51 / 113
51話 王太子の慈しみ(後編)
しおりを挟む
殿下はゆっくりと首を振り、薄く笑った。
「あの砦で過ごした"二人っきりの夜"の話は、セレスと私だけの秘密だ。セレス、お前は窓から抜け出し、私としたことについてアルチュールになにも言うな。これは王太子命令だ」
「なっ……!」
アルチュールが思わず身を乗り出す。
リシャールはその反応に愉快そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと懐から細い箱を取り出した。
「そう怒るな。……そうだセレス、これを渡しておこう」
「これは……」
「開けて見ろ」
丁寧な包装を解き蓋を開けると。箱の中には、金と銀の糸がより合わされた組紐が一筋――光の角度で、まるで昼と夜が溶け合うように艶めく。
「私の加護が籠めてある。今、セレスが付けているアルチュールからもらった青と銀の組紐と一緒に結べ。いいか、この私の組紐のほうを上段に結べ」
「えっ」
驚く俺を見て、殿下は唇の端をかすかに吊り上げた。
「お前たちが、むつみ合うときも外すな。片時も、私の気配を忘れぬように」
穏やかに、しかし確かに底意地の悪い笑み。その声音には、甘やかさと、そして独占欲の残り香が混ざっていた。
アルチュールが言葉を失い、俺は頬に熱が昇るのを自覚する。リシャールはそんな俺たちを眺めながら、片手を顎に当て愉悦と哀しみをないまぜにした微笑を浮かべた。
「……これは呪いではない。祈りだ。お前たちの幸せを、王太子として保証してやる祈りだ――アルチュール、せいぜい悩め。頭が噴火するほど嫉妬していろ。あの夜になにがあったか、お前には一生、教えてやらん。あちこちから熱い視線を送られる人気者の『銀の君』を独り占めできるんだ。私が長年、大切に見守って来たセレスタンに、お前は触れることを許されたんだ。このくらいの嫌がらせで済ませてやる私に、大いに感謝しろ」
その言葉には、僅かな棘と、それ以上に優しい諦めが滲んでいた。
アルチュールが息をのみ、無言で頷く。
沈黙のあと――リシャールがふっと息を吐き、表情をゆるめた。
「……とはいえ、私ばかりが損をして終わるのも癪だな」
そう言って、彼はポケットから小瓶を取り出す。
それは、さっきジュールから配られたポーションだった。
「私もニコラに噛まれたようだ」
「は?」
「セレス、これを口移しで飲ませてくれないか?」
「いや、殿下、あんたナタン抱えてて、ニコラと接触してないじゃないですかっ!」
俺が全力で突っ込むより早く、隣のアルチュールが手を伸ばした。
「なら、俺が飲ませます!」
そう言って、殿下の手からポーションを奪う。
……えっ、ちょっ、ちょっと待って! ここでアル×リシャ!? 待望のキスシーン!?
唐突に、俺の中の腐男子がヒャッハーっと頭をもたげ、悲鳴を上げる。やばい、無理。尊死案件。
「おいアルチュール……、お前の恋人がカタカタ震えながら涙目で見ているぞ」
「いや、セレス、冗談だから。しないから」
「大丈夫。問題ない。俺をソファーだと思って続けてアルチュール」
自分で言っておきながら、声がちょっと震えていた。
馬車。密室。
え、これ、薄い本の導入じゃない? え??
頭の中で、ペンを握った腐女子たちが一斉に立ち上がる幻覚が見えた。
王太子殿下と辺境の子爵家次男の身分差逆転キス。なんというご褒美!
