微笑む似非紳士と純情娘

月城うさぎ

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第二部

28.人違い

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 にこにこ爽やかなスポーツ青年の笑顔で失礼にならない当たり障りのない会話を交わした直後。霧島さんの視線は私に向いていた。
 正直言って困る。気付かれるのは困るよねー!?

 内心の悲鳴を察してくれたかのように東条さんがいつも通りの微笑みを貫いて私の紹介を始めてくれる。

 「ええ、実は私の婚約者なんです」
 ――更なる爆弾発言を投下しながら。

 さすがに驚いた霧島さんは「社長の婚約者の方ですか!?」とますます私に興味をもった。

 って、東条さんー!事実でも未だに(仮)が取れていないんだから、会社の人にその紹介の仕方はどうなのー!?週明けにはいっきに噂が広がるよ!まだ正式に婚約していないのにいいのか!と、激しく突っ込みを入れながら脱力したいのをぐっと堪える。ここで霧島さんに麗として挨拶しないのは、東条さんが恥をかくし相手にも失礼にあたる。たとえほぼすっぴんで極力誰にも見られたくない水着姿だとしても、今は眼鏡をかけていないし髪だって濡れて下ろしている。それに都モードの時はほぼ無表情だけど、麗は違う。いつも通りに振舞えば、社内の人間にだって気付かれないよね!?実際に会って喋ったのってたったの1度だけだし!

 よし、いける。

 覚悟を決めた私は、都が決して見せないような明るい笑顔をイメージして東条さんの後ろから一歩横へずれた。そして名前を名乗って挨拶をしようと微笑みかけたところで、先手を打たれる。

 「あれ?長月さん?」
 不思議そうな顔で呟かれた。

 って、いきなりばれたー!?
 笑顔のまま固まり、すぐに硬直を解いた私はしらばっくれることにした。

 「えっと、どなたでしょうか?私は一ノ瀬ですが・・・」
 心底人違いですよー?と訴える瞳で首をかしげる。
 うわ、うわー!冷や汗出ててもプールでよかった。どうせ濡れているから動揺に気付かれない!

 「一ノ瀬さん?」と呼びかけた霧島さんに同意するように、東条さんが口を挟む。
 「はい、彼女の名前は一ノ瀬 麗さんです」
 名前が違うこと=人違いだと気付いた霧島さんは、少し焦りながら謝罪を述べた。

 「すみません、いきなり人違いをしてしまって!よく見れば雰囲気は違うのに」
 「いいえ~大丈夫です!世界には自分に似た人が3人いるって言うじゃないですか。気にしないでくださいね」
 都ボイスより若干高めの声でのんびりと告げると、霧島さんは照れたように少し頬を染めた。

 うーん、霧島さんよ。必ずしも名前が違う=別人とは限らないのだけど。偽名を使う人間なんて世の中にはごまんといるのだぞ?純真そうな彼はあまり疑わない事が魅力の一つなのかもしれない。それに騙されてくれるなら好都合なのだし。

 「白夜さん、長月さんってどなたなのですか?」
 婚約者らしく名前+さん呼びで、白々しくないようにわざと訊ねる。ここで誰かと訊かないのは逆に不自然だよね?

 私の意をちゃんと汲んでくれた東条さんは簡単に一言、「司馬の下で働いてくれている私の秘書ですよ」と説明をくれた。なるほど、と相槌をうつ。ああ、すっかり私ったら日常生活にも演技力が必要とされる場面に出くわすようになってしまった・・・。スキルは高まるけど。そしていつかこの設定のボロが出ないように気をつけないと。

 都は絶対に浮かべないようなほんわりとした笑顔を心がけて微笑んでいたら。タイミングを見計らったように、電話を終えた朝姫ちゃんが入り口からあらわれた。

 「お待たせー!・・・って、あらやだ。麗ちゃんたら、もう白夜にばれちゃったのー?」
 満面の笑顔からため息を吐くような表情に変わった朝姫ちゃんは、歩きながらじろりと東条さんを見据える。長身のお二人が並ぶと、これまた絵になるわ。

 「まったく、今日は二人でデートだったのに。何でキャップもゴーグルもつけているのにあんたは気付くのよ」
 細くくびれた腰に手を当てながら朝姫ちゃんは東条さんに抗議した。その視線を余裕の笑みで東条さんは受け流す。

