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EP3
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佐藤は電車の座席に座り、ビーコンがデバイスに送信した資料を眺めていた。
多田マイケル。最終学歴は中学。中学を卒業した後に、すぐに建築現場の作業員として働き始め、1年ほど経って退職。その後は内装屋や、配達員、派遣業など職を転々としている。その間に傷害事件を起こしたが不起訴になっている。二年前から現在の職場で働き始めている。現在の住所になっている千葉の集合住宅は、警察がすでに確認している。ビーコンの資料には、部屋の写真まで添付されていた。六畳もない小さな部屋からは、雑然とした生活感を感じた。整頓されているわけではないが、物が少ないのでそこまで散らかっている印象は受けない。
移民による治安悪化の問題。いや、正しくは金のない人間による治安悪化の問題。当時の人々は主語を大きくしすぎて、その実態を捉え損ねた。
金に困った人間が犯罪に手を染めること、そして金に困っている移民が多くいたこと。移民側にも日本の慣習や文化といったものを蔑ろにする者や、性犯罪などの凶悪事件を起こした人間がいたのは確かだ。しかし、それは沢山いる移民の中の一部の人間であり、日本人の中にもそういった人間はいる。冷静な人はそう考えることができるが、多くの人は冷静ではなかった。
移民への嫌悪は、ネットを通じて拡散されていった。嘘か真実か分からない情報の中から、人々は自分が信じたいものを信じた。情報の真偽なんてものはどうでも良かったのだろう。ただ、自分の主張を固めてくれるものだけを摂取し続けた。
扇動的な政治家も現れた。その人の政治家としての気質がどうであれ、過激な反移民政策を掲げればある程度の票数を獲得することができた。
結果として、人々は正すべき場所を間違えた。移民がいるから治安が悪化するのだと。そして、移民の排斥に動いた。日常的な彼らへの差別に止まらず、集団による暴力行為すら行なわれた。誰が正式な日本国民であるかどうかは、外見によって判断された。
移民側も黙っていたわけではなかった。暴力には暴力で対抗するものもいた。大規模なデモ運動を起こした人々もいた。移民と日本人の間の溝はどんどん深まっていった。
そして、二○八○年に決定的な事件が起こった。祝日だった金曜日に、移民側と排斥側のデモが衝突した。結果として、鎮圧に動いた警察官、移民側、排斥側、そして何の関係もない民間人を含む、四十人以上が死亡する事件が起きた。いわゆる血の金曜日。
この事件から、今まで移民に対して特別な差別意識を持っていなかった人々も移民に対して敵意を持つ様になった。反面、移民側を擁護する日本人も多く出てきた。事件が原因で移民の現状についての特集が多く組まれたこと。事件の鎮圧に向かった警察が、移民に対してだけ発砲を行ったこと。有名な経済学者がライブ配信で、停滞した日本経済における移民の必要性を訴えたこと。などが大きな要因として挙げられている。みんなG D Pが大好きだった。
結果として、反移民派も移民派も、それぞれの数を増やすだけとなった。移民が日本に入ることを禁じられることもなければ、移民の生活を決定的に向上させる法案が通ることもなかった。
話し合いやデモは何の解決も産まず、時だけが流れた。しかし、その時の流れが、移民に対する差別を緩和した。最も大きな原因は、多くの人々が貧困に喘ぐ様になったからだ。
移民の安い労働力、人口増加による才能ある人物が誕生する回数の増加は、国を再び発展させた。G D Pは中国、アメリカに次ぐ世界三位。過去の日本人がこの数字だけを知ったら、安心するのだろうか。
成長は世代を追うごとに深刻な格差を与えた。裕福な家に生まれた子供がさらに裕福な家庭を築く。この循環が固定化された。貧しい家に生まれた人間が、この循環に割って入ることはどんどん難しくなっていった。格差が広がり、貧困家庭が増えるにつれて、GDPは上向き、治安の悪化が進んでいった。移民だけでなく、多くの日本人が犯罪に手を染める様になった。強盗、強姦、放火、殺人。ドラックの流行。日本人は自分が当事者になって初めて、移民ではなく、貧困が治安悪化の主な原因であることを悟った。
その貧困すらも移民のせいにしようとする集団もいる。しかし、今の日本が移民なしで成り立つ訳が無いというのが大衆の考えであり、佐藤の考えだ。
ふと鼻に煙草の匂いを感じた。日本人の若い男の二人組が、優先席のあたりで煙草をふかしていた。顔の表情を見るに、薬物中毒者の様だった。目の焦点が揺れ、口元に締まりがなく、薄い紫色の顔をしている。