「いや、問題大有りだろう?」
「セレス、アルチュールが君の前で他の人間とキスしたら、君が一番、傷付くだろう?」
リシャール殿下は別ですっ、と言いかけて言葉を飲んだ。ぐさっと来る。図星だ。
……やはり、リシャール相手でも嫌だと思う自分が居る。
アルチュールが、わずかに肩をすくめて眉尻を下げた。
「俺も……、ニコラ相手に人助けだと分かっていても、目の前でセレスが自分以外とキスしているのを見ると、やっぱり傷付いた」
「それは……、ごめん」
「帰ったら、慰めてくれるんだろ?」
「……あ、ああ、まあ……」
頷いた瞬間、静寂が落ちた。
――と、向かいからやけに冷静な声が割り込む。
「すまないが……、お前たち二人に、私の姿は見えているか?」苦笑しながら、リシャール殿下は指先で自分のこめかみを軽く押さえた。「まったく……。王太子の威光とは、密室の熱気の前では儚いものだな」
冗談めかした一言に、張りつめていた空気がふっと緩む。
その隙間に、アルチュールの小さな息がこぼれた。
「……本当に、今日は色々ありすぎたな」
ぽつりと落ちたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。
夕陽の赤が馬車の中に差し込み、殿下の横顔と、隣に座るアルチュールの横顔を、同じ色で静かに照らす。
窓の外には、学院の塔が見え始めていた。
「あの砦で過ごした"二人っきりの夜"の話は、セレスと私だけの秘密だ。セレス、お前は窓から抜け出し、私としたことについてアルチュールになにも言うな。これは王太子命令だ」
「なっ……!」
アルチュールが思わず身を乗り出す。
リシャールはその反応に愉快そうな笑みを浮かべ、ゆっくりと懐から細い箱を取り出した。
「そう怒るな。……そうだセレス、これを渡しておこう」
「これは……」
「開けて見ろ」
丁寧な包装を解き蓋を開けると。箱の中には、金と銀の糸がより合わされた組紐が一筋――光の角度で、まるで昼と夜が溶け合うように艶めく。
「私の加護が籠めてある。今、セレスが付けているアルチュールからもらった青と銀の組紐と一緒に結べ。いいか、この私の組紐のほうを上段に結べ」
「えっ」
驚く俺を見て、殿下は唇の端をかすかに吊り上げた。
「お前たちが、むつみ合うときも外すな。片時も、私の気配を忘れぬように」
穏やかに、しかし確かに底意地の悪い笑み。その声音には、甘やかさと、そして独占欲の残り香が混ざっていた。
アルチュールが言葉を失い、俺は頬に熱が昇るのを自覚する。リシャールはそんな俺たちを眺めながら、片手を顎に当て愉悦と哀しみをないまぜにした微笑を浮かべた。
「……これは呪いではない。祈りだ。お前たちの幸せを、王太子として保証してやる祈りだ――アルチュール、せいぜい悩め。頭が噴火するほど嫉妬していろ。あの夜になにがあったか、お前には一生、教えてやらん。あちこちから熱い視線を送られる人気者の『銀の君』を独り占めできるんだ。私が長年、大切に見守って来たセレスタンに、お前は触れることを許されたんだ。このくらいの嫌がらせで済ませてやる私に、大いに感謝しろ」
その言葉には、僅かな棘と、それ以上に優しい諦めが滲んでいた。
アルチュールが息をのみ、無言で頷く。
沈黙のあと――リシャールがふっと息を吐き、表情をゆるめた。
「……とはいえ、私ばかりが損をして終わるのも癪だな」
そう言って、彼はポケットから小瓶を取り出す。
それは、さっきジュールから配られたポーションだった。
「私もニコラに噛まれたようだ」
「は?」
「セレス、これを口移しで飲ませてくれないか?」
「いや、殿下、あんたナタン抱えてて、ニコラと接触してないじゃないですかっ!」
俺が全力で突っ込むより早く、隣のアルチュールが手を伸ばした。
「なら、俺が飲ませます!」
そう言って、殿下の手からポーションを奪う。
……えっ、ちょっ、ちょっと待って! ここでアル×リシャ!? 待望のキスシーン!?
唐突に、俺の中の腐男子がヒャッハーっと頭をもたげ、悲鳴を上げる。やばい、無理。尊死案件。
「おいアルチュール……、お前の恋人がカタカタ震えながら涙目で見ているぞ」
「いや、セレス、冗談だから。しないから」
「大丈夫。問題ない。俺をソファーだと思って続けてアルチュール」
自分で言っておきながら、声がちょっと震えていた。
馬車。密室。
え、これ、薄い本の導入じゃない? え??
