霊救師ルカ

不来方しい

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12-真夏の事件簿

070 ヴェルディアナ・チェスティ

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 終日移動に費やし、悠たちはイタリアへ渡った。海に囲まれた美しい国は、海の幸が豊富で新鮮だ。窓から見えるカフェに目をやると、テラスでは仲睦まじく皿をシェアしながら食べる二人がいる。男性の金色の髪を見て、電話の内容を思い出した。
『悪いんだけど、ここからは目的地に着くまで降りられないから覚悟してね。数時間車に乗りっぱなしだから』
『はい』
『お腹空いたらお菓子でも摘まんでて』
 ワイングラスを傾け、ぐいっと煽る。ルカと同じようにアルコールは強かった。血のような赤い色に不安が募り、悠は気分転換も兼ねて風景を楽しんだ。
 都市景観があっという間に過ぎると、美しい海が一面に広がっていく。穏やかな波が船を揺らし、糸の先には大振りの魚が跳ねている。漁師は餌を付け直し、天色をした水面に針を垂らした。
『クリストファーさんのミドルネームですけど、シモンでしたよね』
『そうだね』
『お名前にも名字にもなるんですね。ルカさんがシモンおじさまとお呼びする方にはお会いしました』
『日本ではあまり馴染みがない名前だ。ただし日本にも存在している。例えば、いずみだったりさつきだったり』
『言われてみればそうですね。名字にも名前にもなります』
 車の揺れに心地良さを感じ、うたた寝を何度か繰り返すとやがて車は停まった。窓には透き通った水面が広がり、湯気が立ち上っている。海ではない。
『君は誘拐されたっていうのに良く寝ていられるね。尊敬するよ』
『ありがとうございます。あの、もしかしてここって』
『日本でも沢山あるでしょ?イタリアも有名な温泉地があるんだ』
 車から降りるよう指示され、久しぶりの外の空気を吸い込んだ。
『小さな街だけど、避暑地としても最高なのさ。僕も仕事で疲れたときはここに来るんだよ。それじゃあ行こうか!』
 上り坂の先には家が立ち並ぶが、クリストファーは真逆の方向へ進んでいく。温泉の栄養を吸い上げた丸々と肥えた木が堂々と立ち、たわわに立派な実を実らせている。小鳥は赤い実をつつき警戒を怠らず、人間の気配に気づくと、枝の隙間を軽やかに飛び去った。
『ここ一帯はヴェルディアナの土地なのさ。彼女が買い取ったんだ』
 その名前を聞いた途端、悠は立ち止まり顔から笑みが消え失せた。
『え、待って。今』
『君を待っている女性って、実はヴェルディアナなのさ!驚いたね!びっくりどっきりは僕の大好物だよ!』
『ルカさんの……お母さん』
『そう。正真正銘の血を分けた親子だよ。僕とは血の繋がりはないんだけどね、会うといろいろ良くしてくれるし、彼女の作るストルゥーデルは最高だよ。ちなみにルークの好物でもある』
『スト……なんですか?』
『さっさと行こうではないか!……おや?』
 クリストファーの視線の先に、ふわりとした長い髪を揺らし、走ってくる女性がいる。ルカと同じ陶器のような透明感のある肌にぷっくりと際立った唇、火照った頬は、どうみてもルカそのものだ。ほぼすべての遺伝子を受け渡した彼女は、悠を見てたおやかに微笑んだ。
『あなたがハルカね?英語は分かるかしら?』
『はい、分かります。フランス語はほとんど分からないのです。イタリア語は今勉強中です』
『まあ、あの子の話す英語にそっくり』
『癖も、似ているかと思います』
『あの子はわざとイタリア訛りの英語を話すのよ?使い分けているのよ』
『癖も含めてルカさんから教えて頂きました。僕は、大事にしていきたいです』
『本当に可愛らしいわ。まあ、どうしましょう。抱きしめていいかしら?』
 返事を待つより先に、女性は悠を抱き締めた。彼女からはシナモンと甘い林檎蜜の香りがする。手をどこに置いたらいいか分からずしどろもどろになっていると、彼女は頬にキスをした。
『うわあ』
『ヴェルディアナ・チェスティです。ルカがいつもお世話になっています』
『こちらこそ。ハルカ・カゲモリです』
『あなたが来ると聞いていてもたってもいられなくて、ストルゥーデルを焼いたのよ。ゆっくりしていってね。温泉が沸いていて入り放題よ。買い物も一緒に行きたいわ』
『あ、あの』
『家に案内するわ』
