霊救師ルカ

不来方しい

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16-凡常

097 その後

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「ノックもなしに入るとは」
 どこかで聞いたようなセリフだ。
 リハビリの後、身体を拭こうと半裸になっていたときだ。入ってきたのはアンティークを叩き込んだ師匠であり、SHIRAYUKIの主。大きな筋肉質の身体の持ち主は汗に塗れた艶めかしい身体を見ては目を細めた。
「痩せたのでは?」
「健康的な生活を送っていますので」
「そのわりにはお菓子の箱があるみたいですが」
 クリストファーのお土産は、ご丁寧にふたりの胃の中へ整頓された。
 滲んだ汗を軽くタオルで拭き着替えると、ベッドに腰を下ろす。
「個室だと、聞いていたのですが」
 総次郎の視線の先は、丸くなって眠る悠である。
「個室でした。お店はいかがですか?」
「あなたが心配するほど、売れ行きは悪くありませんよ。ただ……あなたが恋しいというお客様は来店されます」
「……そうですか」
 静かな時間が流れる。
「師匠、その話ですが、相談事があるのです」
 広い部屋には規則性のある悠の寝息が聞こえる。ルカは瞥見し、広い天井を眺めた。
「自分の店を持ちたいのです」
 はっきりと、ルカは伝えた。
「日本にいて、たくさんの経験をし、かけがえのないものを頂きました。同時に、私はとてつもないご迷惑をおかけしています」
 今も海外からマスコミが押し寄せ、アンティークショックや病院が的となっている状態だ。
「迷惑?それが理由ではないでしょう?むしろ助けられたのは私の方ですよ。きっと妻も浮かばれます。あなた方に救われた人は多い」
 総次郎の妻の事件も、西湖秋良が関与していると今になって繋がったのだ。事件の真相を公にするために、また新たに捜査に力を入れると約束した。
「……本当を申しますと、少し疲れました」
 怒濤の日々はあっという間で濃密だった。その分、身体と精神への負担も大きかった。
「私の人生の大半が、復讐へ費やされていました。それが無くなった今、いろいろ考えてみたいこともあるのです」
「具体的には?」
「そうですね……海外を旅するのもいいかもしれません」
 力無く笑うと、総次郎も微笑んだ。
「海外を旅して、いろんなものを見たい。どこでお店を持つかどうか、旅をしながら考えたいのです」
「それがいい。そうしなさい」
 総次郎の視線は悠へ移る。
「悠には悠の人生がありますから。大学は休学中です」
「彼はこの先どうするのか、聞いているのですか?」
「まだ悩んでいるみたいです。社員になるのなら、ぜひとはすすめていますが」
「離れるのも続けるのも人生。好きにすればいい。言い忘れていましたが、足の調子は?」
「まだ震えますが、ほとんど松葉杖なしで歩けるようにはなりましたよ。骨にも神経にも異常はなしだそうです」
「ほとんど?」
「ほぼ、問題なしです。退院の目途もついています。すぐにでも旅立ちたいくらいです」
「旅立つのは自由ですが、少し店を手伝いなさい。あなたを見ようとやってくる客人がいらっしゃいます」
 総次郎は紙袋を棚に置き、立ち上がった。
「旅に出ても、連絡くらいは寄越しなさい」
「ありがとうございます……師匠、あなたと出会えて、本当に良かった。たくさんのことを学ばせて頂きました」 
「……悠のことは心配しなくてもよろしい。バイトを続けるのなら預かります」
「良かった。それが気掛かりでした。パソコン業務は得意で、任せっきりでもいいくらいです。霊救師の仕事は……出来れば控えてほしいのです」
「様子を見て、本人と相談しますよ。全く、過保護にもほどがある」
