ゲームは終わっても人生は続く〜入れ替わり令嬢のその後〜

紅蘭

文字の大きさ
49 / 118

悪夢

しおりを挟む
森の中に一人で立っていた。隣にいるはずのクリスもユリウス殿下もいなくて。そして足元にはラルフが倒れていた。

恐怖で声も出ず、私は逃げ出す。訳もわからずひたすら走る。向こうにクリスの背が見えた。私は縋り付く。

ーーどうしたの?エレナ

振り向いたクリスの顔を見て、私は悲鳴をあげて後ずさった。クリスの口からは血が。お腹からは剣が。

ーーエレナ

ーーエレナ

あちこちから呼ばれ、気がつくと私は囲まれていた。カイ、リリー、レオン、マクシミリアン、ベアトリクス、カミラ、クルトお兄様、ヘンドリックお兄様。

皆一様に青白い顔をして、どこかしらから血を流している。

恐怖で足が動かなかった。立ちすくむ私の後ろからクリスが言った。

ーー私たち、死んじゃったよ。痛いよ、苦しいよ。ねぇ、エレナ

クリスがゆっくりと一点を指差した。そちらを見たくなかった。見てはいけないと分かっていた。だけど、私の体は勝手に動いた。

視線の先にはユリウス殿下の姿。地面に倒れ、そして、首と体がーー。

ーーどうしてエレナだけがイキテイルノ?



無理やり目を開いて勢いよく起き上がる。心臓がうるさく、息も上がっていた。

夢。夢だ。あんなのは見ていない。全部夢だから大丈夫。クリスはあんなこと言わない。

そう自分に言い聞かせても心臓は静かにならなかった。どうにかして現実を掴みたかった。ここに留まりたかった。右手で布団を握る。そうしないとまたあの夢の中に引き摺り込まれそうで。

自分の心臓が、息がうるさい。静かにしないと隣で眠る殿下が起きてしまう。また心配をかけてしまう。泣いても悔やんでも過去は戻らない。ラルフは戻らない。

しっかりしなくちゃ、しっかり……。

そう思えば思うほど、涙が出そうになる。


「エレナ」


唐突に呼ばれた声にびくっと体が揺れた。


「……ぁ、起こしてしまいましたね。申し訳ありません」


そう言って再び横になる。悪夢を見たことも泣きそうだったことも隠したかった。今殿下に何か言われたら泣きついてしまいそうだったから。

声が揺れていたかもしれない。不自然だったかもしれない。頭まで布団をかぶる。


「エレナ」


再び呼ばれた声に「なんですか」と小さな声で答えるが、殿下は何も言わなかった。仕方なく寝返りを打って殿下の方を向く。暗くて殿下がどんな表情をしているかは見えなかった。

そっと頬に手が触れる。ベッドの中で殿下が私に触れたのは、初めてだった。

下唇を噛んで、涙を堪える。鼻がツーンとした。

頬を触った殿下の手は私の頭へ移動する。そしてそのまま引き寄せられ、私は殿下の胸の中へ。私は殿下の服を握りしめた。あたたかい。こんなことされたら泣いてしまう。

いやだ、泣きたくない。涙と共に辛さが流れるから。涙と共に記憶が流れるから。心の傷が癒えてしまうから。

深く息を吸い、吐く。息が震えていた。だけど少しだけ涙はひいた。


「もう、大丈夫です。夜中なのにすみません」


そう言って離れると、殿下は困ったように微笑んでいた。暗い中、本当に見えたのか、私の心が作り出した幻だったのかは分からない。だけど私はもう殿下の顔を見ることができず、背中を向けて目を閉じた。

朝まで一睡もすることかできなかった。


明るくなってきた頃、ベッドを出ようとすると手首を掴まれた。振り返る。殿下は笑っていなかった。


「どこに行くの?」

「……どこにも」


どちらにしろ今一人でその辺りを歩けるほど神経は図太くない。


「昨夜は申し訳ありませんでした。寝ぼけていました」


殿下がじっと私の目を見る。全てを見透かすような目。私の嘘を全て剥がしてしまいそうな目。先に逸らしたのは私だった。


「顔を洗ってきます」


半ば無理やり殿下の手をほどく。立ち上がると少しフラッとはしたが、大きな問題はなかった。

昨日まで二日も寝てたんだもん。少しくらい寝れなくても大丈夫だよ。そう思ったが、鏡の中の私は思った以上に酷い顔をしていた。

こんな顔、アリアには見せられない。心配させてしまう。昨日、目が覚めて会ったのは殿下だけ。クリスは来なかったし、アリアが部屋に来た時はまだ寝ているふりをした。

……今日もそれで誤魔化せるかな、いや、でも今日は会議だ。いつまでも誤魔化すわけにはいかない。


「開けるよ」


その言葉と同時に扉が開いて、殿下が入ってきた。ついさっき起きたばっかりだというのにもう着替えている。


「着替えるの早いですね」


なんて心底どうでもいいことを言ってしまった。ユリウス殿下は「うん」と頷くだけ。私の手を引いて部屋へと戻ると、殿下はいつもの椅子に座り、考えに耽るかのように何もないところを見つめた。

……何か用事があったんじゃないの?

わざわざ来た殿下が、私を部屋へ戻すためだけだったとは思いにくい。しかし殿下は何も言わないし、いつも通りだった。

突っ立ったまま見つめていると、殿下は視線を動かさないまま言う。


「今の君を短時間でも一人にはさせない方がいいと思ったから」


私が酷い顔をしていることは何も言わない。私も何も言えない。


「……気にしすぎですわ」


そう言った私に殿下は何も言わなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

冷遇王妃はときめかない

あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。 だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

そのご寵愛、理由が分かりません

秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。 幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに—— 「君との婚約はなかったことに」 卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り! え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー! 領地に帰ってスローライフしよう! そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて—— 「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」 ……は??? お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!? 刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり—— 気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。 でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……? 夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー! 理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。 ※毎朝6時、夕方18時更新! ※他のサイトにも掲載しています。

とんでもない侯爵に嫁がされた女流作家の伯爵令嬢

ヴァンドール
恋愛
面食いで愛人のいる侯爵に伯爵令嬢であり女流作家のアンリが身を守るため変装して嫁いだが、その後、王弟殿下と知り合って・・

処理中です...