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焼けた離宮
エーリッヒ様は無言で歩く。その背を追いかけて歩いたが、雪の積もった道はとても歩きにくい。その上とてつもなく寒い。
上着は着て来たけれど手袋を忘れた。
ゆっくり歩いているとエーリッヒ様が足を止めて振り返った。目の前に手が差し出される。
「気が付かなくてすまない。歩きにくいだろう」
「ありがとうございます」
その手を握ると、冷たいけれど暖かさを感じた。エーリッヒ様は再び歩き出す。以前歩いた道とは違う。この先に何があるのか、なんとなく分かっていた。
そう遠くないところにそれはあった。
燃えた離宮の跡。建物の形状は留めているが、それがどんな外観をしていたかは分からない。
「兄の噂は聞いたことあるか?」
「……ええ。政治に関心のない方だったとか」
政を行なわず享楽にふける王。それがユルン前王の囁かれた噂だ。
「気を遣わずとも良い。兄は酒と女、賭け事に溺れていた」
それは王としては致命的なのでは、と思う。
「ユルンの王族は神の許しがなくとも他国へ行くことができる。それを良いことに兄は国外へ出ては借金を重ねて帰って来た」
……噂以上、想像以上に酷い。王族として育てられた人ではないのだろうか。
エーリッヒ様は私の考えを読んだかのように言う。
「私と兄は人の上に立つべく人間として育てられた。父と母は厳しかった」
淡々と語るエーリッヒ様の声音はいつもと変わらない。
「兄は両親に反抗的だった。そして4年前、両親が毒に倒れた」
4年前。私はエーリッヒ様のご両親のことはよく知らない。だけど悪い噂は聞いたことがなかった。
「罰は誰にもくだらなかった。だから兄がやったのだと思っている」
「……神はお答えくださらないのですか?」
エーリッヒ様には神の姿が見え、声が聞こえるようだ。ならば神と言葉を交わすこともできるだろう。
「答えない。知ったところで何かが変わるわけではない、と」
「正論ですね」
「正論だ」
別に知りたいわけではない、とエーリッヒ様は言った。私がエーリッヒ様の立場だったとしてもきっと同じように思っただろう。
エーリッヒ様が離宮を見る。暗い中でも焦げた柱が見える。
「……深夜、ちょうど今くらいの時間だった」
エーリッヒ様の右手が少し震えているような気がした。きゅっと握る。
「兄は側近達と酒を飲んでいた」
暗くて表情が見えない。声には苦しさが滲んでいる。
苦しいなら無理して話さないでほしい。そう思ったが口を挟むことはできなかった。
「私は剣を抜いたまま部屋に入った」
情景が浮かぶ。
右手に剣を持ったエーリッヒ様。そのまま真っ直ぐ前王の元へ行き、胸を突き刺す。前王は倒れ、苦しむ。側近達も斬り、刺し、そして火を放つ。
エーリッヒ様の言葉に沿って私の目の前にはその時の様子が見えた。ただひとつ見えない。
エーリッヒ様を見上げると、エーリッヒ様もこちらを見た。その頬に左手を伸ばして触れる。
前王を刺した時、苦しむ姿を見た時、火を放った時、そしてその死を確認した時、この方はどんな表情を浮かべたのだろう。
……泣いたのだろうか。
「リーゼロッテ……?」
名前を呼ばれてハッとした。
「も、申し訳ございません……!」
慌てて左手を引っ込める。思わず手を伸ばしてしまった。
「良い。……寒いな、戻ろう」
エーリッヒ様に軽く手を引かれて歩き出す。その背に問いかける。
「エーリッヒ様が受けた『罰』とは何なのですか?」
神は教会で『これも罰だ』と言った。それはつまり他にも罰を受けたということだ。
「王族は罰を受けないのではないのですか?」
「……私の罪は神の忠告に逆らったことだ」
ゆっくりと歩きながらエーリッヒ様は答えた。
