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【番外編】竜人王アルファは惑わす
③
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人力車は、王宮から三十分ほどの距離にあるダガー川の船着場に向かった。
海に面していないアンゼル王国は、ダガー川から出航して海に出ることになるのだ。
力車を引くのは人間の近衛騎士だ。
獣人に比べると持久力に欠けるため、ふたり乗りの力車だった。
身じろぎすると、隣の座席に座るハンの肩にぶつかる。
俺が竜人国行きをやめそうもないと判断したルシャードは、急にハンに同行の命令を下したのかと思うと、申し訳なくなる。
「ハンさんにも迷惑かけてごめんなさい」
俺が謝罪すると、ハンは首を左右に振った。
「お気遣いなく、どうってことないです。マイネ様らしい選択だと思いますよ」
ハンは、いつの間にか俺に対して丁寧語で話すようになっていた。
今まで通りにと頼んだのに。
「俺らしいですか?」
「はい。お世話になった院長が発症したのに、結果を人任せにするのはマイネ様らしくない。そういうところをルシャード殿下も好ましく思ってるはずです」
「そんなことないって。呆れ返ってるの、間違いですよ」
今回、ルシャードは俺のことを強情だと思ったに違いない。
ハンが苦笑する。
「正直なところ、ルシャード殿下が考えてることは、わからなさすぎますけど……ルシャード殿下を振り回せるのは、マイネ様ぐらい。感情的になる殿下を見られるのは面白いです。貴重ですよ」
「確かに」
そう言って車窓に視線を移すと、通りには獣人の姿が見当たらない。
行き交う人間たちの表情は、どこか寂しげで不安そうだ。
王都の賑わいは半減して、悲壮感が漂っていた。
人間しか存在しない異様な光景に、俺はうすら寒さを感じた。
「王都も様変わりしましたね」
俺が呟くと、ハンはため息をついて辛そうな声で言った。
「今回の渡航によって、賑やかな王都を取り戻しましょう」
「はい。ルシャード様に反抗してまで無理を押したのだから、何が何でも、手に入れますよ」
俺は力強く頷く。
そして半時ほど人力車が走ると、視界が開き河川敷の船着場に到着した。
川幅が広く川底も深く、それでいて水流はなだらかなダガー川は、アンゼル国にとって重要な交易路となる大河だった。
アンゼル国とガッタ国とクリスク国を跨ぐダガー川は、三カ国で自由に航海できる条約を交わしている。
大小さまざまな船が停泊していた。
そこに一際大きく豪華な帆船がある。
これが王族専用のジョージ号に違いない。
「立派だな」
俺が感嘆の声を漏らすと、隣を歩くハンが応じた。
「私も乗船するのは、はじめてです。近くで見ると思った以上にでかいですね」
ジョージ号は角のように尖った船首が特徴的で、船尾は丸く大きなずんぐりとした形状だった。
前方の二本のマストには、四角の帆。
後方のマストには三角の帆。
どちらの白い帆にも、アンゼル王国の象徴である聖獣の紋章が大きく描かれている。
船縁には大砲が並び、軍事力も備わっているらしい。
オティリオとリサの姿が、すでに甲板にあった。
先に王宮を出発していたようで、俺たちの乗船が最後のようだ。
俺の姿を見たオティリオが意味ありげに、にやりと笑う。
「絶対に兄上に閉じ込められるかして、出発に間に合わないと思ってたけど、僕の読みは外れたみたいだ」
俺はすかさず反論する。
「ルシャード様は、そんな乱暴なことしません」
「そうだろうね。マイネにだけ優しいからね」
「俺にだけじゃないですよ……」
そう言いつつ、俺にだけかもしれないと思ったりもする。
オティリオが呆れたように首を捻った。
「いやいやいやいや。本来あの人、手段を選ばない人だからね。兄上が僕のとこに来て、マイネを説得してくれって言ったときは、何事が起きたかと思ったぞ。兄上ができないものを僕にも無理に決まってるのにさ」