 総次郎は一揖し、別れを惜しむことすらせずドアを閉めた。
 これくらいの距離感がちょうど良い。馴れ合うより一定の空気を保つ関係も、また心地良いものだ。
 総次郎が去ってまだ数分しか経っていないが、再びドアが開いた。袖を掴む腕が少しだけ跳ねた。
「さっきのおじちゃんだれ?」
 恐々と顔を覗かせたのは、早川りおんだ。妙な縁ができて、懐かれてしまった。
「仕事の上司ですよ」
「ふうん?まだその兄ちゃんねてるの?」
「よく寝る子ですから。それよりどうしたのです?」
「うん、あのさ……オレ退院することになって」
「ああ……そういうことでしたか」
 わざわざ挨拶に来てくれたのだ。子供なりの気遣いだ。
「いきなりですね」
「ここは退院するけど、またべつの病院にいくことになって。マスコミがおいかけてくるからさ。オレゆうめいじんだし!」
「それだけの元気があればすぐに良くなりますよ。どうかご自愛下さい」
 ルカは棚から封筒を取り出し、彼に渡した。
「私からのお駄賃です」
 少年は封筒の中身を見て、驚いて目を大きくした。
「これって」
「私がもらったものですが、差し上げます」
「でも……いいの?」
「そのカードを使い、学校でも友達をたくさん作り、たくさんの遊びを学んで下さい」
 黄金色に光るカードは反照し、眩しさと嬉しさが込み上げる。少年は力いっぱいにお礼を言い、大きく手を振った。
「悠、起きてますよね?」
 笑いを堪えながら声をかけると、申し訳なさそうに眉が曲がる。
「指先に力が入っていましたので。総次郎が来たのは判りますか?」
 悠は頷くが、表情は冴えない。それどころか離さないと言わんばかりに指の力は強くなっていく。
「足の調子が良くなり次第、少し旅に出ようかと思います」
 原因はこれだ。手首を掴むと、悠はいやいやと何度も首を横に振る。
「……一緒に行きますか?」
「……、…………」
「お金の心配ならいりませんよ。学生が気にすることではありません」
「…………、………」
「総次郎には話さなかったことがあります。悠がよろしければですが、一年大学を休学し、心を休めるのもいいのではないかとも思いました。ですがその分卒業は遅くなりますし、それで悠はいいかどうかは別なのです」
 悠は考え、またもや頷く。
「いいのですか?本当に?」
「…………、」
 一年休学の件は、悠もずっと考えていたことだ。
「そうですか。また、一緒にいられるのですね。まだ不安な点が?」
 二文字の言葉だ。
「店、ですか。来年以降のことです。ずっとずっと先ですよ。悠は休学するにしろ、まずは卒業のことを考えて下さい。ゆっくりでいいのです。学生で得られるものは、社会に出ると難しい。自分の店を持つのは夢ですが、何もすぐにというわけではありませんから」
 悠はメモ帳にペンを走らせた。
──海外はどこに行きますか?
「まずはアメリカですね。手術を受けたいのです。アメリカは技術が進歩しているようですから。何の手術かというのは足ではなく……これはまだ秘密にしておきます。悠、日本以外で、思いつく国は?」
──イタリア。と、スペイン。
「なるほど、参考にします。どちらもまた行きたいですね」
──ヴェルディアナさんに会いたいです。
 これには、ルカは笑顔を見せるしかない。
 彼は、何度母に会いたいと言ってくれただろう。数えきれないほどの愛情を示し、慈しみを送ってくれた。
 悠に掴まれた手首がじんじんとし、熱くなって血液が流れていくのを感じる。細くなった手首を掴み返せば、青白い顔を斜めに向けた。
「こうしてお泊まりしているのは、修学旅行でもしている気分ですね」
「………っ、…………」
 懸命に何かを伝えようとするが、唇の動きが早いためにルカには伝わらなかった。だが興奮気味に話す姿は、涙を流したくなるほど美しく、健気で愛の結晶だった。



