あの日、君は笑っていた

紅蘭

文字の大きさ
68 / 89
第二章

五年前Ⅱ

しおりを挟む
ようやく見えたその後ろ姿が昨日図書館で会ったその人と同じだと気が付いて、私は嬉しくて泣いてしまいそうだった。

やっぱりあの人はこう君だったんだ。その気持ちでいっぱいだった。

後ろから様子を伺っていると突然歌が途切れた。

かつて紗苗さんと二人で何度も聞いて歌った曲。

気がついたら歌っていた。音が途切れると私はこう君の隣に腰を下ろした。

そしてギターを見る。このギターで紗苗さんも歌っていたのだろうか。


「ちょっと前に音楽で習った曲なんです」


そう言った自分に驚いた。

うちの学校は進学校なので音楽の授業はない。

どうして嘘を吐いたのか分からない。

だけど私は紗苗さんとの関係を隠したかったのかもしれない。

そう、私は紗苗さんとの関係を隠して、こう君が紗苗さんの死についてどう思っているのかを知りたかった。

話しているとこう君は言った。


「うまいとかうまくないとか関係なく、楽器は楽しむことが大切なんだ。それって結構難しいことだよ」


紗苗さんの言った通りの人だと思った。

素直で優しくて、自分にない人の才能を手放しに誉めることのできる人。

紗苗さんはこう君をそう言っていた。

そして同時に思った。こう君はもう楽器を楽しむことができないんだ、と。


「三上麗奈です」


先に名乗る。こう君もきっと知っているだろう、アオイから私を遠ざけるために。

私がアオイだと勘づかれないように、私とアオイを切り離すために。

こう君の名前は知っていた。


「朝賀弘介さん」


そう呟くと、それまでとは違った何かが込み上げてきた。

私の中でこう君が初めて実体を持った瞬間だった。


私はようやく見つけたこう君、弘介さんをまた見失うつもりはなかった。

しっかりと明日の約束をして、その場を去った。

私が帰って行く方向は、本当は家から正反対だった。

だけど、家に帰ろうと思ったら学校の方に戻らないといけないから。

弘介さんが不自然に思ったら困るから遠回りをして帰った。


それから私はギターを教えてもらうことを口実に弘介さんと河原で会うようになった。

弘介さんがたまに紗苗さんの話をする時は実はすごくどきどきしていた。

だけど何でもないふり、何も知らないふりをした。


ある日私は言っていた。その前に色々あって疲れていたのかもしれない。


「……私は、弘介さんを好きになってしまったんですけど」


そう言ったときの私は自分でも何を考えているか分からなかった。

そう言うことで弘介さんとの距離を縮めようとしたのかもしれないし、弘介さんを好きなふりをして前の彼女である紗苗さんのことを聞こうとしたのかもしれない。

それは私にも分からないことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから

ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。 彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処理中です...