牧野

伊原亜紀

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出会い

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「ガルシア=マルケス」突然後ろから声をかけられた。
 僕は予定されていた午後の授業がなくなったため、食堂で本を読み、バイトが始まるまでの時間を潰していた。
ぶっきらぼうな、噛んでいたガムを地面に吐き捨てるような話し方だった。友好的だとは言い難い態度で話しかけられた僕は、驚いて斜め後ろを振り返った。
 僕の目線の先には、目つきの悪い一人の女子大生がいた。黒い半袖のバンドTシャツを着て、幅の広いジーンズを履いていた。背負ったリュックには、レッドソックスの帽子がつけられていた。彼女は続けて口を開き、 
「好きなの?」と聞いてきた。最低限しか口を動かさず、それでいて腹話術のように声がきちんと聞こえる。女子にしては低めの声が耳に響いた。 ぶっきらぼうなその口調に、なぜか不快感は感じなかった。
 僕はその問いに対する答えを慎重に考えた。条件反射のような解答を述べる気にはなれなかった。数秒ほど時間を空けて、僕は答えた。
「面白いとは思うけど、特別好きかと言われるとそうでもない」正直な返答だ。嘘をつくこともできたが、彼女がガルシア=マルケスを好んでいた場合に展開されそうな会話についていく自信がなかった。僕はこの本を含めて、二冊しか彼の本を読んでいなかった。
 僕の言葉を聞いた彼女は、僕の方を見たまましばらく口を閉ざした。数秒ほどの時間を置いて、やがて彼女は口を開いた。 
「私もそう思う。面白いとは思うけど、特別好きかと言われるとそうでもない」 
 その時の僕たちの会話は普通の会話と比べて、いささか間が空きすぎていた。 彼女の答えで止まってしまった会話を僕は丁寧に繋げたかったが、ありきたりな言葉しか出てこなかった。
「本が好きなの?」
 彼女は僕の顔を睨みつけるように見た。僕はする質問を間違えたかと思った。
「好きは好きだけど、特別好きなわけでもない」彼女の答えに対して、僕は「なるほど」と言い、その後に何を続ければよいか分からなかった。日本人でガルシア=マルケスを読む人は、僕にとっては十分な本好きだった。少なくとも、本に馴染みのない人が、気楽に手を出そうとする作家ではない。
 僕が答えに詰まっていると、彼女が再び口を開いた。
「私は時間を埋めるために本を読んでいるに過ぎない。それが本当に好きなわけではないけど、それがなくては生きられない。私にとってはそれが本。そういうものって、あるでしょ?」
「ああ」最近の自分の考えを口に出されたような気がした。空白の時間というものは誰にとっても耐え難いものであり、それを乗り切る船のような物が、僕たちには必要だ。そしてその船は、必ずしも乗組員に愛されているとは限らない。必要なことと、愛することは必ずしもイコールではない。悲しいけれど。ある人にとって船は友人であり、恋人であり、スマートフォンだ。
「本好きなの?」彼女が聞き返してきた。肩の上あたりで短く切られた髪の毛が少し揺れた。儀礼的に質問してくれているのか、本当に気になっているのか分からなかった。僕は口を開き、
「まあ、好きだね。少なくとも、本を読んでいる時間に、満足はしている」僕は丁寧に言葉を選び、そう答えた。
彼女は僕の返答に、少しだけうなづき、小さく笑った。
「本当に好きなんだね」
 その控えめな笑顔を見て、僕は胸の奥が心地よく締め付けられていくのを感じた。
 これが僕と牧野の出会いだった。
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