「……俺の我儘を通させてもらいました」
ルシャードは俺の意志を尊重してくれたのだと思う。
力技で阻止することもできただろうに。
ルシャードの「離れるな」と言った声が耳に残り、俺は心が痛い。
俺の本心も離れたくなどなかった。
オティリオがわざとらしく肩を竦めた。
「マイネは一度決めたら、何がなんでもやり通す気性なんだってわかった」
こんな気性でもなければ、そもそもベータと偽って王宮で働くことも、あのとき王宮から逃げ出すこともなかっただろう。
一度決めた目標に向かって突き進む性格であることは間違ってない。
俺のあとに続いて、ふたりの近衛騎士が乗船した。
力車を引いていたロリーとグスタは、そのまま竜人国まで護衛として同行する。
ルシャードが人選したからには、信頼できるふたりなのだろうと思っている。
二十歳のロリーと三十八歳のグスタは、どちらもベータの人間だった。
オティリオもふたりの人間の近衛騎士を従えていた。
ロリーとグスタの背中を、オティリオが気安く叩く。
「わかってると思うけど、マイネに傷ひとつつけたら、ルシャード兄上からひどい仕打ちが返ってくるぞ。マイネを命に代えてでも守れよ」
「はっ」
ふたりは緊張の面持ちで姿勢を正した。
俺は苦笑する。
大袈裟すぎる。
傷のひとつぐらい、どうってことないだろ。
船上では船長と副船長の指揮により、船員たちが最後の点検に追われていた。その様子を眺めながら、しばらく待つと、ゆるやかな鐘の音が鳴り響く。
――出航の合図だ。
「さあ、出発だ! 無事に帰還できることを願おう!」
オティリオが威勢よく声を上げた。
その声に船内が活気づく。
錨が上げられ、ゆっくりと川面に滑り出した。
水面は鏡のように穏やかで、岸辺に並ぶ邸を映していた。
船底が水を切ると、小さな波紋が広がり、大きな水鳥の群れが驚いたように羽ばたく。
帆の白布が広がり、風の野太い音が響いた。
手摺に寄りかかるオティリオの艶やかな髪が、風に煽られて優雅に乱れる。
カスパーとルシャードとは違う銀色の髪だ。
肩で切り揃えた少し長めの髪を、オティリオは手で押さえた。
目が合う。
オティリオの緑がかった澄んだ碧眼。
これからの旅路を意味のあるものにしようと誓うような強い眼差しだ。
俺は鎖骨のあたりでゆれる金色の雫のような宝石と小袋のお守りを握った。
そして、祈るように口にする。
「必ず、リュウコを国に持ち帰りましょう」
「あぁ」
深く頷くオティリオ。
これから竜人国を訪問する非公式の使節団の旅がはじまる。
王弟オティリオを代表にした薬師リサと秘書官ハンと俺の四人、それに近衛騎士の四人。
合わせて八人の旅だ。
ダガー川を下るのはさほど苦労しなかった。
しかし五日後、海に出ると一変する。
どこを向いても海原が広がり、波の揺れも激しい。
ハンもオティリオもリサも激しい船酔いを起こし、持参した酔い止めの薬を飲むものの、なかなか吐き気が治らないようだ。
近衛騎士のロリーも護衛ができる状態ではないため、部屋で休むように言いつけた。
一方、俺はどうも、船酔いとは無縁のようだ。
潮の匂いを含んだ心地よい風が吹く甲板にいた。
俺とグスタのほかに、帆の操作や船体の管理を忙しそうにする船員たちの姿もある。
「マイネ様、日差しで肌が焼けてしまいます。船室に戻りましょう」
グスタに促されるが、聞こえない振りをする。
俺が与えられた個室は船上だとは思えないほど豪華だったが、こんな壮大な景色を見ないで閉じこもっていられるわけがない。
遠くの海面を爽快に泳ぐ魚を発見した。
「あれ、見てよ。翼みたいなのがある魚だったよ!」
「あれは、胸びれが大きく発達した飛魚という魚です」
グスタはあっさりと答える。
グスタの両親は貿易商らしく、幼い頃から船旅に慣れているそうだ。