「兄を殺そうと決めた夜、神は言った。今殺すのはやめた方がいい、と。だが私は焦っていた。兄が生きていれば借金は積み重なり、そのままだとユルンの民は飢え死にする。機会を逃せば国外へ出てしまう。焦り、神の忠告を無視して兄を殺した」
冷たい風が吹く。
きっと焦りだけじゃない。時を置いたら決心が鈍ると思ったから、殺さないといけないと思ったから、その時に殺したんだ。
「その結果、大切な書物が失われた。ユルン王家には代々王が継ぐ書物がある。国を治める為、王となった者だけが読める本だ。それが兄と共に焼けた」
「それがエーリッヒ様の罰ですか?」
「ああ」
「なくてはならなかったものなのですか?」
「なくても国は滅びないと神は言っていた」
ではいいではありませんか、と言おうとして止めた。政治に関わっていない私の言うことではない。無責任なことは言えない。
「……だからファルラニアがあの娘を差し出さないと言った時、正直安堵した」
「カリトーンのことですか?」
「ああ。今のユルンには何の為に娘を受け入れて来たのか、その理由が分からない。何故娘が必要なのかと聞かれ、答えられないと言ったのもそういう意味だ」
「それで私も放置されているのですか」
納得だ。
エーリッヒ様は突然足を止めて振り返った。私の目ではエーリッヒ様の顔は見えない。あちらからは見えているのだろうか。
少しの沈黙の後、エーリッヒ様ははっきりと言った。
「……あの娘の代わりにあなたを連れて来たのではない」
そして小さな声で付け足した。
「対外的にはそうだが」
ポカンとする私をよそにエーリッヒ様は再び歩き出す。
私はカトリーンの代わりじゃない?では何故?
考え込んでしまいそうになり、頭を振る。今考えたって分からないことだ。少なくとも私はユルンへ来てよかったと思っている。例えこの先でどんな扱いをされたとしても。
つないだ右手からはエーリッヒ様の体温が流れ込んでくるようだった。
上着は着て来たけれど手袋を忘れた。
ゆっくり歩いているとエーリッヒ様が足を止めて振り返った。目の前に手が差し出される。
「気が付かなくてすまない。歩きにくいだろう」
「ありがとうございます」
その手を握ると、冷たいけれど暖かさを感じた。エーリッヒ様は再び歩き出す。以前歩いた道とは違う。この先に何があるのか、なんとなく分かっていた。
そう遠くないところにそれはあった。
燃えた離宮の跡。建物の形状は留めているが、それがどんな外観をしていたかは分からない。
「兄の噂は聞いたことあるか?」
「……ええ。政治に関心のない方だったとか」
政を行なわず享楽にふける王。それがユルン前王の囁かれた噂だ。
「気を遣わずとも良い。兄は酒と女、賭け事に溺れていた」
それは王としては致命的なのでは、と思う。
「ユルンの王族は神の許しがなくとも他国へ行くことができる。それを良いことに兄は国外へ出ては借金を重ねて帰って来た」
……噂以上、想像以上に酷い。王族として育てられた人ではないのだろうか。
エーリッヒ様は私の考えを読んだかのように言う。
「私と兄は人の上に立つべく人間として育てられた。父と母は厳しかった」
淡々と語るエーリッヒ様の声音はいつもと変わらない。
「兄は両親に反抗的だった。そして4年前、両親が毒に倒れた」
4年前。私はエーリッヒ様のご両親のことはよく知らない。だけど悪い噂は聞いたことがなかった。
「罰は誰にもくだらなかった。だから兄がやったのだと思っている」
「……神はお答えくださらないのですか?」
エーリッヒ様には神の姿が見え、声が聞こえるようだ。ならば神と言葉を交わすこともできるだろう。
「答えない。知ったところで何かが変わるわけではない、と」
「正論ですね」
「正論だ」
