あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

変わったものと変わらないものⅡ

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駅に着いて自分がひろ君の手を思いっきり握っていることに気が付いた。


「ごめん、ひろ君、痛くなかった?」


慌てて手を離すとひろ君は笑った。


「はは、大丈夫だよ。麗奈、力弱いから」

「よかった」


ほっとして改札をぬけ、ホームで電車を待つ。

いつもの駅、いつもの帰り道。隣にはひろ君。

いつもと同じ景色なのに違って見えるのは、きっと弘介さんのせいだ。

どうして今になってここに来たのだろう。私に会いに来たのか、何かのついでに来たのか。

どうして私の居場所が分かったのか。

そんなことはどうでもいい。どうして私を好きになってしまったのだろう。

今更、どうして――。


「麗奈」


ひろ君が私の手に触れた。

はっとして顔を上げると、微笑んでいるひろ君が私の顔を覗き込んでいた。


「手強く握りすぎだよ。ほら、唇から血も出てるし」


気が付かなかった。

手のひらを見ると確かに爪の痕がついている。そして、唇は鉄の味がした。

ハンカチを出して唇に当てると血はすぐに止まった。

そのタイミングで電車がホームに滑り込んでくる。


電車に乗ると色々な音がして少し気がまぎれたが、降りてしばらく歩くと静かになった。

ひろ君と二人で歩く時は、いつも何も喋らない。

喋らなくても気まずくないから。

だけど今日だけはなぜか息が詰まった。

隣を歩くひろ君を見上げるが何も言わない。


「ねえ」

「何?」


私を見て笑うひろ君。その笑顔を見ると全て話してしまいたくなる。

ひろ君は私のすべてを受け入れてくれる。いつだってそうだった。

だから、私が吐いた嘘も隠していた事実も、全て話してもきっと変わらず笑ってくれるだろう。


「さっきの」

「駄目だよ」


私の言葉を遮ってひろ君が言った。


「それは駄目だ。まだ俺に話したら駄目。そのことは麗奈がちゃんと向き合わないといけない。俺に話すことで楽になるんだろうけど、まだ逃げちゃいけない」


ひろ君が私の話を遮ったのは初めてだった。

色々な話をしてきた。

楽しいことを話せばもっと楽しくなったし、辛いことや苦しいことを話せば楽になった。ひろ君に話をすると私はいつだって落ち着きを取り戻せた。

そして、ひろ君だってそれを知っている。


「なんで……」


泣きそうになった。

私はこのままひろ君に見捨てられるのか。

そうなったらこの先、きっと生きていけない。


「ごめんね、でもこれは麗奈がちゃんと向き合わないといけないんだ。そばにいるから、ね?」


まるで子供を諭すような優ししく、だけど有無を言わせない口調で言われる。

他にどうしようもなくて泣きながら頷くと、ひろ君が私の頭をポンと撫でた。別に珍しいことじゃない。

だけどさっき弘介さんと会ったばかりだからか、その感触に五年前の最後の日を思い出した。

それを振り払うようにひろ君の手を握って、反対の手で涙を拭った。
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