グスタは自身の身体を俺の日差しよけにしようとして一歩近寄る。
船上では適さない近衛騎士の上着は脱ぎ、白シャツのみを着用していた。
俺も至って簡素なチュニックを身につけている。
「カスパーにも見せてあげたいな。カスパーは海を見たことがないんだよ。ルシャード様は見たことあるだろうけど、一緒に見たいな」
俺は何気なく呟く。
距離が離れていても、カスパーとルシャードが頭から離れない。
五日目にして、すでに会いたくて仕方がない。
胸の中がからからに渇いているような息苦しさを感じる。
でも、アプト領で暮らしていたときのような、軋むような悲しみは存在しなかった。
俺は海面を指差す。
「あっちに大きな魚がいたぞ。今のはなんだ?」
「海亀ですね。呼吸するために海面に上がったのでしょ」
グスタの答えに驚いて、俺はじっと海面を眺めるが、もう亀の姿はない。
強い潮風が吹き、帆が孕みマストがぎしっと音を立てた。
「いい風ですね。このまま天候も荒れず行けば、五日後には順調に竜人国に到着できますよ」
グスタがそう言った通り、予定よりも早く竜人国に到着できそうだった。
五日後の深夜。
翌朝には竜人国に到着できる位置にまでジョージ号は航路を進めていた。
俺はなかなか寝つけず、こっそりと部屋を抜け出して甲板に上がる。
暗闇の中でごろんと寝転がって、輝く満天の星を眺めた。
少し離れた場所からグスタが護衛している気配がする。
しばらくすると、グスタ以外の足音がした。
それから聞こえてきたのは、オティリオの声。
「マイネは、まったく船酔いしなかったのか?」
船酔いが激しいオティリオが、甲板に出て来たのは久しぶりのはずだ。
オティリオの足音が近寄り、俺の頭上で止まる。
「まったく。俺、頑丈なのが取り柄なので、食事も普段通り食べれました。オティリオ殿下は体調回復しましたか?」
「最悪だ……けど昨日から少し楽になった」
暗さに慣れてきて、オティリオの姿が少しだけわかったが、顔色までは見えない。
続けてオティリオの声が降ってくる。
「マイネはそこで何をしてるんだ? 危うく踏むところだったぞ」
「こうして見る星が綺麗なんです。オティリオ殿下もごろんとしてみてくださいよ」
オティリオも腰を下ろす。
俺とは反対の向きになって寝転んだようだ。
俺の頭の上にオティリオの頭がある。
「……あぁ、確かに、これは見応えがあるな」
「ですよね。アプト領の星空も綺麗でしたが、これはすごい。カスパーにも見せてあげたいな」
俺は一番星に手を伸ばした。
とても近くになるような錯覚をするが、届くわけがない。
無意識に胸のネックレスを触った。
遠く離れていても、同じ星を見上げているような気がする。
オティリオがぼそりと呟いた。
「見せたいと思う人……僕にはひとりも思い浮かばないな。マイネが羨ましい」
俺が黙ると、オティリオは続けた。
「……実は僕、ゲリンに失恋したんだ。本気で口説いてたのにさ」
「あぁ…………なんとなく、気づいてました」
ゲリンは一切、口にしなかったけど見てればわかる。
早々にゲリンは婚約してしまい、オティリオが振られたのは明らかだった。
オティリオは暗闇に紛れて本音を吐く。
「番になろうってプロポーズもしたんだけどな……」
オティリオの言葉に、流石に驚く。
しかし二十九歳というオティリオの年齢を考えれば頷ける。
「僕に足らないものってなんだ? ……いや、傷つきそうだから、答えなくていいからな」
オティリオは後半を慌てたように言った。
オティリオの顔立ちは、少し垂れ目気味でぱっちりとした碧眼と、自然と口角が上がった優しげな口元は、人に好かれやすそうだと思う。
端正な容姿と王族の凛とした佇まいでありながら、相手との距離感をするりと軽やかに縮めるような親しみやすさもある。
オティリオに足らないもの。
正直わからない。
黙って星を眺めていると、不意にオティリオが言った。
