婚約破棄後の令嬢は果たして幸福になれるのか?

エスミ

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前編

神官長:2

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果たして来客は夜更けも過ぎる頃合いにあった。
パオロに連れてこられたのは重い外套に身を包んだ男と、小柄な二人は女性だろうか。
彼らは一人は小さく、他は深々と礼を執る。
「楽にしてくれ。そして久方ぶりの姿を見せてくれないか」
エジェオは思い描いていた人物であろう外套の男に声をかけると、徐に男は礼を直し被りを解いた。
「猊下、ご無沙汰しております」
「よく訪れてくれた、ガレッティ卿」
一時期の渦中にあったガレッティ侯爵は、まだ壮齢の頃であるはずが久しく会っていなかったエジェオであっても見て取れる程老い疲れていた。
何かあったかと問うほど不敏ではない。痛ましく思いながらエジェオはあとの二人にも寛げるよう促した。
扉近くで深い礼を崩していなかった一人はすくと立ち上がりガレッティ侯爵の後ろに控えた女性の外套の紐をほどきにかかる。動きからして侍女だろうが、侯爵にして膝を折る神官長を前に一人で外套も脱げないとはいったい。
と、深く考察する暇もなかった。
外套を外された女性は若く美しく、緩やかな訪問着の袖から見える両の細腕は手首から肘まで大きく包帯に覆われていた。
何事かと視線を上げれば首元にも同じく。
ガレッティ侯爵を見やれば、小さく被りを振った。
「末娘のディーナでございます。本来ならば本人に挨拶させるべきところ、ご覧の通り喉を傷めておりますのでご容赦ください」

ディーナはゆっくりとおぼつかなく膝を軽く折り淑女の礼を執った。
いや、その所作は優雅ではある。だがスカートを軽く持ち上げるはずの指は、腕は、身体の横に添えられたまま微動だにしなかった。
動いていなかった。

「あー、神官長猊下?侯爵閣下ご一行は王都から休む間もなくいらっしゃったとのことですよ?座ってもらったらいがかですかね」
あえて場の空気を変えるためか、従僕神官が神官長の肩をつつく。
「あ、あぁ。ガレッティ卿、ディーナ嬢と侍女殿も長旅に疲れただろう。こちらに掛けてくれ」
有難く、と少しだけ相好を崩したガレッティ侯爵はディーナの背に手を添えゆっくりと長椅子へと導いた。侍女もそれに付き添い、腰掛ける際のスカートの裾を丁寧に整える。そしてそのままディーナの横に腰を据えると恭しく手を取り一方を膝の上へ、もう一方は自らの指に重ね置いた。
侍女の着席を許したのは間違いなかったと安堵しつつ、エジェオは一人掛けの革椅子に深く身をゆだねる。
パオロはその隙にと続きの控え間に一旦下がり、茶器台を押して戻ってきた。
「侍女殿、お嬢様にお茶をお出ししても?」
「はい、出来ますなら心持ち薄目ですとありがたく存じます」
「お任せを」
執事の如く一礼したパオロは軽やかに深夜の茶会をセッティングする。
エジェオは革椅子から身を起こし、静かに目を伏せるディーナを見つめた。
「ディーナ嬢、名乗りが遅れてすまない。私はここの神官長を務めているエジェオだ。これは従僕神官のパオロ」
「ご紹介に預かりましたパオロと申します。神の教えより学術書の見解を説かれるのがお好きな神官長猊下のお目付け役を買って出ております。そこな侍女殿のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「アンナ、と申します」
「アンナ殿ですね。さすがディーナお嬢様の侍女を担うだけあって大変お可愛らしい。ぜひお見知りおきを」
「パオロ!いいからお前も座れ!」
神官にあるまじき軽口を叩くパオロに恫喝しながら空いた革椅子を指し示す。
ようやく落ち着いたところで、エジェオはディーナの目元が微かにほころんだことに気付いた。狙っていたわけではなかろうなとこればかりは従僕神官を内心否定する。あれは素だ。

そんなディーナに目を細めて何度も頷いたガレッティ侯爵は、エジェオに向き直り口元を引き締めた。
エジェオもそれを受け話を促す。
「本来なら互いの近況でも語らうところではあるが、もう夜も遅い、本題に入った方がいいな?」
「はい、今宵の不作法に重ねて不躾を承知でお願いがございます」
「言ってくれ。恩人たる卿の願いならば私の出来うる限りで応えようとも」
エジェオが兄王に伏されずここにいるのはガレッティ侯爵の説得によるものだ。王家の存続のためにも国民の為にも兄を諫めるべきではないかと迷い動けなかったエジェオに、今は何より命を取り機を伺うが重要と滾々と諭したのだ。挙句侯爵自らの喉に短剣を突き付け、残るのならば先んじて審判の扉へ向かい神の御許への道の露払いを務めようとその禁忌すら犯す覚悟を知らしめた。そこまでかと観念したエジェオは忠義に感謝し、城を抜けた。神官長に至るまで幾度となく差し向けられた暗殺の手に、あのまま城にあったならとうに儚くなっていただろうと得心している。
ガレッティ侯爵はしばし口籠り唾をのむ。だが意を決しエジェオに言いつのった。
「ご厚情にすがることをお許しください。ディーナを、我が娘をお匿いいただきたく。娘が猊下の安寧を揺るがすやもしれません。ですがこのまま王都におれば、いやそれどころか領地であろうと私の手元に置けば娘は……死を得てしまう……!」
やはり、とエジェオは頭を抱え呻く侯爵を見やった。喉を傷め声が出ず、腕が動かぬ体で馬車を駆けさせここまで来たのだ。パオロに視線をやれば心得たように口を開く。
「侯爵閣下、まずはお茶を喫して落ち着きましょう。気の利かない神官長猊下が口を付けなくともこれはわたくしめが皆様にお淹れした疲れと心を癒す渾身の茶、咎めを受けるべくもありません」
「……」
望んだ応えはそうじゃない、とは言えずエジェオは気まずげにカップを取った。一口こくりと喉が動くのを見定め、侍女アンナがディーナの前に置かれた茶を持ち上げる。
自らの唇に縁を寄せ、茶がそれに触れる程に傾ける。すぐに離すとハンカチーフで丁寧に拭い取り、ディーナの口元にカップを当て、ゆっくりと注ぎ入れディーナの喉を潤す。
「……侍女には熱を確認させています。決して毒を恐れての所作ではございません」
「えぇえぇ、もちろん侯爵閣下の二心を疑いはしませんよ。お嬢様の苺のような瑞々しいお唇が熱にやられるなどとんでもないことでございますからね」
「パオロ殿は相変わらずなようだ」
苦笑を浮かべられる程にはガレッティ侯爵の気も落ち着いたようだ。
エジェオはそのまま場を口の立つパオロに任せることにする。
「して侯爵閣下、私どもは神職として神殿に押し込められておりますゆえ、どうにも俗世に疎く。お嬢様のご活躍は耳にしておりましたが、思いがけず痛ましいお姿に我が胸も痛むばかりです」
「これは……陛下のご意思によるもの」
「……っ」
当たって欲しくはなかった最悪の想定にエジェオは息を呑む。
ガレッティ侯爵は低く語り始めた。

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