 「当たり前です。同じ空間にいるのに私が麗に気付かないはずがありません」
 さらりと堂々とした発言を聞いた朝姫ちゃんの頬は若干引きつった。

 「怖っ!なんだかストーカー気質を感じるんだけど!!」
 反射的に朝姫ちゃんは一歩後ろに下がる。
 えーと、朝姫ちゃん、朝姫ちゃん。一応お兄さんだよね?東条さん。そんなマジで引くわーって顔は。さすがに東条さんも傷つくんじゃ・・・

 なんて思った私の懸念は、あっさりと消えた。まるで気にしていない東条さんの様子に少しだけほっとする。きっといつもの事なのかも。

 「で?こちらの方はどなた?」
 ぽーっと見惚れた様子だった霧島さんは、いきなり現れた朝姫ちゃんに声をかけられてはっとする。

 「はじめまして、営業を担当してます、霧島 新です」
 「ああ、白夜のところの・・・はじめまして。東条 白夜の妹の朝姫です」
 妹と聞いて驚いた顔をした霧島さんは、似ている二人を交互に眺めて小さく「そっくりですね~」と感嘆した。うん、性格は違うんだけどね。美形度や顔の造りが似ているんだよね。

 そして突然現れた第三者の朝姫ちゃんが私を麗と呼んだことで、完全に人違いだと思い至ったらしい霧島さんは、独り言のように呟いた。

 「そっか、やっぱり一ノ瀬さんは長月さんとは別人なんですね。背丈とかどことなく似ている気がしたからてっきり・・・よかった」
 ほっとしたような声音に思わず霧島さんを見つめる。
 東条さんと朝姫ちゃんも同様に彼の呟きに反応した。あれ?よかったって何が?

 疑問符を浮かべて首を傾げる私を他所に、何かに気付いたような朝姫ちゃんが東条さんをちらりと見やると、仕事用の笑顔を浮かべた。

 「あら。麗ちゃんが長月さんと別人でよかったとは、何がかしら?」
 直球で尋ねられた霧島さんは驚いた様子もなく、少し逡巡してから口を開いた。

 「いや、あれ?何でだろう・・・多分、長月さんと社長が付き合っているんじゃないかという噂が前ほどじゃなくてもまだ出回っているので。それが事実だったら女子社員からのやっかみが大変そうだな、と。でも社長にはちゃんと婚約者の方がいるってわかったら、長月さんも仕事がしやすくなるのではって恐らく、思ったんですかねー?」
 何故最後は疑問系なんだ。

 あはは、と頭を軽く掻きながら笑った霧島さんは、爽やかさに加えて優しさも備わっているスポーツ好青年のようだ。女子社員の僻みのターゲットになりそうな長月 都を案じてくれたらしい。なるほど、確かに裏表のないこの笑顔にさり気ないフォローの優しさは、女子社員から好まれそうだ。

 一人で納得している私とは裏腹に、どこか剣呑な光を薄っすらと瞳の奥で輝かせている東条さんは、微笑んでいるのにどこか空気が刺々しい。隣にいる朝姫ちゃんは小さな声で、「無自覚?天然?」と呟いたのも気になる。え、それってどーゆー意味?

 冷ややかなで微妙な空気が流れそうになったところで、この場の雰囲気を壊す介入者が再び現れた。

 「おーい、新ー!お前俺を置いて行くなよなー!」
 がらり、と扉を開けて入ってきたのは、金髪に近い茶色い髪をした二十歳前後の青年だ。霧島さんに比べると筋肉は発達していないから、彼はスポーツをやっているわけではないのだろう。細身の体に膝上まである海水パンツを履いて、どことなく快活な少年がそのまま青年になったかのような姿に視線が惹き付けられる。かっこいいと可愛いを混ぜたような青年は、恐らく霧島さんと一緒にプールに来たのだろう。

 「潤」、と霧島さんが彼を呼んだ。良く声が響く室内で潤と呼ばれた青年は霧島さんの声をちゃんと拾ったらしい。顔を上げた彼は私達の存在に気付くと若干訝しげな顔になりつつも、真っ直ぐに近付いてきた。

 「従弟なんですが、実は彼がここの会員に入ってまして。それで今日は俺も一緒に来たんです」
 霧島さんはそう東条さんに告げた。にこやかな笑顔で。
 小さく頷いた東条さんは、微笑みながら「そうだったんですか」と答える。思いがけない従弟さんの登場に、刺々しかった空気が少し元通りに戻ったようだった。

 けれど、近付いてきたその青年、潤を見た私は驚愕する。あれって、まさか・・・!

 「あ、AddiCtの・・・ジャック・・・!?」
 金髪で髪をいつもツンツンにしている彼は、珍しく髪を下ろしていたから気付かなかったけど。よくよく見れば見るほどJに見える!え、本物?嘘、まさか芸能人が従弟なんですか!?