『ありがとうございます……』
 クリストファーとは違うマシンガントークを繰り広げ、ヴェルディアナは家に案内した。
『ヴェルディアナさんはずっとこちらに?』
『避暑地のようなもので、普段は都会にいるわ。長期の休みがあるときはここにいるの』
『土地一帯購入したと聞いたのですが』
『ええ、そうよ。森林の中で歌うととっても気持ちが良いの』
『ヴェンディ、お腹空いたよ』
『はいはい、すぐにご飯にしますよ。クリス、ハルカを部屋に案内して』
 奥から二番目の部屋に案内された。セミダブルのベッドが置かれ、悠はショルダーバックを下ろしベッドに置く。窓枠には小鳥が二羽並び、出来るだけ刺激しないようベッドに座ったが、弾みにより小鳥たちは飛んでいった。
『お世話になりました。なんと言ったらいいのか』
『愛する弟のためだ。僕は彼に酷いことをいろいろしてしまってるからね。ソフィーをフィアンセに後押ししたのも、彼女はお金持ちでお金に執着を見せない性格だったからだよ。愛なんてない。当時、ルークには好きな人がいたけどね』
 ある人物が頭に浮かんだが、口には出さない。本人がいない中、あまりに失礼な行いだと罪悪感に苛まれる。
『いい感じの仲だったみたいだけど、所詮子供の恋愛ごとだ。そのたびに彼の交友関係を調べ、あの手この手を尽くしてきた。最低だと思うかい?』
『莫大な遺産を知らない人間に取られるかもしれない状況であれば、致し方ない方法だと思います。かといって、クリストファーさんの味方にはなれませんが』
『ルークをよろしく頼むよ。本当は会いたいけど、殴り合いの喧嘩になる可能性があるからね。僕は夕飯をご馳走になったら帰るから』
 夕食はヴェルディアナお手製の食事がテーブルに並んだ。リゾットやサラダ、ラム肉のハーブソテーなど、顔は似ていても料理の腕前は受け継がなかったのだと悠はひっそりと笑う。
 クリストファーの付き人も交えて和気あいあいとした食事になった。ヴェルディアナは当たり障りのない質問や、食事の感想などを聞き、ルカについては一切触れなかった。悠も話を合わせ、聞かれたことだけに英語で返した。夕食後は嵐が去り、ヴェルディアナはコーヒーを二人分入れた。本格的なコーヒーで、インスタントはあまり飲まないのだという。
『さてと。クリスも去ったことだし、ルークのことを聞かせてちょうだい。あの子とどこで知り合ったの?』
 悠は一年以上前の話をした。田舎である地元で路頭に迷うルカと出会い、親戚に奪われそうになる遺産問題を解決に導いてもらったこと。アルバイトとして働いていること。まだ大学生であること。ルカが母を大好きだと言っていたこと。
『あの子のことは何でも知ってるのね。助けてくれてありがとう。でも少し妬けちゃうわ』
『何でもというわけでは……あとマリーさんにはお会いしました。ルカさんの母親代わりだったとか』
『マリーとは仲が悪いのよ。ルークを可愛がってくれるのは有り難いけど、彼女の愛情は行き過ぎている』
『そのようですね』
 苦みの強いコーヒーは香りも強く、悠はカフェで出されるものより美味しいと感じた。
『許嫁のこと……すみません』
『なぜ謝るの?』
『僕で……男でびっくりしましたよね』
『いいえ、あの子自身で選んだんですもの。幸せでいてくれるのが、親の願いよ』
 悠は許嫁になった経緯を話そうか迷った。ヴェルディアナは気づき、あえて言葉を掛けない。悠から言い出すのを待っている。悠は重い口を開いた。
『実は……僕たちはそういう関係ではないんです。自由になれないルカさんと婚約…はまだ結んではいないのですが、偽りの相手を作れば回りが騒ぎ立てることもなくなるから。ルカさんはわざと大々的な結婚相手を世界中から募集し、ルカさんの意図に気づいた僕は応募しました。結果、僕が選ばれたんです。事情を把握している僕なら、助けて差し上げられるんじゃないかって』
『偽りがあるのかはあなたの見解でしょう?ふふ、おかしなことを言うのね』
『そうですけど……』
『どういう関係であれ、あの子と仲良くしてくれて本当にありがとう。子供の頃から一人ぼっちだったから、そういうお相手が出来て嬉しいわ』
『僕も、ルカさんと仲良くなれて嬉しいです』
『末永く、よろしくね。そしてたまにはイタリアへ遊びに来てちょうだい』
 微笑んだ顔はルカに似ていた。
 お風呂は温泉水で、悠は旅の疲れを癒した。ベッドに倒れると、上瞼がすぐに落ちていく。夢も見ないほど疲れきっていた。

