ノイズの都市

久遠 司

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第7章「ドッペルゲンガー」

第1話 もう一人の自分

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最初に異変に気づいたのは、本人ではなかった。

「……あれ、久遠さん?」
事務所の下で、管理人が首を傾げた。

「さっき、出て行きませんでした?」

久遠は、ドアノブに手をかけたまま、動きを止めた。

「……いつですか」

「十分くらい前です。
電話しながら、急いで」

久遠は、ゆっくり振り返る。

「……鷹宮」

「聞いてた」
鷹宮は、即座に応じた。「俺も、今来たばかりだ」

二人の視線が、自然に噛み合う。

「……来たな」
久遠が、低く言った。

「ドッペルゲンガーだ」



依頼は、増えていた。

だが、内容はどれも曖昧だ。
• 自分と同じ人を見た
• 声をかけたが、無視された
• “自分がやっていないこと”をやったと言われた

「……被害が、成立しにくい」
鷹宮が言う。

「証拠が残らないからな」
久遠は頷く。「存在のズレが、核心だ」



ドッペルゲンガーの都市伝説は、古い。
• 見た者は死ぬ
• 出会ったら終わり
• 影が先に動く

だが、今回の噂は違っていた。

「……“死なない”」
久遠が言う。

「代わりに?」

「生活が、壊れる」



被害者の一人、会社員の男性は、疲れ切った顔をしていた。

「……自分が、
勝手に休暇を取ったことになってて」

「覚えは?」
鷹宮が問う。

「ありません。
でも、上司は
“確かにお前だった”って」

同僚も、家族も、
否定しない。

「……周囲は、
“もう一人の自分”を受け入れている」
久遠が言う。

「本人だけが、
置いていかれてる」

男性は、掠れた声で言った。

「……じゃあ、
今ここにいる俺は、
何なんですか」

久遠は、すぐに答えなかった。



調査を進める中で、
奇妙な共通点が見えてきた。
• もう一人は、
本人より“上手くやる”
• 失言をしない
• 空気を読む
• 迷わない

「……理想化されてるな」
鷹宮が言う。

「うん」
久遠は頷く。「“こうありたかった自分”だ」



その夜。

久遠は、帰宅途中で足を止めた。

ガラス張りのビル。
そこに映る、自分の姿。

——いや。

一瞬、ズレた。

映った自分が、
わずかに遅れて、微笑んだ。

「……」

久遠は、息を止める。

《……疲れてませんか》

声が、
背後からではなく、
内側から聞こえた。

「……誰だ」

《あなたですよ》

久遠は、振り返らない。

「……俺は、ここにいる」

《でも、
“こうしたほうがいい”って、
ずっと考えてましたよね》

街灯の下に、
もう一人の久遠が立っていた。

表情も、声も、
ほとんど同じ。

違うのは——
迷いがないこと。

《あなたの代わりに、
やってあげます》

「……何を」

《選択を。
説明を。
後悔を》

久遠は、静かに言った。

「……それは、
生きてるって言わない」

もう一人の久遠は、
小さく笑った。

《効率的ですよ》



その時、
鷹宮の声が響いた。

「——久遠」

影が、揺れる。

もう一人の姿が、
一歩、後退した。

「……一人じゃ、
成立しないか」
久遠が呟く。

《……》

もう一人は、
何も言わず、
街のノイズに溶けていった。



事務所に戻り、
久遠は椅子に座り込んだ。

「……あれは、
俺だった」

「だろうな」
鷹宮は、淡々と答える。

「ドッペルゲンガーは、
“存在”じゃない」

久遠は、深く息を吐いた。

「役割の分離だ」

「理想と現実」

「うん」

窓の外で、
誰かが通り過ぎる。

その影が、
一瞬だけ——
二重に見えた。

ドッペルゲンガーは、
まだ消えていない。

それは、
あなたの代わりに
“正しく生きる”準備をしている。
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