崩れゆく世界

伊原亜紀

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EP6

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 ビーコンが用意してくれた車は、五分もせずに佐藤の元に走ってきた。佐藤は多田の両手を結束具で縛り助手席に座らせると、自分は運転席に乗り込んだ。

 佐藤は警察までの道のりをナビに入力し、オートパイロットをオンにした。静かな駆動音がし、車が自動で動き出した。

「車は久しぶりか?」佐藤は隣にいる多田に訪ねた。

多田は小さく頷いた。

「今からお前を警察に突き出す。お前は捕まり、俺は金を貰う。文句はあるか?」

 多田は首を振り、いやと小さく言った。佐藤は多田を観察した。先ほどまでの怯えは消えていた。その代わりに、人生で蓄積したものか、この数週間で蓄積したものかはわからないが、疲労が全身から滲み出ているのがよく分かった。見たところ、喜んで人を殺すタイプでも、自分だけ良ければ良いというタイプでもなさそうだった。

「なんで殺したんだ?」

多田は佐藤の質問には答えなかった。ただ黙って助手席側の窓から外を見ていた。

 佐藤も運転席側の窓から外を見た。車は橋の上を走っていた。河川敷にあるホームレスたちの集落は、まだ確認することができた。

「何か飲ませてくれないか」多田が窓の外を見ながら言った。

「何が飲みたいんだ?」

多田は少し考えるように下を見た。
「コーラ。刑務所の中じゃ飲めないだろうから」

「確かに、そいつはなかなかお目にかかれないかもな」佐藤はナビを操作し、近くのコンビニに行き先を設定した。車が自動でそこに向けて走り出す。殺風景な街並みが広がっている。

 佐藤は口を開いた。佐藤は、沈黙に耐えるということが苦手だ。
「昔の日本には、自動販売機が至るところにあったらしい。モールの中だけじゃなく、町中に。信じられないよな。それが成り立つ社会があったんだ。今じゃそんな商売は成立しない。あっという間に何もかも盗まれちまうだろうから」

 佐藤がここまで言ったところで、多田が口を開いた。
「そんな世界に生まれたら、俺でも幸せになれたと思うか?」

「どうだろうな。幸せになるのは難しいからな」

車は信号を左に曲がった。フロントガラスには砂埃が溜まってきている。

「少なくとも、それはこの世界では難しかった。俺にとってはな。生きていくのに精一杯で、生きる代わりに大切なものを犠牲にし続けてきた。ただ生きていくことしかできなかった」

「そうか」佐藤は多田の方をちらりと見た。多田はまだ顔を外に向けていた。

「子供の頃、国に帰れと言ってくる奴らがいた。今も居るがな。俺は日本人だ。見た目は日本人じゃないかもしれないが、この国で生まれた。外国へなんて行ったこともない。そんな俺はどこに帰れば良いんだ」
 そこまで言うと、多田は佐藤の方を見た。

「あんたは見たところ日本人だろ」

「ああ」

「恵まれてるな」

「それは間違いない」佐藤は、自分が日本人に生まれたメリットを十分に活用しているとは思っていなかったが、そう口にした。活用はしなくとも、恩恵は受けた。少なくとも道を歩いている時に罵声を浴びせられたりはしなかった。

「人生は幸せか?」

「最悪ではない。生きる目的も意味も何もないが、楽しいと思うこともたまにはある。まあ、悲観するほど悪くはない」

「良いな」多田はそうつぶやくとヘッドレストに頭を置き、目を瞑った。

 コンビニの看板が見えてきた。車が減速し、バックで駐車場に泊まった。流れるようにスムーズな動きだ。オートパイロットが導入されてから、交通事故の半数が減ったのも納得だ。全ての車への導入が義務付けられたら、事故を望まない限り、起こすことは難しくなるだろう。

「コーラを買ってくる。他に何かいるか?」

「タバコが欲しい」目を瞑りながら多田が答えた。

「紙でよければ俺のをやるが」

「紙が良い。ありがとう」

「逃げても良いぞ。すぐまた捕まえるが」佐藤はドアノブに手をかけ後ろを振り返った。それに多田は少しだけ笑って答えた。

 入り口で顔認証を通し、コンビニの中に入る。防犯と、冷房目当てでコンビニに溜まり続ける客の対策として取り入れられたものだ。店内は涼しく清潔な状態だった。店内には、中年の男が一人いるだけだった。
 佐藤はコーラを二本手に取り、それをセルフレジに持っていった。セルフレジの特殊な台の上にコーラを置く。商品が自動的にスキャンされ、金額が表示された。佐藤はデバイスを操作し、電子コインで決済を行なった。

 店を出て駐車場に停めた車を見ると、多田はまだ車の中に座っていた。
 佐藤は車に歩み寄り助手席のドアを開けた。
「暑いが外で吸おう。このレンタカーは禁煙だから」

 多田は小さく頷くと車の外に出てきた。佐藤は多田の手首につけた拘束具を外してやった。

「逃げるかもしれないぞ」

「そしたらすぐに捕まえる」佐藤は少し笑った。
佐藤は多田にコーラとタバコを渡した。

「ありがとう」

「いいや」佐藤は多田が咥えたタバコにジッポで火をつけた。

多田はうまそうにタバコの煙を吐き出した。何か、体の中に溜まってしまったものを吐き出そうとしているようだった。

「ここから後十分ぐらい走らせたら警察署がある」佐藤は自分のタバコにも火をつけた。
「で、なんで殺したんだ?」

「よくある話だ」多田はコーラの蓋を開け、一口飲むと、小さくゲップした。
「社長からの給料が三ヶ月未払いだった。社長に直談判しに行って、口論になり殺しちまった。殺すつもりはなかった。それで怖くなって逃げた。それだけだ」多田は苦笑いした。

「金は取ってないのか?」佐藤は訪ねた。

「取る金なんてなかったよ。大方、奥さんがうそでもついたんだろ。あの男は俺らの給料も自分ちの金も、何もかも女に注ぎ込んじまったんだから」

「吉原か?」

「ああ。毎晩毎晩あそこに出かけては若い女を買っていたらしい」

「よく飽きないな」

「あそこには今、女が次々と入ってきてるからな。一晩に一人なんてペースじゃないだろ」

 佐藤は顔を顰めた。若い女を男が買う。佐藤はこの手の話が好きではない。G D P世界3位の大国。この国の抱える闇は大きい。いや、今はどの国もそうか。どこもかしこもおかしくなっている。佐藤は口を開いた。
「そろそろ行くか」

多田は大きく息を吐くと、タバコを灰皿に押し付けた。
「ああ。もう十分だ」

「お前が金を取ってないってのは、一応警察に言っておく。まあ期待はするな」

「ありがとな。何から何まで」

「捕まえた人間に対する言葉じゃないな」佐藤は苦笑した。

「いいや。あんたが俺を捕まえに来なかったら、いつか賞金稼ぎの奴らに殺されてたさ」

「刑務作業は厳しいぞ」

「俺がこっちでやってた仕事と刑務作業じゃ大した差はないよ。勝手に飯が出てくるから楽なくらいだ」

佐藤は苦笑し、車の助手席のドアを開けた。
「乗れよ。安全運転で連れて行ってやる」
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