 カーテンを閉めなかったせいで、朝日の眩しさで目が覚めた。時計は八時過ぎを指している。夜中は一度も目覚めなかった。軽くストレッチをして下に降りると、ヴェルディアナはコーヒーを入れている最中だった。
『お寝坊さん、おはよう』
『おはようございます。すみません、寝過ぎました』
『疲れていたのね。すぐに朝食にするわ』
 手伝うとキッチンに入ろうとすると、ヴェルディアナは驚き、微笑する。
『あなたは料理が出来るのね。フルーツを切ってもらえるかしら』
『はい。イタリア流の切り方を教えて下さい』
『せっかくだから、日本流の切り方でお願い。見てみたいわ』
 用意されているのは林檎である。悠は悩み、兎の形に切り分けた。ヴェルディアナはおかしそうに笑い、兎を手に取った。
『あなたはとても器用なのね』
『ルカさんはこうすると喜ぶんです。なので、大体この切り方なんですよ』
『あの子は子供の頃、小麦粉の袋を電子レンジに入れて爆発させたことがあったわ。理由を聞いたらパンが食べたくなったんですって。危ないし、さすがに厳しく叱ったの』
『あはは、でもルカさんらしいです』
 イタリアの朝食は甘いものを軽く食べるのだとヴェルディアナは言う。兎林檎とビスケットと甘いコーヒーだ。ビスケットはコーヒーに浸して食べるのだと教わり、悠もイタリア式の朝食をご馳走になる。
 午前も午後も特にすることがないため、悠は手伝いを申し出た。山には果実が豊富に実り、採ってきてほしいと籠を渡される。
『今日はブルーベリーをお願い。ジャムにして明日の朝食に頂きましょう。木は高くても二メートルくらいだから簡単に手で採れるわ』
 土地はヴェルディアナのものであるため、観光客も押し寄せてこない。二人きりの世界だ。森林の中へ入ると、太陽は枝垂れた枝に隠れ、風が悠の身を包む。温暖ではあるが過ごしやすい陽気だ。
 奥に進むまでもなく、ブルーベリーの木が成っている。一メートルほどの小型で、子供でも手を伸ばして採りやすい大きさだ。大木に止まる小鳥と目が合い、悠は小さく笑った。
 もう少し先には大きな木が生えている。悠はそちらに移動した。すると小鳥はブルーベリーの木に止まり、甘い汁を吸い始めた。
 ハンカチで汚れを取り、何個か口に入れると甘みが一気に広がった。あまりの美味しさに続けて口に入れると、まだ熟しきれていないのか、酸味のある実に当たってしまった。
「酸っぱい……」
 摘まみ食いに夢中になっていたせいか、背後の人影に気がつかない。あと数メートルというところで、悠は気配を察知した。
『Excuse me.』
 艶のある唇がお手本になるような美しい英語を形作った。野生の森に相応しくないブランドのスーツを纏い、繊麗な動きでイタリアの彫刻が歩いている。漆黒の目は慈愛に満ち溢れていた。
『こちらに、ヴェルディアナ・チェスティという女性がいらっしゃると伺ったのですが、ご存知ですか?』
 笑いそうになり、悠は顔を逸らし背中を震わせた。
『とてもお世話になっている方です』
『ぜひ案内をお願いしたいです』
『かしこまりました』
 ついに美男子も笑いを堪え切れなくなり、肩を小刻みに揺らした。
 森を抜け彼女の家までくると、ヴェルディアナは美しい歌声を披露している。特徴的な高音は喉を震わせ、オペラ劇場ではないのかと思わせるほど、彼女の独壇場となっていた。
 歌声が止まった。同じハニーブロンドの青年を見ては口元を押さえ、走り寄ってくる。青年も両手を広げ、待ち構えた。
『ルーク、ルーク……!』
 ルカも彼女を力いっぱい抱き締めた。ママン、と小さな声が聞こえ、悠は数歩後ろに下がり、目に溜まった涙を指で払った。
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