で抱えていた。決して頭の傷がひどいわけではなかったのですが。それが犯人を指しているのか、今では分かりません。私が日本語専攻の大学を選んだのも、日本にやってきたのも、すべてユーリを殺した犯人を探すためです。私は復讐のために生きている。ではここから、質問形式に致しましょうか」
 ルカと悠にとって、恒例のようなものだ。
「ルカさんは日本人を怨んでますか?」
 悠の質問に、ルカは首を傾げた。
「あなたはテオドールにおかしなことを言われ、フランス人を嫌いになりましたか?」
「まさか。ルカさん大好きですよ。フランスはお菓子も美味しいし」
「そういうことです。それに犯人は日本人と決まったわけではありません。ヒントがあるのは確かですが」
「話していいのか悩んだんですが……、ノアさんはルカさんに対して、人殺しだと言ったことを後悔しているようでした」
「後悔?実際あの状況では私が犯人と思われても仕方がない。気にしていたのですね」
「ノアさんには会わないのですか?」
「会いません。犯人を探すまでは絶対に。日本語でけじめというものですね」
「やっぱりユーリさんの声、聞こえれば良かったと後悔してます」
「不可視世界にいる者の声は聞こえません。それは仕方のないことです」
「最後に、お願いがあります」
「駄目ですと言いたいところですが、あなたの性格上何が何でも成し遂げようとする。ときには厄介な性格です」
「まだ何も言ってない……」
「犯人捜しを手伝おうと仰りたいのでしょう?」
「………はい」
 ルカはぽんと悠の頭を撫で、ぐりぐりと回した。
「情報の共有はすべてできるわけではありませんが、協力して頂きたいときにはこちらから言います。ひとりで突っ走らないように」
「それは僕の台詞です。仮にも婚約者なのになぜ情報の共有ができないんですか?そういうところから亀裂が走るんですよ」
「……あなたも言うようになりましたね。さて、残りのデザートを食べますよ」
「まだ食べるんですか?」
「ギモーヴを食べてみて下さい。子供の頃にわたしがよく摘まんでいたお菓子です。お土産に日本へ持って帰りましょう」
 ちゃっかりとデザートの追加注文をし、ルカはミルフィーユのように甘ったるく、大人になりきれていない笑顔を見せた。
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