頭の中で、ペンを握った腐女子たちが一斉に立ち上がる幻覚が見えた。
王太子殿下と辺境の子爵家次男の身分差逆転キス。なんというご褒美!
「いや、問題大有りだろう?」
「セレス、アルチュールが君の前で他の人間とキスしたら、君が一番、傷付くだろう?」
リシャール殿下は別ですっ、と言いかけて言葉を飲んだ。ぐさっと来る。図星だ。
……やはり、リシャール相手でも嫌だと思う自分が居る。
アルチュールが、わずかに肩をすくめて眉尻を下げた。
「俺も……、ニコラ相手に人助けだと分かっていても、目の前でセレスが自分以外とキスしているのを見ると、やっぱり傷付いた」
「それは……、ごめん」
「帰ったら、慰めてくれるんだろ?」
「……あ、ああ、まあ……」
頷いた瞬間、静寂が落ちた。
――と、向かいからやけに冷静な声が割り込む。
「すまないが……、お前たち二人に、私の姿は見えているか?」苦笑しながら、リシャール殿下は指先で自分のこめかみを軽く押さえた。「まったく……。王太子の威光とは、密室の熱気の前では儚いものだな」
冗談めかした一言に、張りつめていた空気がふっと緩む。
その隙間に、アルチュールの小さな息がこぼれた。
「……本当に、今日は色々ありすぎたな」
ぽつりと落ちたその言葉は、誰に向けたものでもなかった。
夕陽の赤が馬車の中に差し込み、殿下の横顔と、隣に座るアルチュールの横顔を、同じ色で静かに照らす。
窓の外には、学院の塔が見え始めていた。
67
あなたにおすすめの小説
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
-----------------------------------------
0時,6時,12時,18時に2話ずつ更新
悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?
* ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。
悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう!
せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー?
ユィリと皆の動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵も動画もあがります。ほぼ毎日更新!
Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新!
プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!
婚約破棄から50年後
あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。
そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。
悪役令嬢の兄に転生!破滅フラグ回避でスローライフを目指すはずが、氷の騎士に溺愛されてます
水凪しおん
BL
三十代半ばの平凡な会社員だった俺は、ある日、乙女ゲーム『君と紡ぐ光の協奏曲』の世界に転生した。
しかも、最推しの悪役令嬢リリアナの兄、アシェルとして。
このままでは妹は断罪され、一家は没落、俺は処刑される運命だ。
そんな未来は絶対に回避しなくてはならない。
俺の夢は、穏やかなスローライフを送ること。ゲームの知識を駆使して妹を心優しい少女に育て上げ、次々と破滅フラグをへし折っていく。
順調に進むスローライフ計画だったが、関わると面倒な攻略対象、「氷の騎士」サイラスになぜか興味を持たれてしまった。
家庭菜園にまで現れる彼に困惑する俺。
だがそれはやがて、国を揺るがす陰謀と、甘く激しい恋の始まりを告げる序曲に過ぎなかった――。
なぜ、私に関係あるのかしら?
シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」
彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。
そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。
「…レオンハルト・トレヴァントだ」
非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。
そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。
「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」
この判断によって、どうなるかなども考えずに…
※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。
※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、
※ 画像はAIにて作成しております
【本編完結】偽物の番
麻路なぎ
BL
α×β、オメガバース。
大学に入ったら世界は広がると思っていた。
なのに、友達がアルファとオメガでしかも運命の番であることが分かったことから、俺の生活は一変してしまう。
「お前が身代わりになれよ?」
俺はオメガの身代わりに、病んだアルファの友達に抱かれることになる。
卒業まで限定の、偽物の番として。
※フジョッシー、ムーンライトにも投稿
イラストはBEEBARさん
※DLsiteがるまにより「偽物の番 上巻・中巻・下巻」配信中
※フジョッシー小説大賞一次選考通過したよ
異世界で孵化したので全力で推しを守ります
のぶしげ
BL
ある日、聞いていたシチュエーションCDの世界に転生してしまった主人公。推しの幼少期に出会い、魔王化へのルートを回避して健やかな成長をサポートしよう!と奮闘していく異世界転生BL 執着最強×人外美人BL
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる