霊救師ルカ

不来方しい

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14-家族

088 芽

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 まるで鎌鼬だと、悠は呟いた。荒れ狂う寒波は人を襲い、肌に火傷に近い痛みをもたらす。手は林檎ののように赤く、ビニール袋を持つ手の感覚が無くなっている。悠は袋を持ち直した。
 ビルの前を横切る人々は、みな自分たちを追う輩に見えた。正義のヒーローでも、悪を倒す勇者になったつもりは微塵もない。チワワを散歩する女性は、ジャージ姿にしっかりと化粧を施している。それがかえってアンバランスに見えた。ビルの前で立ち止まり、犬の排泄を処理している。
 五階の部屋に入ると、静かに加湿器の音だけがしている。人の気配はない。悠はキッチンに入ると、買ってきたばかりの林檎を洗い、皮のまま角切りに切る。ホットケーキミックスやバター、卵などを混ぜ、林檎も生地の中に入れる。
 型に入れてオーブンの中に入れると、あとは三十分ほどで出来上がる。
 日当たりの良い場所に移動したはずなのに、遮光カーテンのせいで日光から得られるはずの養分は一切当たっていない。代わりに、人工の光のおかげで成長を遂げている。フランスから持ってきた種は、栄養たっぷりの土から青々とした芽を出した。
 家庭菜園でもガーデニングでも、育てば嬉しいのは当たり前だ。だが名もなき花に関しては感情が枝分かれする。
「成長していますね」
 ルカがやってきた。パジャマ姿でカーディガンを羽織り、鼻や頬が赤く染まっている。
「熱は下がりましたか?」
「ええ、少し。良い匂いがしたので起きてきました」
「林檎のパウンドケーキを焼きましたが、」
「食べます」
 食欲はあるようで、悠は安堵した。
 まだ冷め切っていないが小皿に切り分け、それと蜂蜜をたっぷり入れた紅茶を出した。
 ブランデーが染みたパウンドケーキはたっぷりと林檎が入っていて、噛むたびに果汁が溢れる。お代わりを要求するルカを見て、これならばすぐに治るだろうと安堵した。
「午後はちょっと出かけてきます」
 ルカは一瞥しただけで、特に何も言わなかった。聞かないでもらったことに感謝し、ビルを後にした。途中でタクシーを拾うと渋谷駅で降り、足早に目的のビルに入る。
 滅多に来ることはないカラオケ店だ。耳が遠くなるほどBGMが鳴り響いている。ロビーで予約者の名前を告げ、後から一人やってくると説明を入れた。
 鼠色の壁は染みが出来ていて、ひび割れがある。年輪を重ねたビルだ。
──着いた。すぐ向かう。
 すぐとはいつなのか。そう疑問を抱いてからわずか一分で待ち人は来た。片手を上げたクレイグに、悠は会釈で返す。
 挨拶もそこそこに、早速本題に入った。
『西湖早苗の情報だ』
 雰囲気に似つかわしくないポップな曲が流れる中、悠は紙に目を通していく。
『頭がない?』
 英語ではっきりと、確かに脳がないと書いている。悠は前後も含め、もう一度読んだ。
『腕には注射針のような跡もあったが……どうした?』
 注射針と聞き、動揺を隠しきれない。霊の早苗が話した通りだった。
『続けて下さい』
『出血の跡から、彼女は死んだ後に頭を切り取られている』
『やっぱり』
『そちらの情報も話してくれ』
 悠はマイクを見やった。ただマイクは音を拾う機具であり、ふとスイッチが入っていないか気になったのだ。
 口を開きかけたとき、ドアのノックと共に店員がコーヒーとジンジャーエールを持ってきた。逆に置かれたふたつを入れ替え、イタリアでの出来事や早苗の霊の話をした。
『すると、君の考えでは、まだ違法とも合法ともなっていない薬を液体のまま入れられ、死んだと?』
『薬を服用し、亡くなった人間には共通点があります。頭を抱えて亡くなっていること、死因は不明。ルカさんの大事な人も似た状況で、画家の流水先生も同じです。早苗ちゃんは、頭ごと持ち去られています。きっと、狂おしいほどに脳に作用する薬なんだと思います』
『早苗の頭だけを切り取られた理由は?』
『それは……まだ。ルカさんといろんな仮説は立てています。他の二人は切り取りたくても出来ない状況だった。たとえば、人目につくなどです。気持ちよくなる薬だと言って渡し、遠くから経過を見守っていたとか』
 はっきりしないことが多すぎる。すべて憶測から出ない話だ。
