あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第一章

彼と彼女Ⅰ

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静かな部屋で大学のレポートを書いていると、アパートの階段を上る足音が聞こえた。

その足音は僕の部屋の前で止まり、控えめなノックの後にドアが開いた。

顔を出したのは、紗苗さんだ。


「こう君、見て、ギター貰ったの。今日から練習するから河原にでも行こう」


ちょっと、僕今レポートしているところなんだけど。

そう言おうとして声が出ないことに気付いた。


「ほら、早く。置いて行っちゃうよ」


紗苗さんは僕が立ち上がる前にさっさと部屋を出て行って見えなくなってしまった。

おいていかれた僕は、追いかけることもせずただ茫然と閉まった部屋のドアを見つめた。

紗苗さんは本当に僕を置いて行ってしまったのだ。




――ピピピピ、ピピピピ


目覚まし時計の音で目が覚めると、見えたのは見慣れた部屋の風景。

もちろん紗苗さんはいない。

今日は紗苗さんがギターを始めた日の夢。

懐かしい。まだ薄暗い部屋で目を閉じると、先ほど見た夢を反芻する。

何度も何度も紗苗さんの動きをなぞってみる。

するとまるで紗苗さんはまだそこにいるんじゃないという気持ちになってきた。

目を開けたら今にでも部屋のドアが開いて紗苗さんが顔を出すんじゃないか。

そんな淡い希望をもって目を開けた。

しかし、いくら待ってもドアが開くどころか誰の足音も聞こえない。


誰もいない部屋でため息を一つ落とすと、いつかの紗苗さんの言葉を思い出した。


――ため息をつくと幸せが逃げるよ。


それは違うよ、紗苗さん。
ため息をつくから幸せが逃げるんじゃない。幸せが逃げたからため息をつくんだよ。


心の中でそう反論してみて、思わず笑ってしまう。

僕は何をしているんだ、ばかばかしい。

ベッドから下りてカーテンを開けてみると雨がしとしと降っていた。


「今日は無理かな」


テレビをつけると丁度天気予報がやっていた。


――11月28日、月曜日。今日は一日雨が降るでしょう。


その声を聞きながら朝食の準備をする。

土日はずっと河原でギターを弾いていた。

他にすることがなかったから。

丸二日間練習したおかげでだいぶ昔の勘を取り戻せたような気がする。

まだ胸を張って演奏できるほどではないが。

今日も練習をしに行こうかと思っていたけど雨なら仕方がないので一日家にいようと思う。

麗奈ちゃんは「また来週」とは言っていたが、雨だったら家に帰るだろうし、用事があるわけでもない。

今日は部屋の片づけでもすることにしよう。

目玉焼きを作ろうと思って卵を割ると、黄身がやぶれてしまった。


二時頃になると外が明るくなってきた。

窓から外を見ると、さっきまで雨が降っていたのが嘘だったみたいに晴れている。

丁度押し入れの中の片づけが終わったところだった。

今まで無造作に段ボールに入れていた物はほとんど要らないものだった。

空になった最後の段ボールを持ち上げると何かが中で転がった。


「あれ?」


改めてのぞいてみると、中に何か小さいものが入っている。

よく見ると紗苗さんが作ってくれたロケットペンダントだった。

チェーンはなくなってしまっているけど。


――こう君には、はい。私の写真入りだよ。私のはこう君の写真が入っているの。


渡された時は嬉しかった。だけど恥ずかしくてつけられなかった。

そう言うと、紗苗さんはストラップにしてくれると言った。

だけどそんな日はこなかった。
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