ゲームは終わっても人生は続く〜入れ替わり令嬢のその後〜

紅蘭

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目覚め

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微睡の中で声が聞こえた。


「君が望むなら辛いことを全て消してしまうよ。どうする?」


殿下の声。優しい、柔らかい、だけどどこか冷たい。

いいえ、と答えた気がしたが、それが声になったのかは分からない。ふわふわと浮く意識はまだはっきりすることなく、私はまた眠りの中へと落ちていった。



目を開けると真っ先に見えたのは、ユリウス殿下の横顔だった。何をするわけでもなく、椅子に座って何もない壁を見つめている。

動くと衣擦れの音がした。殿下がこちらを見た。目が合う。


「おはよう」

「……おはようございます」


毎朝繰り返すやり取りをいつものように行う。殿下はいつも通りだった。


「気分はどう?」


気分は普通。


「……もう大丈夫です」


起き上がって窓の外を見る。お昼前かお昼過ぎくらい。


「私はどのくらい寝ていましたか?」

「丸二日だね」


ということはあれは一昨日の出来事だ。

ベッドから出ると、少しだけ足がフラついた。完全に寝過ぎた。ユリウス殿下が立ち上がり、手を差し伸べてくれた。


「大丈夫です」


一人で歩ける。体調は別に悪くない。クローゼットを開けて服を取り出しながら、つまらない意地だったなと少し反省した。


「……来てくれてありがとうございました」

「うん」


それだけ。ユリウス殿下が私に背中を向ける。見てないから着替えていいと言うのだろう。それに甘えて私は寝衣を脱いだ。

もう一つ言わないといけない。


「申し訳ありませんでした」


その背中は動かない。私は下着姿のまま俯いた。これから着る予定のワンピースを握りしめると手の中でシワができた。


「何が?」

「……殿下の気持ちを理解せずに責めたことや、何も相談せずに勝手な判断で行動したこと。それから、殿下の優しさを受け取らなかったこと」


ユリウス殿下が振り返る。自分が服を着ていないことは分かっていたが、今は恥ずかしくはなかった。殿下は一瞬だけ私を見て、すぐに目を逸らした。


「謝る必要はないよ。僕の気持ちを君が汲む必要はないし、それが君だ」


ユリウス殿下は私の全てを受け止めてくれる。知っている。


「それよりも、謝るなら君が服を着ていないことを謝って欲しいね」


ワンピースに頭を突っ込んで腕を出す。着替えは一瞬。握りしめていたところはシワができていたが、気が付かないふりをした。アリアが見たら怒るかもしれない。


「……フェルマー伯爵領の件はどうなりましたか?」

「それを今考えていたところだよ。白紙に戻ってしまったからね」


ーー白紙に戻ってしまった。

言葉を反芻する。心が冷たくなる。

ユリウス殿下は微笑んだ。


「僕がどうにかするから、君は気にしなくていいよ」


どうにかすると言っても殿下にも難しい案件なのだろう。ユリウス殿下が考え込まないといけないほどに。


「……誰かが行く他に、方法はないのですか?」

「なくもないよ。だけどもう決定されたことを覆すのは難しい。老人たちは将来有望な若い芽をこの機に摘みたいと思っているからね」

「は?」


若い芽を摘みたいと思っている?

耳を疑った。意味が分からない。将来有望な若い人ほど大事にするべきじゃないの?だってこれから先この国を支えていく人たちなのだから。


「意味が分かりません」

「うん、君はそれでいい。腹黒い老人たちの思惑など知らなくていいし、分からなくていい」


そんなことを言っていたら私はいつまでも何も知らないままだ。殿下は派閥争いのことも何も教えてくれなかった。

不満が顔に出ていたのだろう。ユリウス殿下は微笑んだ。


「僕が見ている闇を知らない君が、そこで笑っていてくれるだけで僕は救われるんだ」


ユリウス殿下がいつも何かを抱えていることは知っている。いつも忙しいことも知っている。そしてその中で私との時間を無理にとっていることも知っている。それはきっと旅先でもそうだった。

私は頷く他になかった。私の存在が殿下の救いとなるのなら。


「次の会議はいつですか?」

「明日だよ」


明日。急を要する件だろう。もしかするとユリウス殿下が少し無理やり引き伸ばしたのかもしれないなと思った。


「わたくしも一緒に行ってもいいですか?」


今までの会話を理解していないのか、という顔をされるかもしれない。矛盾していることは分かっている。だけど言わずにはいられなかった。

しかしユリウス殿下は呆れた顔をしなかった。ただ「仕方ないな」と笑う。


「いいよ、だけど聞いて欲しくないこともある。その時は耳を塞ぐけど、いいかな?」

「はい」


机の上に置いてある水差しとコップを手に取る。喉が渇いた。音を立てる水を眺め、口に運ぶ。


「それ、僕が使ったコップだよ」


思わず手が止まった。右手に持ったコップを見る。殿下が使っていたやつ、ということは……か、間接キス……!

一瞬で顔が熱くなった。何か言おうとして口を開くが、言葉は出てこなくて、口をぱくぱくする私を見て殿下は可笑そうに笑った。


「そういうことは早く言ってもらえると嬉しいです」

「うん、ごめんね」


文句は言ったがよく考えると、殿下の座っていた椅子の前に置いてあったし、水滴もついていた。コップは確かに殿下が使った形跡があった。

……まあ一回だけだけどキスもしたし、間接キスなんて今更今更。

心の中で強がってはみたものの、顔の熱はなかなか引かなかった。
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