崩れゆく世界

伊原亜紀

文字の大きさ
6 / 10

EP6

しおりを挟む
 ビーコンが用意してくれた車は、五分もせずに佐藤の元に走ってきた。佐藤は多田の両手を結束具で縛り助手席に座らせると、自分は運転席に乗り込んだ。

 佐藤は警察までの道のりをナビに入力し、オートパイロットをオンにした。静かな駆動音がし、車が自動で動き出した。

「車は久しぶりか?」佐藤は隣にいる多田に訪ねた。

多田は小さく頷いた。

「今からお前を警察に突き出す。お前は捕まり、俺は金を貰う。文句はあるか?」

 多田は首を振り、いやと小さく言った。佐藤は多田を観察した。先ほどまでの怯えは消えていた。その代わりに、人生で蓄積したものか、この数週間で蓄積したものかはわからないが、疲労が全身から滲み出ているのがよく分かった。見たところ、喜んで人を殺すタイプでも、自分だけ良ければ良いというタイプでもなさそうだった。

「なんで殺したんだ?」

多田は佐藤の質問には答えなかった。ただ黙って助手席側の窓から外を見ていた。

 佐藤も運転席側の窓から外を見た。車は橋の上を走っていた。河川敷にあるホームレスたちの集落は、まだ確認することができた。

「何か飲ませてくれないか」多田が窓の外を見ながら言った。

「何が飲みたいんだ?」

多田は少し考えるように下を見た。
「コーラ。刑務所の中じゃ飲めないだろうから」

「確かに、そいつはなかなかお目にかかれないかもな」佐藤はナビを操作し、近くのコンビニに行き先を設定した。車が自動でそこに向けて走り出す。殺風景な街並みが広がっている。

 佐藤は口を開いた。佐藤は、沈黙に耐えるということが苦手だ。
「昔の日本には、自動販売機が至るところにあったらしい。モールの中だけじゃなく、町中に。信じられないよな。それが成り立つ社会があったんだ。今じゃそんな商売は成立しない。あっという間に何もかも盗まれちまうだろうから」

 佐藤がここまで言ったところで、多田が口を開いた。
「そんな世界に生まれたら、俺でも幸せになれたと思うか?」

「どうだろうな。幸せになるのは難しいからな」

車は信号を左に曲がった。フロントガラスには砂埃が溜まってきている。

「少なくとも、それはこの世界では難しかった。俺にとってはな。生きていくのに精一杯で、生きる代わりに大切なものを犠牲にし続けてきた。ただ生きていくことしかできなかった」

「そうか」佐藤は多田の方をちらりと見た。多田はまだ顔を外に向けていた。

「子供の頃、国に帰れと言ってくる奴らがいた。今も居るがな。俺は日本人だ。見た目は日本人じゃないかもしれないが、この国で生まれた。外国へなんて行ったこともない。そんな俺はどこに帰れば良いんだ」
 そこまで言うと、多田は佐藤の方を見た。

「あんたは見たところ日本人だろ」

「ああ」

「恵まれてるな」

「それは間違いない」佐藤は、自分が日本人に生まれたメリットを十分に活用しているとは思っていなかったが、そう口にした。活用はしなくとも、恩恵は受けた。少なくとも道を歩いている時に罵声を浴びせられたりはしなかった。

「人生は幸せか?」

「最悪ではない。生きる目的も意味も何もないが、楽しいと思うこともたまにはある。まあ、悲観するほど悪くはない」

「良いな」多田はそうつぶやくとヘッドレストに頭を置き、目を瞑った。

 コンビニの看板が見えてきた。車が減速し、バックで駐車場に泊まった。流れるようにスムーズな動きだ。オートパイロットが導入されてから、交通事故の半数が減ったのも納得だ。全ての車への導入が義務付けられたら、事故を望まない限り、起こすことは難しくなるだろう。