「……明日は青の王と対面だな」
オティリオの声は、なぜか少し嬉しそうだった。
もしかしてオティリオも眠れなかったのかもしれない。
海に面していないアンゼル王国は、ダガー川から出航して海に出ることになるのだ。
力車を引くのは人間の近衛騎士だ。
獣人に比べると持久力に欠けるため、ふたり乗りの力車だった。
身じろぎすると、隣の座席に座るハンの肩にぶつかる。
俺が竜人国行きをやめそうもないと判断したルシャードは、急にハンに同行の命令を下したのかと思うと、申し訳なくなる。
「ハンさんにも迷惑かけてごめんなさい」
俺が謝罪すると、ハンは首を左右に振った。
「お気遣いなく、どうってことないです。マイネ様らしい選択だと思いますよ」
ハンは、いつの間にか俺に対して丁寧語で話すようになっていた。
今まで通りにと頼んだのに。
「俺らしいですか?」
「はい。お世話になった院長が発症したのに、結果を人任せにするのはマイネ様らしくない。そういうところをルシャード殿下も好ましく思ってるはずです」
「そんなことないって。呆れ返ってるの、間違いですよ」
今回、ルシャードは俺のことを強情だと思ったに違いない。
ハンが苦笑する。
「正直なところ、ルシャード殿下が考えてることは、わからなさすぎますけど……ルシャード殿下を振り回せるのは、マイネ様ぐらい。感情的になる殿下を見られるのは面白いです。貴重ですよ」
「確かに」
そう言って車窓に視線を移すと、通りには獣人の姿が見当たらない。
行き交う人間たちの表情は、どこか寂しげで不安そうだ。
王都の賑わいは半減して、悲壮感が漂っていた。
人間しか存在しない異様な光景に、俺はうすら寒さを感じた。
「王都も様変わりしましたね」
俺が呟くと、ハンはため息をついて辛そうな声で言った。
「今回の渡航によって、賑やかな王都を取り戻しましょう」
「はい。ルシャード様に反抗してまで無理を押したのだから、何が何でも、手に入れますよ」
俺は力強く頷く。
そして半時ほど人力車が走ると、視界が開き河川敷の船着場に到着した。
川幅が広く川底も深く、それでいて水流はなだらかなダガー川は、アンゼル国にとって重要な交易路となる大河だった。
アンゼル国とガッタ国とクリスク国を跨ぐダガー川は、三カ国で自由に航海できる条約を交わしている。
大小さまざまな船が停泊していた。
そこに一際大きく豪華な帆船がある。
これが王族専用のジョージ号に違いない。
「立派だな」
俺が感嘆の声を漏らすと、隣を歩くハンが応じた。
「私も乗船するのは、はじめてです。近くで見ると思った以上にでかいですね」
ジョージ号は角のように尖った船首が特徴的で、船尾は丸く大きなずんぐりとした形状だった。
前方の二本のマストには、四角の帆。
後方のマストには三角の帆。
どちらの白い帆にも、アンゼル王国の象徴である聖獣の紋章が大きく描かれている。
船縁には大砲が並び、軍事力も備わっているらしい。
オティリオとリサの姿が、すでに甲板にあった。
先に王宮を出発していたようで、俺たちの乗船が最後のようだ。
俺の姿を見たオティリオが意味ありげに、にやりと笑う。
「絶対に兄上に閉じ込められるかして、出発に間に合わないと思ってたけど、僕の読みは外れたみたいだ」
俺はすかさず反論する。
「ルシャード様は、そんな乱暴なことしません」
「そうだろうね。マイネにだけ優しいからね」
「俺にだけじゃないですよ……」
そう言いつつ、俺にだけかもしれないと思ったりもする。
オティリオが呆れたように首を捻った。
「いやいやいやいや。本来あの人、手段を選ばない人だからね。兄上が僕のとこに来て、マイネを説得してくれって言ったときは、何事が起きたかと思ったぞ。兄上ができないものを僕にも無理に決まってるのにさ」
「……俺の我儘を通させてもらいました」
ルシャードは俺の意志を尊重してくれたのだと思う。