『早苗ちゃんは、パパは生きてるとはっきり言いました』
『摩訶不思議だが、霊関連は信じていいんだよな?』
『警察より信じて下さい』
『頼もしいな。見えない捜査は』
 クレイグと話すと、どうしても肩の力が入る。それはFBIという肩書きと無自覚に醸し出す厳かな雰囲気のためか。どちらにせよ、アメリカを守る警察と言われても納得できる風貌だ。
 ふたりは別れ、悠は渋谷の街を歩いた。何をしようかと考え、特にすることもなく、ただ練り歩くだけだ。
 やることなど山のようにあるはずなのに、突然虚無感が襲ってきた。明日のこと、将来のこと、そしてルカの復讐劇。本当にルカは復讐をするつもりなのか?今年の目標で掲げた二文字は、心に酷くのしかかっている。
 復讐は蜜の味というが、呪いは頭上に戻るということわざも存在する。人を呪わば穴二つで、ルカの大切な人にだって報復の矛先が行く場合もある。ヴェルディアナの顔が浮かんだ。
 いずれ決着をつけねばならないときは来る。そのとき、ルカのしたいことをさせるべきなのか、止めるべきなのか。具体的な復讐内容については彼は語ったことはなく、ぶっつけ本番でしか対応はできない。
 哀愁をまとわせた小さな背中は、人の波に消えていく。



 所々に雪が積もっていたが、山奥に入るとまだ銀世界が広がっていた。白い絨毯を押しのけて咲く花は、まだ蕾の段階だ。
「まだ着かないのか?」
「あと少し。足下気をつけてね」
 同行者は自称イタリア人ではなく、生粋の日本人だ。西岡正樹は息を切らし、寒空の下で汗を流している。慣れていなければ山道はきつく、足下も覚束無い。
 田舎に遊びに行きたいと漏らした彼を誘ったのは悠だ。西岡は田舎をどれほど想像していたのか判らないが、進むたびに興奮が冷めていくのを感じた。
「着いたよ」
 物寂しい雰囲気で、振り被る雪を受け止めた屋根は、いつ壊れてもおかしくない。
 そのままにしてあるちゃぶ台に、買ってきたばかりのコンビニ弁当を広げた。明日からは自炊だ。
「デカいスーパーあるんだな」
 廃墟となっていた元スーパーは、新しいスーパーが出来ていた。前よりも活気づいている。
「あそこでルカさんと出会ったんだ」
「まじで?買い物してたのか?」
「警察に追われてた」
 飲み物を吹き出しそうになり、西岡は口元を拭う。
「この辺で外国人は目立つから」
「まー、そりゃあそうか」
 変わっていく地元に泣いた経験は、悠は話さないでいた。大学生にもなって、恥ずかしかったのだ。
「なんか外で物音しねえか?」
 箸を止め、耳を澄ます。すると雪を踏む音や子供の啜り泣く声が聞こえた。
「聞こえるよな?」
 もう一度西岡は言い、悠は頷いた。寂しげに震えた声は嗚咽を漏らし、泣くまいと必死に堪えているようにも聞こえる。声がするのは庭からだ。
「え、確認するのか?」
「するよ。むしろなんでしないのさ」
「………………」
「西岡君はここで待ってて」
「まさかまさか……一緒に行ってやるよ」
 玄関から回って庭に行くと、木の陰でしゃがむ少女がいた。西岡が悲鳴を上げてしまい、少女は顔が歪み、唇は小刻みに震えた。狼狽えた悠は肩を掴んだ。
「大丈夫?怖くないよ。どうしたの?」
「……わかんない」
 判らないのはこちらの方だ。だが受け答えはできるらしく、悠の質問にはしっかりと感情を露わにした。
「ママやパパは?」
「……わかんない」
「どうしてここに?」
「車から、おりた」
 背後の西岡は不思議そうに見つめている。
「……見えるよね?」
「何の話だよ止めろよマジで」
「ただの確認だよ。生身か」
「生身だよ」
 悠はしゃがみ、少女と視線を合わせた。幼稚園児くらいの年齢に見える。
「とりあえず、お家に入る?」
「………………」
「お兄さんたち、怪しい人じゃないよ。この家の人なんだ」
 頷いた少女の手を取り、ひとまず中へ入る。食べ残しの弁当に、少女は釘付けとなっている。
「お腹空いた?」
 少女は首を傾げた。
「一緒に食べる?おにぎりあるよ?鮭のやつ。唐揚げも」
 お茶も用意すると、少女はおにぎりにかぶりついた。食べ方があまり綺麗とは言えず、畳の上にご飯や具が零れていく。
「名前は?」
「あい」
「あいちゃんね」
「見たことあるか?」
「全然。この辺のことはよく知らないし。何歳?」
 あいと名乗る少女は、片手を掲げた。指はすべて開いている。
「五歳か」
「のわりには身体小さくねえか?」