「コーラを買ってくる。他に何かいるか?」

「タバコが欲しい」目を瞑りながら多田が答えた。

「紙でよければ俺のをやるが」

「紙が良い。ありがとう」

「逃げても良いぞ。すぐまた捕まえるが」佐藤はドアノブに手をかけ後ろを振り返った。それに多田は少しだけ笑って答えた。

 入り口で顔認証を通し、コンビニの中に入る。防犯と、冷房目当てでコンビニに溜まり続ける客の対策として取り入れられたものだ。店内は涼しく清潔な状態だった。店内には、中年の男が一人いるだけだった。
 佐藤はコーラを二本手に取り、それをセルフレジに持っていった。セルフレジの特殊な台の上にコーラを置く。商品が自動的にスキャンされ、金額が表示された。佐藤はデバイスを操作し、電子コインで決済を行なった。

 店を出て駐車場に停めた車を見ると、多田はまだ車の中に座っていた。
 佐藤は車に歩み寄り助手席のドアを開けた。
「暑いが外で吸おう。このレンタカーは禁煙だから」

 多田は小さく頷くと車の外に出てきた。佐藤は多田の手首につけた拘束具を外してやった。

「逃げるかもしれないぞ」

「そしたらすぐに捕まえる」佐藤は少し笑った。
佐藤は多田にコーラとタバコを渡した。

「ありがとう」

「いいや」佐藤は多田が咥えたタバコにジッポで火をつけた。

多田はうまそうにタバコの煙を吐き出した。何か、体の中に溜まってしまったものを吐き出そうとしているようだった。

「ここから後十分ぐらい走らせたら警察署がある」佐藤は自分のタバコにも火をつけた。
「で、なんで殺したんだ?」

「よくある話だ」多田はコーラの蓋を開け、一口飲むと、小さくゲップした。
「社長からの給料が三ヶ月未払いだった。社長に直談判しに行って、口論になり殺しちまった。殺すつもりはなかった。それで怖くなって逃げた。それだけだ」多田は苦笑いした。

「金は取ってないのか?」佐藤は訪ねた。

「取る金なんてなかったよ。大方、奥さんがうそでもついたんだろ。あの男は俺らの給料も自分ちの金も、何もかも女に注ぎ込んじまったんだから」

「吉原か?」

「ああ。毎晩毎晩あそこに出かけては若い女を買っていたらしい」

「よく飽きないな」

「あそこには今、女が次々と入ってきてるからな。一晩に一人なんてペースじゃないだろ」

 佐藤は顔を顰めた。若い女を男が買う。佐藤はこの手の話が好きではない。G D P世界3位の大国。この国の抱える闇は大きい。いや、今はどの国もそうか。どこもかしこもおかしくなっている。佐藤は口を開いた。
「そろそろ行くか」

多田は大きく息を吐くと、タバコを灰皿に押し付けた。
「ああ。もう十分だ」

「お前が金を取ってないってのは、一応警察に言っておく。まあ期待はするな」

「ありがとな。何から何まで」

「捕まえた人間に対する言葉じゃないな」佐藤は苦笑した。

「いいや。あんたが俺を捕まえに来なかったら、いつか賞金稼ぎの奴らに殺されてたさ」

「刑務作業は厳しいぞ」

「俺がこっちでやってた仕事と刑務作業じゃ大した差はないよ。勝手に飯が出てくるから楽なくらいだ」

佐藤は苦笑し、車の助手席のドアを開けた。
「乗れよ。安全運転で連れて行ってやる」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

スライム退治専門のさえないおっさんの冒険

守 秀斗
ファンタジー
俺と相棒二人だけの冴えない冒険者パーティー。普段はスライム退治が専門だ。その冴えない日常を語る。

チート魅了スキルで始まる、美少女たちとの異世界ハーレム生活

仙道
ファンタジー
 ごく普通の会社員だった佐々木健太は、異世界へ転移してして、あらゆる女性を無条件に魅了するチート能力を手にする。  彼はこの能力で、女騎士セシリア、ギルド受付嬢リリア、幼女ルナ、踊り子エリスといった魅力的な女性たちと出会い、絆を深めていく。

処理中です...