 私の呟きを聞いた霧島さんは苦笑いをした。
 
 「ええっと、内密にお願いしますね。あまり外で騒がれるの好きじゃないんですよ、あいつ」
 え、ええー!!
 騒ぐなんて事は勿論しないけど。なんてこった!何でここでまた会いたくないメンバーが揃うのだ。K君とQさんじゃないだけマシかもだけど(実際にJに会ったことはないから。)でも、麗=DIAだってバレる危機まで訪れるとか、今日は一体何の日なの!厄日?厄日なの!?

 「従弟の霧島 潤です。潤、こちら俺が勤める会社の社長の東条 白夜さんと、妹さんの朝姫さん。それに婚約者の一ノ瀬 麗さんだ」
 あ、どうも、とお辞儀したJは、やっぱり間近で見ればAddiCtのJだった。メイクをしていない分テレビで見るより幼く見えるけど。

 私とは面識がないから大丈夫。そう心の中で唱えて落ち着かせていたら。霧島さんに紹介された名前を聞いた潤君は、何かに引っかかったかのような顔をしてじっと私を見つめる。え、何でそこで私を見つめるの。困るんですけど!

 「うらら?一ノ瀬、麗って・・・あの麗?」
 どの麗だよ。
 そうツッコミたいのをぐっと我慢する。やぶ蛇になって困るのは私だー!

 「どうした?潤。お前一ノ瀬さんを知っているのか?」
 霧島さん同様、東条さんも朝姫ちゃんもじっと黙って潤君を見つめる。私はといえば、彼が何を言い出すのかはらはらドキドキだ。お願いだからPVのこととか、余計な事は言わないよね・・・!?

 じー、と私を見つめてきた潤君は、「いや、ないわー」と頭を軽く振って考えを否定する。
 
 「悪い、人違いだ。俺が見た彼女は黒髪の色っぽい小悪魔風姉ちゃんだったし。名前だけ同じ同姓同名だな」
 
 一人で納得して頷く潤君を見つめる視線が冷ややかな物になるのは仕方ないよね?いくらメイクの魔法使い、MIKAさんマジックにかかっていたとしても、ようは今の私は色気も化粧気もないただの冴えない25歳って事よねぇ?うふふ、年上の女性は敬わなきゃダメなのよ~?

 「同姓同名がいるなんて珍しいですよねー。でも珍しくない名前だと思いますよー?」
 思わず乾いた笑みが零れるけど大丈夫。口元は気合と根性で笑っているはずだから。

 サインを求めるフリをして二人きりになって口止めをしようかと目論んだけど、どうやらその心配はなさそうだった。霧島さんは申し訳なさそうに人違いばかりをした事を謝ってくれたけど、むしろそれは助かったのでこちらは遠慮なく「気にしないで」と伝える。何かに気づいたような東条さんの視線を必死でかわして、私は朝姫ちゃんと引っ張ってそそくさと更衣室へ逃げた。もう泳ぎの練習やダイエット目的の運動どころじゃないんだよ!さっさとこの場から離れたい。

 
 軽くシャワーを浴びて着替えた後、東条さんと合流してこのホテルの有名店でご飯をご馳走になった。どうやらこのホテル、東条グループ系列のホテルらしく。全部顔パスで、レストランまで予約なしに個室を用意してくれた事に開いた口が塞がらなかった。この2人ややっぱりセレブなんだな、と激しく実感した。 

 そして通常土曜日はほとんど東条さんの自宅で過ごすところだけど、今回はやんわりとお断りする。今日こそ家に帰らないと響にも白い目を向けられそうだし(実際彼はそんな視線は向けないけど)、疲れたからと言って家まで送って来てもらったのだ。何となく東条さんと今夜一緒にいると、いろいろと隠していることまでばれそうになるかもって不安がないわけじゃない。ばれても困らないけど、今日はいっぱいいっぱいなので勘弁してください!

  

 そんな疲れもしたし、いらないハプニングにも遭遇した休日が過ぎて、週明けの火曜日。一人の男の登場と共に、嵐が事務所にやって来た。
 
 「麗ちゃんー!パパだよー!!」

 こんがり焼かれた肌に陽気なおじさんの声。いるはずのない人物が事務所の入り口からやって来たのに気付き、目が限界まで開かれる。

 「え、うそ・・・パパっ!?」

 アフリカにいるはずの父が連絡もなしに突然帰国してきたのだった。















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やっとAddiCtメンバー全員登場(一応)。
白夜はあの後ちゃんと霧島に婚約話はまだ公にしていないから内密に、と伝えました。
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