 西岡と並ぶと余計に身体が小さく見えた。少女はいきなり大声で歌い始め、かと思えば泣き出しそうに目を潤ませる。情緒不安定のようだ。
「この辺の家って後どの辺だ?」
「ちょっと歩かないといけない。道は悪いけど、子供でも歩ける距離だよ」
 おにぎりと格闘を繰り広げている間、悠は廊下に移動し電話をかけた。いつまでもこの家に置いておくわけにはいかない。警察に事情を説明した。
 午後七時を回ろうとしたとき、玄関のチャイムが鳴り、悠は扉を開けた。
「今連れてきます」
 居間にいた少女は脅え、西岡の懸命なあやしも虚しい。泣くというより叫ぶという方が近く、悠は手を取り警察官の元へ連れていった。
「この子が?」
「庭で泣いていたんです」
 悠はひと通り説明をした。見ず知らずの少女は俯いたまま、何も話そうとしない。
 そもそも格好もおかしい。三月とはいえまだ雪の残る季節に薄着の長袖シャツとズボンだ。羽織るものもなく、家出したのではないかと思わせる。
 警察官も、薄着の少女を上から下まで眺めている。
「また後で来ても構いませんか?いろいろ話を聞きたいので」
「大丈夫です。あまりお答えできませんけど」
 少女に手を振ると、答えてはくれない。そっぽを向いたままだ。見えなくなるまで見送り居間に戻ると、西岡は少女の残した残骸を掃除していた。
「また後で来るってさ」
「ふーん」
 興味なさそうな様子で、西岡は残りのご飯をかき込んだ。
「あの子、車から降りたって言ってたよね?」
「もう関わるなよ、ろくなことにならない」
 西岡は寝っ転がり、足を組んだ。
「警察にも当たり障りのないことを話せば充分だよ。ああいうのはプロに任せとけって」
「もう関わってるよ」
「そうやって厄介ごとに何度も巻き込まれてきたんじゃねえのか?」
 厄介ごとの内容にはスリランカでの出来事も含めていくらか思い当たる節がある。
 悠は押し黙ってしまった。
「な?だからこの話はこれで終わり。風呂入ってくる」
 西岡の後ろ姿を追い、悠は残りの弁当を片づけた。その日、警察からは何の連絡もなく早めに就寝した。
 雪の落ちる音で目が覚め、いつもと違う部屋に頭が戸惑い、すぐに西岡と里帰りをしたと思い出す。西岡は大の字のまま横たわり、まだ起きる気配はない。昨日は移動だけでほとんど何もしていない。今日は墓参りと掃除、駅周辺で買い物の予定だ。
 時刻は午前八時。簡単な朝食を作りそろそろ西岡を起こそうと思ったとき、彼はすでに起床していて顔を洗っている。外で人の気配がした。
 昨日と同じくチャイムが鳴り、悠は玄関へ向かう。またもや積雪が落ちる鈍い音がした。
「朝早くからごめんね。警察です」
 隙のない態度に、悠は一揖した。
「昨日のことで話がしたいんだけど、いいかな?」
「構いません」
「君さ、前に事件に巻き込まれたよね?」
 一瞬で当時の記憶が巻き戻り、どの事件だと思考を巡らせた。
「そうです」
 余計なことは言わず、嘘はつかない。ルカに学んだことだ。
「昨日、君が保護した子供だけど、本当に記憶がない?」
「ありません」
「君に肩を掴まれたって話してたんだけど」
「え……」
 確かに泣きそうになる少女の肩を掴んだことは事実だ。
「泣き止ませようと思っただけです」
「家に連れて帰ったんだ?」
「日本語の使い方ひとつで誤解を生みます。保護しただけです。それと、さっきの事件に巻き込まれたとは何ですか?」
「確認しただけだよ」
「今回の話は何も関係ないはずです」
 警察の立場上、疑うのは充分に判る。それが彼らの正義であり、分かり合えるはずがないのだ。
「保護しました」
 誘拐ではなく、保護だ。そこだけは譲るわけにはいかない。
「ちょっと来てもらえる?もっと詳しい話を聞きたくて」
「お断りします」
 ルカのように、ばっさりと切り捨てた。
「誘拐の疑いをしているんでしょう?庭に女の子がいました。調べてもらっても構いません。足跡が残っています」
「誘拐とは言ってないよ」
「同じことです」
 感情のない声で誤魔化されても、心の奥底に張り付いて嫌な感じだった。雪の残る三月の早朝とあって、身体も冷えていく。
「そう、君は別の男性と一緒に事件に関わったはずだ」
 別の男性。そもそも、今誰かと一緒にいるとは警察には話していない。細かい話を少女から聞けるとは思えない。深夜中駆け回ったのかと、冷ややかに警察を見た。
「容疑者ですか」
「重要参考人だよ」
 ルカならばどうするだろうと、ふと浮かぶ。