力技で阻止することもできただろうに。
ルシャードの「離れるな」と言った声が耳に残り、俺は心が痛い。
俺の本心も離れたくなどなかった。
オティリオがわざとらしく肩を竦めた。
「マイネは一度決めたら、何がなんでもやり通す気性なんだってわかった」
こんな気性でもなければ、そもそもベータと偽って王宮で働くことも、あのとき王宮から逃げ出すこともなかっただろう。
一度決めた目標に向かって突き進む性格であることは間違ってない。
俺のあとに続いて、ふたりの近衛騎士が乗船した。
力車を引いていたロリーとグスタは、そのまま竜人国まで護衛として同行する。
ルシャードが人選したからには、信頼できるふたりなのだろうと思っている。
二十歳のロリーと三十八歳のグスタは、どちらもベータの人間だった。
オティリオもふたりの人間の近衛騎士を従えていた。
ロリーとグスタの背中を、オティリオが気安く叩く。
「わかってると思うけど、マイネに傷ひとつつけたら、ルシャード兄上からひどい仕打ちが返ってくるぞ。マイネを命に代えてでも守れよ」
「はっ」
ふたりは緊張の面持ちで姿勢を正した。
俺は苦笑する。
大袈裟すぎる。
傷のひとつぐらい、どうってことないだろ。
船上では船長と副船長の指揮により、船員たちが最後の点検に追われていた。その様子を眺めながら、しばらく待つと、ゆるやかな鐘の音が鳴り響く。
――出航の合図だ。
「さあ、出発だ! 無事に帰還できることを願おう!」
オティリオが威勢よく声を上げた。
その声に船内が活気づく。
錨が上げられ、ゆっくりと川面に滑り出した。
水面は鏡のように穏やかで、岸辺に並ぶ邸を映していた。
船底が水を切ると、小さな波紋が広がり、大きな水鳥の群れが驚いたように羽ばたく。
帆の白布が広がり、風の野太い音が響いた。
手摺に寄りかかるオティリオの艶やかな髪が、風に煽られて優雅に乱れる。
カスパーとルシャードとは違う銀色の髪だ。
肩で切り揃えた少し長めの髪を、オティリオは手で押さえた。
目が合う。
オティリオの緑がかった澄んだ碧眼。
これからの旅路を意味のあるものにしようと誓うような強い眼差しだ。
俺は鎖骨のあたりでゆれる金色の雫のような宝石と小袋のお守りを握った。
そして、祈るように口にする。
「必ず、リュウコを国に持ち帰りましょう」
「あぁ」
深く頷くオティリオ。
これから竜人国を訪問する非公式の使節団の旅がはじまる。
王弟オティリオを代表にした薬師リサと秘書官ハンと俺の四人、それに近衛騎士の四人。
合わせて八人の旅だ。
ダガー川を下るのはさほど苦労しなかった。
しかし五日後、海に出ると一変する。
どこを向いても海原が広がり、波の揺れも激しい。
ハンもオティリオもリサも激しい船酔いを起こし、持参した酔い止めの薬を飲むものの、なかなか吐き気が治らないようだ。
近衛騎士のロリーも護衛ができる状態ではないため、部屋で休むように言いつけた。
一方、俺はどうも、船酔いとは無縁のようだ。
潮の匂いを含んだ心地よい風が吹く甲板にいた。
俺とグスタのほかに、帆の操作や船体の管理を忙しそうにする船員たちの姿もある。
「マイネ様、日差しで肌が焼けてしまいます。船室に戻りましょう」
グスタに促されるが、聞こえない振りをする。
俺が与えられた個室は船上だとは思えないほど豪華だったが、こんな壮大な景色を見ないで閉じこもっていられるわけがない。
遠くの海面を爽快に泳ぐ魚を発見した。
「あれ、見てよ。翼みたいなのがある魚だったよ!」
「あれは、胸びれが大きく発達した飛魚という魚です」
グスタはあっさりと答える。
グスタの両親は貿易商らしく、幼い頃から船旅に慣れているそうだ。
グスタは自身の身体を俺の日差しよけにしようとして一歩近寄る。
船上では適さない近衛騎士の上着は脱ぎ、白シャツのみを着用していた。
俺も至って簡素なチュニックを身につけている。