別に知りたいわけではない、とエーリッヒ様は言った。私がエーリッヒ様の立場だったとしてもきっと同じように思っただろう。
エーリッヒ様が離宮を見る。暗い中でも焦げた柱が見える。
「……深夜、ちょうど今くらいの時間だった」
エーリッヒ様の右手が少し震えているような気がした。きゅっと握る。
「兄は側近達と酒を飲んでいた」
暗くて表情が見えない。声には苦しさが滲んでいる。
苦しいなら無理して話さないでほしい。そう思ったが口を挟むことはできなかった。
「私は剣を抜いたまま部屋に入った」
情景が浮かぶ。
右手に剣を持ったエーリッヒ様。そのまま真っ直ぐ前王の元へ行き、胸を突き刺す。前王は倒れ、苦しむ。側近達も斬り、刺し、そして火を放つ。
エーリッヒ様の言葉に沿って私の目の前にはその時の様子が見えた。ただひとつ見えない。
エーリッヒ様を見上げると、エーリッヒ様もこちらを見た。その頬に左手を伸ばして触れる。
前王を刺した時、苦しむ姿を見た時、火を放った時、そしてその死を確認した時、この方はどんな表情を浮かべたのだろう。
……泣いたのだろうか。
「リーゼロッテ……?」
名前を呼ばれてハッとした。
「も、申し訳ございません……!」
慌てて左手を引っ込める。思わず手を伸ばしてしまった。
「良い。……寒いな、戻ろう」
エーリッヒ様に軽く手を引かれて歩き出す。その背に問いかける。
「エーリッヒ様が受けた『罰』とは何なのですか?」
神は教会で『これも罰だ』と言った。それはつまり他にも罰を受けたということだ。
「王族は罰を受けないのではないのですか?」
「……私の罪は神の忠告に逆らったことだ」
ゆっくりと歩きながらエーリッヒ様は答えた。
「兄を殺そうと決めた夜、神は言った。今殺すのはやめた方がいい、と。だが私は焦っていた。兄が生きていれば借金は積み重なり、そのままだとユルンの民は飢え死にする。機会を逃せば国外へ出てしまう。焦り、神の忠告を無視して兄を殺した」
冷たい風が吹く。
きっと焦りだけじゃない。時を置いたら決心が鈍ると思ったから、殺さないといけないと思ったから、その時に殺したんだ。
「その結果、大切な書物が失われた。ユルン王家には代々王が継ぐ書物がある。国を治める為、王となった者だけが読める本だ。それが兄と共に焼けた」
「それがエーリッヒ様の罰ですか?」
「ああ」
「なくてはならなかったものなのですか?」
「なくても国は滅びないと神は言っていた」
ではいいではありませんか、と言おうとして止めた。政治に関わっていない私の言うことではない。無責任なことは言えない。
「……だからファルラニアがあの娘を差し出さないと言った時、正直安堵した」
「カリトーンのことですか?」
「ああ。今のユルンには何の為に娘を受け入れて来たのか、その理由が分からない。何故娘が必要なのかと聞かれ、答えられないと言ったのもそういう意味だ」
「それで私も放置されているのですか」
納得だ。
エーリッヒ様は突然足を止めて振り返った。私の目ではエーリッヒ様の顔は見えない。あちらからは見えているのだろうか。
少しの沈黙の後、エーリッヒ様ははっきりと言った。
「……あの娘の代わりにあなたを連れて来たのではない」
そして小さな声で付け足した。
「対外的にはそうだが」
ポカンとする私をよそにエーリッヒ様は再び歩き出す。
私はカトリーンの代わりじゃない?では何故?
考え込んでしまいそうになり、頭を振る。今考えたって分からないことだ。少なくとも私はユルンへ来てよかったと思っている。例えこの先でどんな扱いをされたとしても。
つないだ右手からはエーリッヒ様の体温が流れ込んでくるようだった。
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