「世も末だな」
かつての日本人がこの姿を見たら衝撃を受けるだろうと思いながら、佐藤は目を閉じた。
多田マイケル。最終学歴は中学。中学を卒業した後に、すぐに建築現場の作業員として働き始め、1年ほど経って退職。その後は内装屋や、配達員、派遣業など職を転々としている。その間に傷害事件を起こしたが不起訴になっている。二年前から現在の職場で働き始めている。現在の住所になっている千葉の集合住宅は、警察がすでに確認している。ビーコンの資料には、部屋の写真まで添付されていた。六畳もない小さな部屋からは、雑然とした生活感を感じた。整頓されているわけではないが、物が少ないのでそこまで散らかっている印象は受けない。
移民による治安悪化の問題。いや、正しくは金のない人間による治安悪化の問題。当時の人々は主語を大きくしすぎて、その実態を捉え損ねた。
金に困った人間が犯罪に手を染めること、そして金に困っている移民が多くいたこと。移民側にも日本の慣習や文化といったものを蔑ろにする者や、性犯罪などの凶悪事件を起こした人間がいたのは確かだ。しかし、それは沢山いる移民の中の一部の人間であり、日本人の中にもそういった人間はいる。冷静な人はそう考えることができるが、多くの人は冷静ではなかった。
移民への嫌悪は、ネットを通じて拡散されていった。嘘か真実か分からない情報の中から、人々は自分が信じたいものを信じた。情報の真偽なんてものはどうでも良かったのだろう。ただ、自分の主張を固めてくれるものだけを摂取し続けた。
扇動的な政治家も現れた。その人の政治家としての気質がどうであれ、過激な反移民政策を掲げればある程度の票数を獲得することができた。
結果として、人々は正すべき場所を間違えた。移民がいるから治安が悪化するのだと。そして、移民の排斥に動いた。日常的な彼らへの差別に止まらず、集団による暴力行為すら行なわれた。誰が正式な日本国民であるかどうかは、外見によって判断された。
移民側も黙っていたわけではなかった。暴力には暴力で対抗するものもいた。大規模なデモ運動を起こした人々もいた。移民と日本人の間の溝はどんどん深まっていった。
そして、二○八○年に決定的な事件が起こった。祝日だった金曜日に、移民側と排斥側のデモが衝突した。結果として、鎮圧に動いた警察官、移民側、排斥側、そして何の関係もない民間人を含む、四十人以上が死亡する事件が起きた。いわゆる血の金曜日。
この事件から、今まで移民に対して特別な差別意識を持っていなかった人々も移民に対して敵意を持つ様になった。反面、移民側を擁護する日本人も多く出てきた。事件が原因で移民の現状についての特集が多く組まれたこと。事件の鎮圧に向かった警察が、移民に対してだけ発砲を行ったこと。有名な経済学者がライブ配信で、停滞した日本経済における移民の必要性を訴えたこと。などが大きな要因として挙げられている。みんなG D Pが大好きだった。
結果として、反移民派も移民派も、それぞれの数を増やすだけとなった。移民が日本に入ることを禁じられることもなければ、移民の生活を決定的に向上させる法案が通ることもなかった。
話し合いやデモは何の解決も産まず、時だけが流れた。しかし、その時の流れが、移民に対する差別を緩和した。最も大きな原因は、多くの人々が貧困に喘ぐ様になったからだ。
移民の安い労働力、人口増加による才能ある人物が誕生する回数の増加は、国を再び発展させた。G D Pは中国、アメリカに次ぐ世界三位。過去の日本人がこの数字だけを知ったら、安心するのだろうか。
成長は世代を追うごとに深刻な格差を与えた。裕福な家に生まれた子供がさらに裕福な家庭を築く。この循環が固定化された。貧しい家に生まれた人間が、この循環に割って入ることはどんどん難しくなっていった。格差が広がり、貧困家庭が増えるにつれて、GDPは上向き、治安の悪化が進んでいった。移民だけでなく、多くの日本人が犯罪に手を染める様になった。強盗、強姦、放火、殺人。ドラックの流行。日本人は自分が当事者になって初めて、移民ではなく、貧困が治安悪化の主な原因であることを悟った。
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ふと鼻に煙草の匂いを感じた。日本人の若い男の二人組が、優先席のあたりで煙草をふかしていた。顔の表情を見るに、薬物中毒者の様だった。目の焦点が揺れ、口元に締まりがなく、薄い紫色の顔をしている。
「世も末だな」
かつての日本人がこの姿を見たら衝撃を受けるだろうと思いながら、佐藤は目を閉じた。
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