あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第一章

卒業Ⅱ

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「僕も仕事が決まったよ。来週から」

「そうなんですか、おめでとうございます」


麗奈ちゃんは笑った。

僕のことなのに心の底から嬉しそうな笑顔だった。

本当はもっと前に決まっていた。だけどなんとなく言えなかった。

麗奈ちゃんと過ごすこの穏やかな時間に『現実』を持ち込みたくなかった。

でもこんな表情が見られるならもっと早く言えばよかったかな。


「弘介さん」


僕の名前を呼ぶ声。紗苗さんとはまた違った温かさのある声。


「何?」


穏やかな空気のこの時間が好きだった。

テンポのいい、だけどゆっくりな会話が好きだった。

それも今日でもう終わりだ。


「ギターを弾いてもらえませんか?」

「僕が弾くの?」


最近はもうずっと弾いていないギター。

今ではもう麗奈ちゃんの方がうまいかもしれない。

麗奈ちゃんが弾けるようになった今、目の前で弾くのはなんだか恥ずかしかった。


「はい、あの曲がいいです」


その曲は麗奈ちゃんと初めてここで会ったときに僕が弾いていた曲だった。

紗苗さんの大好きだったあの曲。


「あの最初の時以来、弾いてくれたことありませんよね?」


そういえばそうだったかなと思い出す。

意識して避けていたわけではないけど、あの曲は紗苗さんを思い出すからなんとなく弾きたくなかった。


「そうだね、いいよ」


ギターを取り出して膝に乗せると、久しぶりのその冷たさに心が落ち着いた。

ああ、そうだ、チューニングを。

当たり前のように麗奈ちゃんに手伝ってもらってチューニングを終えると、手が動いた。とても自然に。

僕の音に合わせて麗奈ちゃんが歌う。

この別れの曲は今の僕たちにぴったりだ。

これで最後にしよう。

毎月初めごろに張り替えていた弦。今のは今日張り替えたばかりだ。

もう張り替えることはきっとない。そう思いながらも、この時僕は楽しかった。

久しぶりにギターを楽しいと感じていた。

考えなくても動く手、びりびりとする耳、隣で歌う麗奈ちゃん。

幸せだった。この上ない幸せを感じていた。

だけど、これももう終わりだ。


最後の一音が鳴り終わると、後ろから拍手が聞こえた。

驚いて振り返ると小さな子供が二人とそのお母さんが立っていた。


「お兄ちゃんもお姉ちゃんもすごいね!」


お兄ちゃんが僕たちに向かって拍手をしながらそう言う。

妹もお兄ちゃんの横で目を輝かせて一生懸命手を叩いていた。


「ありがとう」


麗奈ちゃんが柔らかい声でお礼を言った。

それは僕に向けて出す声とはまた違っていた。

子供たちもお母さんもすぐに歩いて行った。

子供の手を引いて歩くその背を見ながら思う。

紗苗さんも生きていたらきっといいお母さんになっただろう。
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