あの日、君は笑っていた

紅蘭

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第二章

あの日のことⅠ

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さんさんと降り注ぐ日差しに目を細めて私は喋る。


「私が幼稚園に通っている時、紗苗さんは隣の家に引っ越してきました」


今ではもう覚えていないけど、その時から紗苗さんは私のことを「アオイちゃん」と呼んでいた。

不思議に思って小学生の時に聞いた。どうして私を「アオイちゃん」って名字で呼ぶのか。

そしたら紗苗さんは笑った。私が「アオイ」だと名乗ったようで、それが名字ではなく名前だと思ったのだ、と。


そう話すと弘介さんは笑った。


「紗苗さんらしいね」

「そうですね。それから私が中学生になって引っ越すまで頻繁に家を行き来していました」


紗苗さんの部屋の窓と私の部屋の窓が面していたから帰ったらお互い合図を送っていた。

その合図があったら私が紗苗さんの家に行く。

私が合図を送ったら紗苗さんがうちに来る。も

ちろん毎日ではなかったけど、少なくとも三日に一回は会って話をしていた。


「私が五年生になった頃、紗苗さんが言ったんです。『弘介君っていう人に会ったんだ』って。それからだんだんと紗苗さんの話は弘介さんのことばかりになっていきました」

「僕の話」


弘介さんがおうむ返しに呟く。

こんな簡潔な私の話の中にも弘介さんの知らない紗苗さんがいるのだろうか。


知らない人の話でも紗苗さんの話だったら退屈ではなかった。

紗苗さんはどんなことでも楽しそうに話した。どんな人でも魅力的に話した。

その中でも弘介さんだけは特別だった。


「楽しそうでしたよ。『今日はこう君と桜を見た』とか『こう君に誕生日プレゼントをもらった』とか、『こう君は意外と足が速いんだ』とか。紗苗さんの話を聞いただけで、私は会ったこともない弘介さんを知ることができました」


私は紗苗さんの話が大好きだった。

弘介さんの話をするときの紗苗さんのあたたかい声が大好きだった。

見たこともない弘介さんと紗苗さんが一緒にいるのを想像するのが大好きだった。


弘介さんもひろ君も何も言わない。

だけど二人のその真剣な顔で、ちゃんと私の話を聞いていることが分かる。


「私が中学校に上がる時に親が離婚して、引っ越したんです。その時に私は『青井』ではなくなり、紗苗さんともあまり会うことがなくなりました」


親の離婚はそれほどショックではなかった。仕方のないことだ。

だけど、私は紗苗さんと会えなくなるのだけが悲しかった。

紗苗さんは言った。「遠くに行くわけじゃないからまたいつでも会えるよ」と。

だけど中学生になった私は部活動が始まり、なかなか紗苗さんに会うことはなかった。


「月に一度遊びに行って話をしていました。私は学校であったことやサックスを始めたこと、紗苗さんは弘介さんのことを、話すのも聞くのもとても楽しかったです」


その月に一度の日を楽しみにしていた。

私が高校生になっても大学生になっても社会人になっても、形は変わるだろうけど、いつまでも紗苗さんと会って話をするんだろうなと思っていた。

だけど、そんな日はそう長く続かなかった。


「あの夏祭りの日、私もお祭りの会場にいたんです。そして、紗苗さんに会いました」


突然、弘介さんが私の方を向いた。目を見開いて私を見つめる。


「あの日、紗苗さんに、会った……?」


声が震えていた。

信じられないといった表情で私を見る。

弘介さんがいなかったあの場所。そこに私はいた。


「会いましたよ。今でもあの日のことは忘れられません」
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