 臨機応変の対応力をつねに振りまき、これまでも悠を引っ張ってきた。木の根元にあるのは動かなくなった蝶──凍蝶だ。蝶のように舞い、蜂のように刺すとは、まさにルカのことだ。犯人を絶対に逃しはしない。想い人の死を抱え、憎しみを風化しないよう憎悪を狂いなく犯人に向けている。
 警察官は訝しむ。目の前の大学生の顔つくきが変わったからだ。
「少女は、僕が誘拐したと?」
 警察は何も言わない。
「子供は虚言も交えます」 
「それは大人もだ」
「警察もです」
 喋るたびに口の中に冷気が入り、唇が震え出す。
「少女の親が見つかるまで、君たちはこの付近から出ないように」
 人の敷地内で横暴な態度を撒き散らし、踵を返した。開いた口が塞がらない。悠はすぐにでも荷物をまとめて帰りたくなった。
 台所に戻ると、残りの卵を割り、西岡はスクランブルエッグを作っている。ベーコンの油が跳ねた。
「あー、景森さん、景森さん」
「うわ、嫌な言い方」
「ご飯食べ終わったら、電話をかけてほしいのです」
 半熟に仕上げたスクランブルエッグを盛りつける。皿に移しても、まだ油が弾けていた。
 誰に、とは聞かない。ひとりしかいない。
「どういうこと?」
「話聞いてた。で、危ないと思って連絡した」
「それで?」
「朝食を食べたのち、連絡をしなさいって来た」
 朝食後というのがルカの優しさだ。けれど悶々としながら食べなければならない。
 トースターは無いので、フライパンで食パンをこんがり焼いた。焼きすぎという意見をはねのけ、塩をかける。
「普通、バターやジャムじゃないか?」
「塩の気分」
「食パンに?」
「甘さ引き立つし」
 スクランブルエッグにはケチャップをかける。
「なんでルカさんに連絡したの」
「するだろ……保護者だし」
「心配かける」
「とにかく電話しろよ」
 ぐさりとフォークを突き刺すと、焦げ気味のベーコンはしなった。
 掃除機のように忙しい食事は終え、皿洗いは西岡に任せた。部屋に戻り通話アプリを開いても、ルカからの連絡はない。何度も電話で話しているというのに、まるで恋人にかけるように心臓が跳ねた。
『おはようございます』
「おはよう、ございます」
 声が裏返りそうになった。第一声で機嫌がいいのか悪いのか、はたまた寝起きなのか、悠には判るほどそれなりに長い付き合いとなっている。今のルカはご立腹だ。
「いい朝ですね」
『そちらは天気は晴れのようですね。こちらは土砂降りです。私の心のように』
「ぼ、僕がルカさんの太陽になりたい」
『今さら。前置きはいい。順に話しなさい。西岡さんからは悠が警察に犯人扱いされてるとしか聞いていない』
「犯人というか、重要参考人と言われました」
 流れを説明すると、相槌を打っていたルカはついには何も話さなくなってしまった。
「それで、この近辺から出るなと言われました」
『今すぐ荷物をまとめなさい』
「え?そっちに帰るんですか?」
『警察にあなたの行動を縛る権限はない。なんと腹立たしい』
「でも、お墓参りもしてないんです。仏壇の掃除もしてないし」
 ルカは口籠もってしまった。今度は庭雪が落ちる音がし、短い悲鳴を上げた。この時期の雪は溶けかけで、地に落ちると轟音が響く。
『どうしました?』
「いえ、木から雪が落ちただけです」
『少女でしたね?何かおかしいところはありませんでしたか?』
「おかしいといえば、薄着で寒くないのかとは思いました。靴下も履いていませんでしたし」
『……なるほど』
「車から降りたとも言っていました」
『誰の運転する車に?』
「誰?それは聞いていません。家族ではないんですか?」
『いろいろな方面で考えてみましょう』
 ルカの小さな唸り声が聞こえた。
「何かありましたか?」
『……あなたがいなくなった途端に現れまして。まるでこのタイミングを見計らっていたかのようです』
「早苗ちゃんですか?」
『はい。やはり無理矢理にでも不可視世界へ送ってやりたい』
「無事でいますか?」
『ピンピンしていますよ。私への攻撃は凄まじいほどに』
「そうじゃなくて、ルカさんが」
 間が空き、電話越しに盛大な息の音が聞こえる。
『……私の心配より、ご自分の心配を。いざとなればすぐにあの世に送りますので。悠、あなたも感じているでしょうが、誘拐の線も疑って下さい』
 お互いの健闘を祈り、電話を切った。
 
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