52 / 89
第二章
変わったものと変わらないものⅠ
しおりを挟む
「麗奈ちゃん、君が好きだ」
どうしてこんなところに、と思った直後、弘介さんは言った。
最初は何を言ったのか分からなかった。
ここに弘介さんがいること自体幻じゃないかと思ったくらいだ。
だけどその言葉を聞いて幻じゃないことが分かった。
幻だったらこんなこと言わない。私に都合の悪いことなんて言わない。
弘介さんの言葉を理解した時、驚いた。
悲しかった。
そして、許せなかった。
「私は弘介さんが嫌いですよ」
口をついて出た言葉は弘介さんを傷つけるであろうものだった。
弘介さんは呆然と私を見つめている。
当たり前だ。久しぶりに会った自分を好きだった子に、訳も分からず嫌いだと言われたのだから。
それでも他に言葉が出てこなかった。
その場からすぐに立ち去りたかったが足も動かない。
申し訳なさはあった。だけどそれ以上の怒りがあった。
どうして今更私を好きになったのか。
紗苗さんはどうなったのか。
忘れてくださいって言ったのにどうして忘れてくれなかったのか。
どうして、とそればかりが頭の中をぐるぐるする。
頭に血が上っているのが分かる。眩暈と吐き気がする。息がうまくできない。
立っていられなくてしゃがみこむと、弘介さんがこっちに手を伸ばす気配がした。
やめて、お願いだから私に触らないで。
弘介さんの手が私に届く前に、私を呼ぶ声が聞こえた。
「麗奈」
その低くも高くもない冷静な声を聞いて、急に息が楽になった。
はあ、と息をついて、弘介さんの伸ばした手をよけるように立ち上がると、私に並ぶ姿が見えた。
「ひろ君」
「近くまで来たから迎えに来たよ。大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
大学の時から付き合っていて同棲中のひろ君。優しくて穏やかなひろ君。
今の私にはひろ君だけが全てだ。
「麗奈の知り合い?」
ひろ君が弘介さんを見て言った。
弘介さんは何かを言いたそうに私を見ている。
だけど意識してそちらを見ないようにした。
「麗奈ちゃん……」
懐かしい声で私の名前を呼ぶ。
どんな感情か分からないけど、心が揺れた。
少し迷って私は首を振る。何もなかったことにしたい。
会わなかったことにことにしたかった。
ひろ君の手を取ると、私よりもひんやりしていて気持ちが良かった。
「ひろ君、帰ろう」
ひろ君は弘介さんを気にしながらも私が歩きだすと一緒に歩いてくれた。
弘介さんわきを通りすぎる。
その時かすかに懐かしい香りがして、五年前の記憶が蘇る。
――楽器は楽しむことが大切なんだ。それって結構難しいことだよ。
――いつか麗奈ちゃんに釣り合えるように努力をしてくれる人が絶対にいるから。
――僕は紗苗さん以外の人とこの先を一緒に生きるなんて想像もできない。
どうしてこんなところに、と思った直後、弘介さんは言った。
最初は何を言ったのか分からなかった。
ここに弘介さんがいること自体幻じゃないかと思ったくらいだ。
だけどその言葉を聞いて幻じゃないことが分かった。
幻だったらこんなこと言わない。私に都合の悪いことなんて言わない。
弘介さんの言葉を理解した時、驚いた。
悲しかった。
そして、許せなかった。
「私は弘介さんが嫌いですよ」
口をついて出た言葉は弘介さんを傷つけるであろうものだった。
弘介さんは呆然と私を見つめている。
当たり前だ。久しぶりに会った自分を好きだった子に、訳も分からず嫌いだと言われたのだから。
それでも他に言葉が出てこなかった。
その場からすぐに立ち去りたかったが足も動かない。
申し訳なさはあった。だけどそれ以上の怒りがあった。
どうして今更私を好きになったのか。
紗苗さんはどうなったのか。
忘れてくださいって言ったのにどうして忘れてくれなかったのか。
どうして、とそればかりが頭の中をぐるぐるする。
頭に血が上っているのが分かる。眩暈と吐き気がする。息がうまくできない。
立っていられなくてしゃがみこむと、弘介さんがこっちに手を伸ばす気配がした。
やめて、お願いだから私に触らないで。
弘介さんの手が私に届く前に、私を呼ぶ声が聞こえた。
「麗奈」
その低くも高くもない冷静な声を聞いて、急に息が楽になった。
はあ、と息をついて、弘介さんの伸ばした手をよけるように立ち上がると、私に並ぶ姿が見えた。
「ひろ君」
「近くまで来たから迎えに来たよ。大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
大学の時から付き合っていて同棲中のひろ君。優しくて穏やかなひろ君。
今の私にはひろ君だけが全てだ。
「麗奈の知り合い?」
ひろ君が弘介さんを見て言った。
弘介さんは何かを言いたそうに私を見ている。
だけど意識してそちらを見ないようにした。
「麗奈ちゃん……」
懐かしい声で私の名前を呼ぶ。
どんな感情か分からないけど、心が揺れた。
少し迷って私は首を振る。何もなかったことにしたい。
会わなかったことにことにしたかった。
ひろ君の手を取ると、私よりもひんやりしていて気持ちが良かった。
「ひろ君、帰ろう」
ひろ君は弘介さんを気にしながらも私が歩きだすと一緒に歩いてくれた。
弘介さんわきを通りすぎる。
その時かすかに懐かしい香りがして、五年前の記憶が蘇る。
――楽器は楽しむことが大切なんだ。それって結構難しいことだよ。
――いつか麗奈ちゃんに釣り合えるように努力をしてくれる人が絶対にいるから。
――僕は紗苗さん以外の人とこの先を一緒に生きるなんて想像もできない。
0
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから
ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。
彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる