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第二百六話 アーバインの、最後の願い
しおりを挟む俺はアポも取らず、勢い良く家を飛び出した。
服装もスーツのままで、全力でアーバインの屋敷に向かった。
会えるかどうかなんてわからない。
貴族の世界は、死期が近いとバレたら色々つけこまれそうだから、可能な限りは秘匿にしたいはず。
兄貴がどういう経由でアーバインの容態を知ったのかはわからないけど、そんな貴族界隈の駆け引き云々は関係なく、あいつが心配だったんだ。
通常なら会えないだろうけど、身体が先に動いちまった。
全力で走れば多分十五分程で着くだろう。
もう外は日が暮れて夜になろうとしている。
それでも王都の道は人で賑わっていた。
大変よろしい事なんだが、今は邪魔で鬱陶しく感じる。
「頼む、道を、道を開けてくれ!!」
俺はスピードを緩める事なく、大声で叫んで道を譲って貰った。
皆俺を見て、何かあったんだろうと道の中央を譲ってくれたんだ。
出店を出している顔馴染みのおばちゃんが、「気を付けて急ぎな!!」と言ってくれた。
ああ、元々そのつもりだ。
そして走っている間、アーバインとの思い出が走馬灯のように思い浮かぶ。
初めて会ったのは、八歳の頃だったっけ。
レイの親父さん、今は俺のお義父上がレイを助けたお礼にねだって、リューンを受け取りに行った時だったな。
最初は初対面なのに、俺はあいつにブチ切れちまった。
そりゃそうだ、まるで空みたいに上限がない音楽の世界を、自分の世界で勝手に天井を決めて且つ極めたと思い込んでたんだからな。
まぁでもこの異世界の音楽の発展具合を考えると仕方無いとは思うけど、前世で血ヘドを吐いて音楽業界で生計を立てていた俺から見たら、相当な勘違い野郎だったんだ。
だけどあいつは、自分の驕りと認めて受け止めて、俺から吸収できるものは吸収しようと利用する為に自分の学校へ留学を薦めてきた。
今思えば、あの誘いに乗らなかったら、俺はミリア、レイス、レオン、オーグに出会えなかったろうな。
それに音楽業界で名を売る事すら出来なかっただろうし、今の地位にもなれなかった。
きっと、アーリアに出会わず、なぁなぁでレイの実家に婿入りしてレイとリリルの二人と結婚し、ゴールドウェイ家の領地を必死に守って一生を終えたかもしれないな。
本当、あいつが俺の人生のターニングポイントを与えてくれたんだ。
話してみると、堅苦しい貴族って訳ではなく、意外にも気さくだった。
心から音楽を愛しているのも伝わったし、俺から技術をどんどん吸収して物にしていった。
蓋を開けてみたら新しい事に貪欲で、習得するまで何度も何度も練習していたのを知っている。前世でもここまでする奴は滅多に見かけない。
そう、アーバインは、音楽でのし上がった結果目新しいものがなく、貴族社会があいつの音楽の世界に天井を作り上げてしまった。音楽を極めたと思わされてしまったんだ。
周りから称賛され持ち上げられ、何度も天井を壊してもまた別の天井を作られてしまう。
無限の空を、塞がれてたんだ。
一般人からの声を聞いていればきっと、天井なんて軽く壊せただろう。でもこの世界の音楽は庶民の為の音楽じゃない。貴族の為の音楽だったんだ。
庶民の声は良くも悪くもストレート。だからこそ改善策がわかって無限に広がる空が見えた。
だが、貴族の言葉は常に最上の称賛。才能を枠に嵌めたがる。
もがいたけれども、結局枠から外れずに、ついにはアーバインは折れた。極めたと思ってしまった。
その枠を壊したのが、俺だったんだ。
あいつは徹底的に俺から技術を盗もうと利用しまくったが、かなり音楽の話のウマが合っていつの間にか友達になっていた。
本当、いつの間にか一緒に飯を食いに行ったりして、音楽の話を語り合った。
時には一人で勝手に酒を飲んで酔いつぶれたあいつを、八歳の俺が必死になって担いで送っていった事だってあった。
それにこの世界での音楽業界事情を、たくさん教えてくれたんだ。
損得なしで付き合える、一緒にいて楽しいって思える奴なんだよ。
そんな大切な友達が、死ぬかもしれない。
俺は思い出を噛み締めながら走った。
全力疾走で十五分、俺は息絶え絶えで汗だく状態だったが、何とかアーバインの屋敷の門前まで来た。
半端ない疲労感だが、アーバインの顔が見たい。
俺は息を整えて、門番さんに話し掛けた。
「ハル、ウィード、です。……アーバインに、会いたい、んだけど」
息を整えたつもりだけど、なかなか上手く話せない。
どうだろう、案内してもらえるだろうか?
「ハル・ウィード侯爵様ですね。主から赤い髪の青年は通してよいと言われています。さぁ、こちらです」
アーバインは俺が来る事を予見していたようだ。
俺は門番さんの案内のもと、アーバインの屋敷の中を歩く。
以前来た時より雰囲気はかなり重く、すれ違う使用人達は沈痛な面持ちだった。
多分彼らもアーバインの死が間近という事がわかる程、あいつの容態は悪いって事なんだろう。
純粋に心配している人、自分の職がなくなる不安を隠しきれずに小声で愚痴を漏らす人がいた。
不安で仕方ないんだろう。俺だって歳が離れているけどアーバインとは友達なんだ、胸が締め付けられる位不安でついつい早歩きになってしまう。
前世を含めた俺の人生で、友人の死を看取った経験はない。だからこそ不安なんだ。
「お待たせしました。主はここで休んでおられます」
「ありがとう」
案内してくれた門番さんが開けてくれた扉に入る。
すると俺の目の前に飛び込んできた光景は、異様に老け込んだ状態で寝ているアーバインだった。
数ヵ月前までは全然元気だったのに、しばらく会っていない間にこんなに老けるものなのかよ。
俺は言葉を失って、その場で立ち尽くしてしまう。
確かこの世界の平均寿命は五十五歳、あいつは今年で確か五十八歳になったばかり。
前世の常識で考えたらただ平均を軽く飛び越えただけかもしれない。だけど父さん曰く、平均寿命を越えて生きられる人は稀なんだそうだ。
ログナイト卿っていう、あの歳でもとてつもなく強そうな人外は、例外中の例外なんだろうな。
俺がアーバインのあまりの変わりようにショックを受けていると、アーバインがゆっくりと瞼を開けて俺の方に力無く視線を向ける。
「……ああ、視界がぼやけてもその髪の色は目立ってわかりやすいよ、ハル」
声にすら力がない。
むしろかすれていて、上手く聞き取りにくい。
俺はアーバインの声を聞き漏らさないように、《集音》の指示を与えたサウンドボールを両耳に吸着させた。
これなら絶対に聞き漏らさない。
俺はアーバインの元まで駆け寄り、水分が抜けているように思える程にしわくちゃになっているこいつの手を握った。
「ああ、ここにいるぜ、アーバイン……!」
「……すまなかったな、ハル。実は今日の卒業試験、私も審査員として行く予定だった」
そうか、最後の審査員はアーバインだったか。
確かに俺の姿を見てほしかった、貴族としてしっかり振る舞えているか、こいつに見届けて欲しかった。
だけどそれ以上に、俺はアーバインに元気になって欲しかった。
「謝らなくていい! 今喋ったら身体に障る。体調をしっかり整えて――」
「……自分の死期位、わかっているさ」
アーバインの死期を悟ったような言葉に、絶望に似た感情が胸の中で煮えたぎっているのを感じた。
「私は、明日の朝日を見れない、だろうね」
「バカ言ってるんじゃねぇよ。何諦めていやがるんだ! お前はまだまだピアノを上手く弾けてねぇ、俺を越えてねぇだろ! 俺を越えるって言葉は嘘だったのか!?」
俺は必死になって、こいつに生きる気力を与えようとしている。
アーバインの音楽学校を卒業し、村の学校を卒業した後、俺はこいつから貴族向けのピアノの家庭教師をやっていた。
おかげで俺の懐は随分と重くなって、下級貴族より資産を持っている状態だったんだ。
その話はどうでもいいんだが、その生徒の一人はアーバインだった。
どの生徒よりも積極的に学ぼうとしているこいつは、俺を追い抜く事を目標としていた。
努力もしたのだろう、実力は俺の知っている限りだとオーグの次に上手い程になっている。だがまだ俺には惜しくも届いていなかった。
だから俺は今、煽っている。
悔しがってくれ、悔しがって生きたいと思ってくれ!
しかし、帰ってきた答えは、予想の斜め上を行っていた。
「ハルを、越えていない? ……ははは」
「何がおかしいんだよ」
「ハル。前にお前自身が私に言ったよな、『音楽を極めただぁ? ちゃんちゃらおかしいね』と。その言葉を少し変えてお返ししよう……」
アーバインがゆっくりと起き上がる。
心配した使用人が止めに入ろうとするが、アーバインは手で制止した。
何というか、鬼気迫る雰囲気を出している。
「いつ、私がお前を越していないと言った? 私は体調を崩すまで、お前に向ける牙や爪を、必死に研いでいたのだぞ」
ナイスミドルだったアーバイン。今はよぼよぼの老人という姿になっているが、眼光は切れ味抜群に鋭かった。
「体調を崩す前だったら、きっと私はお前の足元にも及ばなかっただろう……。だがな、何故だろうな、今の私は、お前を凌駕出来るように思えて仕方がない」
ベッドから降りて、誰の力も借りずに一人で立った。
一人で歩けないと思える位に痩せ細った足で、まるで生まれたての子鹿のように足を震わせながらも、立ち上がった……!
使用人達も俺も、鬼気迫るアーバインに対して何も言えずにただただ驚愕していた。
「私からの、最後の願いだよ、我が友よ……」
「……言ってみろよ、俺のダチ」
「私と、連弾してくれないか」
まるで俺に命懸けの挑戦をしてくるかのような眼光を向けて、最後の願いを言ってきた。
「私達音楽家に、死ぬ前の語らいは不要だ……。語らうなら、音楽でだろう?」
アーバインは、嗤った。
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