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九話:断われない
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家では、ダンスのレッスンが待っていた。これまで碌に受けていなかったので、付け焼き刃で臨むことになる。さらに困ったことに、背の低い僕は男性パートだけでなく、女性パートも覚える必要があった。結婚こそ認められていないものの同性愛は珍しくない。背の低い男性は同性からも誘われることが多いのだそう。社交界デビューの場で折角誘われたのに踊れないというのでは相手に失礼だ。座学を覚えるのは得意だが、運動は苦手だった。足が絡まりそうになる。こんな必死に覚えたところで、結局誰からも誘われないのではないかと思ってしまう。それならその方が良い。今のところかなりみっともない足さばきだ。兄さんも練習に付き合ってくれるが、ちょっと笑っていた。
「兄さん、こんなに練習しておいて誰からも誘われなかったら……」
「そんなことは無いよ。シルヴァはとても魅力的だ」
「そうでしょうか」
「ああ。自慢の弟だ」
大抵の貴族はお披露目会を開くころには許嫁や婚約者がいるものだ。その相手もいない僕には踊ってくれるという確約できる相手がいない。
「誰もシルヴァの魅力に気づけないような目が節穴な連中しかいなかったら、僕が相手をしよう」
「それは心強いです」
放課後からずっと頭を悩ませてみたものの、これといった案は一向に思い浮かばなかった。兄の薦める案の病弱を装うのも、学院に毎日通っている姿を見られている以上、無理がある。次の日、馬車が学院に着かなければいいのに、と思った。馬車を降りてから校舎までの足取りは重かった。
教室にはすでにリカルドがいた。僕の雰囲気から何も案が浮かんでいないことを悟ったのだろう。
「おはようシルヴァ君。良い朝だね」
「おはようございます。嫌な朝ですね」
「敬語」
彼からの指摘を無視して答える。
「結局、案はなにも浮かびませんでした」
「そうだと思った。昼、いつもの場所で」
「昼はちょっと……」
「なにか予定があるの?」
「ダンスの練習をしておきたいんです」
「それなら俺がいたほうが良いんじゃない?」
「いえ、まだみっともないので」
「それはそれで気になるな。どの教科も卒なくこなすキミが苦戦しているなんてね」
「笑わないでください。僕は真剣なんです」
「悪い悪い。まあでも俺がいた方が良いんじゃない? ってのは本気だよ。それなりに場数を踏んでるからね」
リカルドが社交の場で引く手数多であろうことは容易に想像がついた。学院でも人の輪の中心にいるのだ。社交場でもそうなのだろう。
そんなわけで、いつもより早くご飯を食べ終えると、ダンスの練習が始まった。
「みっともないなんて言ってたけど、基本はできてると思うよ」
「そうですか?」
「誰と踊るか目星はつけてあるの?」
「ないですよ。僕には許嫁も婚約者もいませんし。第一、モーグ家次男という存在自体が知られていませんでしたから、お誘いを受けるかどうかも未知数です。誰からも誘われなかったら兄さんが相手をしてくれるそうです」
「俺は?」
「駄目です」
「駄目? 俺と踊るのは嫌?」
「そうじゃなくて、貴方には僕よりも相応しい人がいるでしょう」
サロモア嬢とか。
サロモア嬢にリカルドとの間を取り持つことを約束した手前、リカルドと僕が踊るのは良くない。
「相応しいって何?」
「こう、華があるとか、貴族界での立場とか。釣り合いってものがあるはずです」
僕にはリカルドと釣り合うものが何もない。家名だけで考えれば、魔術師御三家という共通点はある。しかし魔力ゼロの僕と有望な人材とでは釣り合いは取れない。
「俺、そういう考え方は嫌いだ。なんでそんなことを気にする?」
「それは……」
社交界の雰囲気がどうだかは分からない。でも最近、学院内でリカルドといると女子からの視線が刺さるようで痛い。それはなぜ僕のような冴えない人間が一緒にいるのだ、とでも言いたげな視線だ。僕とて距離を置けるものなら置いておきたい。一度は直しかけた敬語を元に戻したのは、僕は距離を置きたいという意思表示をしておくためだ。こればかりは何度指摘を受けようがなおすまい。
「貴方に話したってきっと理解されません」
持たざる者の苦悩をどうしたらうまく伝えられるのだろう。
「そう」
リカルドは寂しげに目じりを下げた。
「話は変わるけど、魔力の件については何も思い浮かばなかったんだね」
「はい」
現状どうしようもないことを知っていたような口調だった。
黄緑色の双眸が真っ直ぐにこちらを向き、彼の大きな手が僕の顎を捉えた。顔が近づく前に僕は声をかける。
「嫌じゃないんですか」
「何が?」
「好きでもない相手とその……口づけをするのが」
真っ直ぐ僕に向けられた黄緑色の目が見開かれた。
「シルヴァ君は嫌だった?」
「僕のことはどうだって良いんです」
「嫌だった?」
どうしても僕の気持ちを先に聞きたいらしい。こちらが先に聞いたのに卑怯だ。
嫌、といえば嘘になる。僕は答えに迷った。嫌、と言えれば良いのに。たった二文字が喉の奥から出てこない。黄緑色の目は心底不安そうに揺れている。今まで強引だった癖に、彼は何が不安だというのだろう。
