あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

変わったものと変わらないものⅥ

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「麗奈、麗奈」


名前を呼ぶ声にはっとして目を開ける。

いつの間にか寝ていたみたいで、熱々だったお湯がまたぬるくなっている。


「麗奈、大丈夫? 開けるよ」


その言葉と同時に浴室のドアが開いてひろ君が顔を出した。


「大丈夫?」

「うん、寝てた」


そう言いながら立ち上がる。

ひろ君は私にタオルを手渡すと、キッチンの方へ行った。

体に付いた水滴を拭き取っていると向こうからひろ君の声が聞こえる。


「シチュー作ったんだけど食べる?」


笑ってしまった。


「シチュー?」


もう夏になろうかというこんな時期にシチューって……。

笑いながら聞くとひろ君も笑った。


「うん、シチュー。麗奈好きだろ?」

「好きだけどね」


そう笑ったけど知っている。

ひろ君が私のためにわざわざ作ってくれたこと。お風呂に入る前はなかったから。

ひろ君は何も言わないし聞かない。

だけど私を元気づけるために好きなものを作ってくれる。

その優しさがとても好きだ。


「ひろ君」

「うん?」


鍋とおたまのこすれる音がする。


「ありがとう」


改めてお礼を言うのは恥ずかしいけど、なぜか自然と言葉が出た。

ひろ君は少し遅れて「うん」と言った。


シチューを食べて布団に入る。

お風呂の中で少し寝たせいか、全く眠くない。

同じ布団で横になっているひろ君を見てみるが、寝ているのか起きているのかよく分からない。

ため息をついてとりあえず目を閉じてみる。


さっきの弘介さんの愕然とした顔が浮かぶ。

どうしてこうなってしまったんだろう。

分からない。

私はどこで間違えてしまったのか。

これは分かる。

きっと、一番初めから間違えていたのだ。

そんなつもりじゃなかったと思うのも、弘介さんが悪いんだという言葉も全部言い訳でしかないことを私は知っている。

だけど認めるわけにはいかなかった。

私はそれを認められるほど強くはなかった。

あの日声をかけなければよかった。探さなかったらよかった。余計な好奇心などさっさと捨ててしまえばよかった。


溢れた涙を拭う。泣いたら駄目だ。ひろ君が起きてしまう。

また心配かけてしまう。真っ暗な中で天井を見上げてどうにか涙を止めようとしたけど止まらなかった。


「麗奈」


ひろ君が私の方へ手を伸ばしてきた。

どうも最初から起きていたようだ。

私はひろ君の胸の中に入り込み、抱き着いた。

大きな手がなぐさめるように私の頭を撫でる。

もう嫌だ。何も考えたくない。

涙でぐちゃぐちゃなまま顔を上げると真っ暗な中でひろ君の輪郭が見えた。


「ひろ君、お願い、今は何も考えたくないの」


私が望めばひろ君は応えてくれる。

いつだってそうだった。

大きな手が私の涙を拭い、ひろ君の顔が近付いて来た。


「ごめんね」


その謝罪は何に対してだったのか、言った私にも分からなかった。

だけど、ひろ君は「うん」と頷いて、温かい手で丁寧に私を愛した。

いつもは心地いいその優しさが今はとても痛かった。
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