 長いこと世話になったホテルの支配人にお礼を述べると、全身凝り固まったかのように肩に力が入っている。ルカは曖昧に濁した笑みを見せるが、さらに悪化させただけだった。正体がばれてしまったからには気軽には来られないだろう。
 目を圧迫させるほどの強いフラッシュを浴び、心臓を押し潰されたように締め付けられた。口角をあげて手を振りながらタクシーに乗り込むまではわずか数秒。荷物を事前に運んでいたおかげで、ほぼ手ぶらで乗り込むことができる。ドアが閉まる直前、恋人との結婚を聞かれたが、これには苦笑いしかない。
 バックミラーで運転手は顔を確認してくるが、行き先を告げただけでサングラスをかけ、会話拒否の姿勢を貫いた。
 変わりゆく景色に目を凝らした。視界を遮るほど大きな葉をつけた木々が揺らぎ、女性が帽子を押さえている。長い髪も木と同じようにふわりとなびく。
 信号が赤で止まると、女性と目が合った。悲鳴に近い声が上がり、タクシーまで駆け寄ってくると、公園にいた人々も意味が判らず集まり出す。まるで客寄せパンダだと自虐した。
 手を振ろうか上げかけたとき、女性はスマホを片手にこちらへ向けていた。浮いた手を下ろした。やがて信号は青に変わり、タクシーは走り出す。
 SHIRAYUKIの前にもカメラを持った人が多数集まっている。中には店を突き止めた女子高校生の姿もある。降りると甲高い声とフラッシュに出迎えられ、警備員に頭を下げてエレベーターに乗り込んだ。向かう先は三階だ。三階までしか動かない。
 店には入らず、非常階段からふたつ上がり、鍵を開けた。
 スニーカーが一足揃えられていて、少し大きめの靴を隣に並べた。
「ただいま戻りました」
 キッチンからは顔を出した青年に、今度こそ手を上げて答えた。
「何を作っているのですか?そば?」
 悠は冷蔵庫にあるホワイトボードに理由を記した。
「ああ、引越そばですか。面白い風習ですね」
──エビの天ぷらも作りました!
「良い香りがします。いつもありがとうございます」
 スーツケースと少量の荷物を部屋に持っていくと、悠の荷物もすでに届いていた。要らないものは処分し、持ってきたものはルカよりはある。悠も、古びたアパートからの引っ越しだ。どこで突き止めたのか、悠のアパートまでもマスコミの的となってしまった。
 事件に巻き込まれたルカ王子と哀れな恋人という軽蔑を含んだ記事も多数書かれ、ショックを受けていると思いきや、悠はあっけらかんとしていた。週刊誌やテレビとは無縁の生活を送り、静かな日々を過ごそうと決めていた。
「普段ならば総次郎ひとりで事足りますが、混み合っているため私も立たねばなりません。しばらくは忙しくなります」
──ぼくは?
「パソコン業務をお願いできますか?」
 任せて、と大きく頷いた。
 海外へ旅立つまで期間はまだある。その間、五階のフロアを貸してもらう代わりに、ふたりで出来ることはしようと決めたのだ。
 悠の声は相変わらずだが、幼児退行に関しては少しずつなくなっていた。長時間姿が見えないと制御ができなくなり、音もなく涙を流したりしていたが、今はひとりで外国語の勉強を勤しんでいる。大きな一歩だ。
 腕の包帯は取れたが、喉の包帯は相変わらずで、見せようとしないため今はどのようになっているのか判らない。ルカは好きにさせている。痣についても何も聞かない。
 悠がルカの袖を掴み、何かを訴えている。目線の先はスマートフォンだ。ふたつ下の階で仕事中のはずの総次郎からメールが届いている。
──助けて。
 悠に見せると、おかしそうに笑う。下を指差し、行こうと促してくる。
「そうですね。落ち着くまでは、ふたりで総次郎を助けましょう」
 声を失った分、悠は人の顔色に敏感になった。眉毛の動かし方ひとつで首を傾げ、相手の心を読み取ろうとする。知られてはいけない感情まで出てしまいそうで、ルカはそれが怖かった。
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