「……嫌、ではないです」
ああ、言ってしまった。彼の揺れていた目から緊張が消える。
「良かった。俺も嫌じゃない。そしたら問題ないね」
彼は心底嬉しそうな顔をした。
「本心ですか」
「本心だよ。俺は自分が嫌だと思うことはしない」
顔が近づき、距離はゼロになる。ああ、今回もまた断り切れなかった。流れてくる魔力がいつもより苦いように感じた。
「兄さん、こんなに練習しておいて誰からも誘われなかったら……」
「そんなことは無いよ。シルヴァはとても魅力的だ」
「そうでしょうか」
「ああ。自慢の弟だ」
大抵の貴族はお披露目会を開くころには許嫁や婚約者がいるものだ。その相手もいない僕には踊ってくれるという確約できる相手がいない。
「誰もシルヴァの魅力に気づけないような目が節穴な連中しかいなかったら、僕が相手をしよう」
「それは心強いです」
放課後からずっと頭を悩ませてみたものの、これといった案は一向に思い浮かばなかった。兄の薦める案の病弱を装うのも、学院に毎日通っている姿を見られている以上、無理がある。次の日、馬車が学院に着かなければいいのに、と思った。馬車を降りてから校舎までの足取りは重かった。
教室にはすでにリカルドがいた。僕の雰囲気から何も案が浮かんでいないことを悟ったのだろう。
「おはようシルヴァ君。良い朝だね」
「おはようございます。嫌な朝ですね」
「敬語」
彼からの指摘を無視して答える。
「結局、案はなにも浮かびませんでした」
「そうだと思った。昼、いつもの場所で」
「昼はちょっと……」
「なにか予定があるの?」
「ダンスの練習をしておきたいんです」
「それなら俺がいたほうが良いんじゃない?」
「いえ、まだみっともないので」
「それはそれで気になるな。どの教科も卒なくこなすキミが苦戦しているなんてね」
「笑わないでください。僕は真剣なんです」
「悪い悪い。まあでも俺がいた方が良いんじゃない? ってのは本気だよ。それなりに場数を踏んでるからね」
リカルドが社交の場で引く手数多であろうことは容易に想像がついた。学院でも人の輪の中心にいるのだ。社交場でもそうなのだろう。
そんなわけで、いつもより早くご飯を食べ終えると、ダンスの練習が始まった。
「みっともないなんて言ってたけど、基本はできてると思うよ」
「そうですか?」
「誰と踊るか目星はつけてあるの?」
「ないですよ。僕には許嫁も婚約者もいませんし。第一、モーグ家次男という存在自体が知られていませんでしたから、お誘いを受けるかどうかも未知数です。誰からも誘われなかったら兄さんが相手をしてくれるそうです」
「俺は?」
「駄目です」
「駄目? 俺と踊るのは嫌?」
「そうじゃなくて、貴方には僕よりも相応しい人がいるでしょう」
サロモア嬢とか。
サロモア嬢にリカルドとの間を取り持つことを約束した手前、リカルドと僕が踊るのは良くない。
「相応しいって何?」
「こう、華があるとか、貴族界での立場とか。釣り合いってものがあるはずです」
僕にはリカルドと釣り合うものが何もない。家名だけで考えれば、魔術師御三家という共通点はある。しかし魔力ゼロの僕と有望な人材とでは釣り合いは取れない。
「俺、そういう考え方は嫌いだ。なんでそんなことを気にする?」
「それは……」
社交界の雰囲気がどうだかは分からない。でも最近、学院内でリカルドといると女子からの視線が刺さるようで痛い。それはなぜ僕のような冴えない人間が一緒にいるのだ、とでも言いたげな視線だ。僕とて距離を置けるものなら置いておきたい。一度は直しかけた敬語を元に戻したのは、僕は距離を置きたいという意思表示をしておくためだ。こればかりは何度指摘を受けようがなおすまい。
「貴方に話したってきっと理解されません」
持たざる者の苦悩をどうしたらうまく伝えられるのだろう。
「そう」
リカルドは寂しげに目じりを下げた。
「話は変わるけど、魔力の件については何も思い浮かばなかったんだね」
「はい」
現状どうしようもないことを知っていたような口調だった。
黄緑色の双眸が真っ直ぐにこちらを向き、彼の大きな手が僕の顎を捉えた。顔が近づく前に僕は声をかける。
「嫌じゃないんですか」
「何が?」
「好きでもない相手とその……口づけをするのが」
真っ直ぐ僕に向けられた黄緑色の目が見開かれた。
「シルヴァ君は嫌だった?」
「僕のことはどうだって良いんです」
「嫌だった?」
どうしても僕の気持ちを先に聞きたいらしい。こちらが先に聞いたのに卑怯だ。
嫌、といえば嘘になる。僕は答えに迷った。嫌、と言えれば良いのに。たった二文字が喉の奥から出てこない。黄緑色の目は心底不安そうに揺れている。今まで強引だった癖に、彼は何が不安だというのだろう。
「……嫌、ではないです」
ああ、言ってしまった。彼の揺れていた目から緊張が消える。
「良かった。俺も嫌じゃない。そしたら問題ないね」
彼は心底嬉しそうな顔をした。
「本心ですか」
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顔が近づき、距離はゼロになる。ああ、今回もまた断り切れなかった。流れてくる魔力がいつもより苦いように感じた。
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