あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

アオイの真実Ⅲ

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「やっぱりばれるか」


そう言うとそのままベランダの方へ歩いて行く。

そして半分閉めていたカーテンを開け、言った。


「すみません、気付かれました」


ひろ君の向こうに見えた姿によく分からない感情が込み上げる。


「……なんで朝賀さんがここにいるんですか」

「俺が呼んだんだよ。連絡先は昨日渡した」


ひろ君は悪いとも思っていないようで、しれっと答える。

ひろ君はどこまで聞いたのか。知られて困ることは何もない。

だけど、それを私以外の誰かから聞いたと思うとすごく嫌だった。

そして、私が弘介さんに会いたくないことを知っていてこんな風に仕組んだことを酷い裏切りのように感じた。


「麗奈ちゃん、盗み聞きしてごめん。だけど麗奈ちゃんはどうして紗苗さんのことを知ってるの?」


それを聞いて弘介さんはどうするつもりなのか。

それを言って私は、私達は救われるのか。この苦しみから逃れることができるのか。

最後に別れたあの日から私はもう弘介さんに会うつもりなんて全くなかった。あれで終わるつもりだった。


「……朝賀さん、アオイは今どんな気持ちだと思いますか?」


私が隠していたことはあまりにも多い。

きっと弘介さんにはまだ私が言いたいことが分からないだろう。

だけどそれでいいと思った。

私の吐いた嘘を全て話すつもりはなかった。

弘介さんはもう私の言葉には驚かず、ただ不思議そうに言った。


「えっと、アオイちゃんじゃなくて、亜緒ちゃんだよね?」

「違います。アオじゃなくてアオイです。紗苗さんから聞いているでしょう?」


紗苗さんがアオイに『こう君』の話をしていたように、『こう君』にもアオイの話をしているはず。

だけど弘介さんにはよく分かっていないようで、何か言いたそうだけど何も言えないようだ。


「アオじゃなくてアオイ……? だけど隣の家には亜緒ちゃんっていう女の子が」


弘介さんの言葉が途切れた。

迷っているのだろう。『アオイ』だと思っていた子が『アオ』だと知った。

そして、その数年後に実は『アオイ』で間違いなかったんだって言われると混乱するだろう。

あの家には今はアオしかいない。アオイはもうあの場所にはいない。

だけどアオイは確かに存在した。


「今日はもう帰ってください」


弘介さんに会いたくなかった。話したくなかった。

だけどそれ以上に嫌なこと。


「あなたは、あなたにだけは、私とひろ君のこの家に入って欲しくありませんでした」


私がそう言うと、何かを言おうとしていた弘介さんも静かに頷いて玄関に向かった。

ひろ君も続いて玄関へ向かう。

私はもう動きたくなかったし何も話したくなかった。

だけど足が玄関に向いていた。そして閉まりかけたドアに向かって言う。


「大好きな紗苗さんの大好きな人が自分のことを好きになってしまったなんて、アオイはどんな気持ちでしょうね」


ドアの隙間から少しだけ見えた弘介さんの顔。

私は意識してその顔から視線をそらした。そしてドアが閉まる。

私は何も言わずにリビングへ戻った。

きっと弘介さんはまだドアの前にいるだろう。

そして私が言った言葉に呆然としている。本当は言わないつもりだった。

最後の言葉はなんで言ったしまったのか自分でも分からない。

これ以上のことは話したくない。だけど話してしまうんだろうなとも思う。

弘介さんは知らなければいけないことがたくさんある。

全部私が話せばいいことだ。
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