「カスパーにも見せてあげたいな。カスパーは海を見たことがないんだよ。ルシャード様は見たことあるだろうけど、一緒に見たいな」
俺は何気なく呟く。
距離が離れていても、カスパーとルシャードが頭から離れない。
五日目にして、すでに会いたくて仕方がない。
胸の中がからからに渇いているような息苦しさを感じる。
でも、アプト領で暮らしていたときのような、軋むような悲しみは存在しなかった。
俺は海面を指差す。
「あっちに大きな魚がいたぞ。今のはなんだ?」
「海亀ですね。呼吸するために海面に上がったのでしょ」
グスタの答えに驚いて、俺はじっと海面を眺めるが、もう亀の姿はない。
強い潮風が吹き、帆が孕みマストがぎしっと音を立てた。
「いい風ですね。このまま天候も荒れず行けば、五日後には順調に竜人国に到着できますよ」
グスタがそう言った通り、予定よりも早く竜人国に到着できそうだった。
五日後の深夜。
翌朝には竜人国に到着できる位置にまでジョージ号は航路を進めていた。
俺はなかなか寝つけず、こっそりと部屋を抜け出して甲板に上がる。
暗闇の中でごろんと寝転がって、輝く満天の星を眺めた。
少し離れた場所からグスタが護衛している気配がする。
しばらくすると、グスタ以外の足音がした。
それから聞こえてきたのは、オティリオの声。
「マイネは、まったく船酔いしなかったのか?」
船酔いが激しいオティリオが、甲板に出て来たのは久しぶりのはずだ。
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「まったく。俺、頑丈なのが取り柄なので、食事も普段通り食べれました。オティリオ殿下は体調回復しましたか?」
「最悪だ……けど昨日から少し楽になった」
暗さに慣れてきて、オティリオの姿が少しだけわかったが、顔色までは見えない。
続けてオティリオの声が降ってくる。
「マイネはそこで何をしてるんだ? 危うく踏むところだったぞ」
「こうして見る星が綺麗なんです。オティリオ殿下もごろんとしてみてくださいよ」
オティリオも腰を下ろす。
俺とは反対の向きになって寝転んだようだ。
俺の頭の上にオティリオの頭がある。
「……あぁ、確かに、これは見応えがあるな」
「ですよね。アプト領の星空も綺麗でしたが、これはすごい。カスパーにも見せてあげたいな」
俺は一番星に手を伸ばした。
とても近くになるような錯覚をするが、届くわけがない。
無意識に胸のネックレスを触った。
遠く離れていても、同じ星を見上げているような気がする。
オティリオがぼそりと呟いた。
「見せたいと思う人……僕にはひとりも思い浮かばないな。マイネが羨ましい」
俺が黙ると、オティリオは続けた。
「……実は僕、ゲリンに失恋したんだ。本気で口説いてたのにさ」
「あぁ…………なんとなく、気づいてました」
ゲリンは一切、口にしなかったけど見てればわかる。
早々にゲリンは婚約してしまい、オティリオが振られたのは明らかだった。
オティリオは暗闇に紛れて本音を吐く。
「番になろうってプロポーズもしたんだけどな……」
オティリオの言葉に、流石に驚く。
しかし二十九歳というオティリオの年齢を考えれば頷ける。
「僕に足らないものってなんだ? ……いや、傷つきそうだから、答えなくていいからな」
オティリオは後半を慌てたように言った。
オティリオの顔立ちは、少し垂れ目気味でぱっちりとした碧眼と、自然と口角が上がった優しげな口元は、人に好かれやすそうだと思う。
端正な容姿と王族の凛とした佇まいでありながら、相手との距離感をするりと軽やかに縮めるような親しみやすさもある。
オティリオに足らないもの。
正直わからない。
黙って星を眺めていると、不意にオティリオが言った。
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