あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第一章

弘介と紗苗Ⅴ

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「この後授業ある?」


授業がなかったらこのまま桜巡りでも行きたい。

いや、桜は別にどうでもいいけど、ただもう少し紗苗さんと一緒にいたかった。


「うん、あとひとつだけあるよ」


内心舌打ちをして、紗苗さんの手を放そうとすると紗苗さんが僕の手を握った。


「こう君は?」

「僕もあとひとつ」


紗苗さんは「そっか」と笑った。

そして、陽だまりのようなあたたかい声で言った。


「さぼっちゃおうか」


僕が授業をさぼるのは結構珍しくない。

だけど紗苗さんが授業をさぼっているのは見たことがない。

僕と一緒にいて紗苗さんの評価が下がるのは困る。

残念だけど、授業が終わった後にしよう。そう思った途端、腕が引っ張られる。


「ほら、どこに行こうとしたの?」


紗苗さんが門の方へ向かって僕の腕を引く。

もういいか。紗苗さんは普段から真面目だからちょっとさぼったくらい評価が落ちないだろう。

紗苗さんの手を握り返して言う。


「桜を見に行こう」


手をつないだまま歩き出す。


「それは授業よりもいいね」


紗苗さんが笑い、僕も笑う。

春の少し冷たい風が二人の間を吹き抜けていった。



北海道に行こう。

紗苗さんがそう言ったのは、狭い僕の部屋でゆったりとしていたある日の午後だった。

急に読んでいた本から顔を上げてそう言ったのだ。

手に持った暇つぶしのためだけのゲームから顔を上げると、紗苗さんのキラキラとした目がすぐ近くに会った。


「来月はラベンダーの見頃なんだって。一緒に行かない?」

「ちょっと、近いよ」


紗苗さんの肩を軽く押すと、紗苗さんが「ごめん、つい」と笑った。

ラベンダーって言ったら富良野か……。

正直僕は遠出があまり好きではない。

単純に面倒だし、観光名所などの人が多いところは息が詰まる。決して行きたくはない。

北海道に行くくらいならこの部屋で紗苗さんとゆっくりしていたいし、その辺を適当に散歩していたい。


「富良野と、札幌と小樽も行きたいなあ。こう君スープカレー好きそうだね」


僕はまだ何も言っていないのに、紗苗さんはもう僕と行く気みたいだ。

そんな紗苗さんを見ていたら断る気もなくなって、僕は頷いた。


「うん、スープカレー好きだよ。一緒に食べよう」


ゲームの電源を切って、無造作に床に置いていたノートパソコンを起動すると、紗苗さんが嬉しそうに僕の隣に来た。


「一緒に行ってくれるの?」

「行きたいんでしょ?」

「うん。でもこう君は嫌がるかと思ってた。嫌なら無理しないでいいよ」


僕が行きたくないと言ったらきっと、紗苗さんは友達と行くのだろう。

それを想像するともやっとした。

男の嫉妬は見苦しいと言うが、男だって嫉妬をする。それは仕方のないことだ。


「嫌じゃないよ。紗苗さんが行きたいところには僕も行きたいんだ」


これは本心からの言葉だった。

紗苗さんの好きなものの良さを僕も知りたいし、紗苗さんが見て感動するものは僕も一緒に見たい。ただそれだけ。

紗苗さんは僕の言葉に嬉しそうに笑った。
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