海を盗む女とアルゴリズムの太陽

まさかのまさかり

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芽吹

3話:主婦の暴走カフェにて

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 工場の駐車場には番号が振られていて、各々決められた番号の枠に駐車しなければいけない決まりがある。ユウキが貰った番号は113番。工場の敷地内まで5分ほど歩かなければいけない位置にあった。せっかく車で通勤しに来てやってるのに駐車場から5分も歩かせるというのは随分ひどい話だ。頭の中で行われるひとり井戸端会議の内容はそれであった。

 仕事とは、ユウキに言わせれば、、有意義さを探す繰り返しだ。人の脳みそっていうのは繰り返し作業を好んでいる。マラソンで走るのだって、簡単なルールのパズルゲームにハマるのだって、それが単純作業の繰り返しだからだ。
 仕事っていうのはパズルゲームほど単純じゃない。仕事はむしろパズルゲームを作り上げる側になるわけだから、事は複雑になっていく。業務時間内で、人は怒られ、理不尽に耐え、おべっかを使い、少しずつ何かを成していく。
 ストレスでおかしくなりそうになっても「仕事に有意義を見出すことを繰り返す」ことで多少だけでも慰めてやる。結局は単純作業の繰り返しなわけだ。

 その日も、製品の不具合が頻発する切削加工のラインをひたすら調査した。なにかが原因で切削の具合が安定しない。削りすぎたり、削らなかったり。このラインで作った部品が客先の機械に組み込まれて、その客先の機械が信号機に組み込まれていた。ある日、赤信号が1秒だけになるという不可思議な交差点が誕生した。客先の機械が原因であるとわかって、その客先が調査をしたところウチの部品の寸法がおかしいことがわかった。それからウチ、というかまあ弊社は大騒ぎになったわけだ。

 機械の下に潜りながら各箇所の水平の具合をチェックしていた。
 ユウキは必死に探していた。不具合の原因ではない。

 この作業の有意義さを。納得のいく意義を。
 自分の仕事が如何にして社会と世界に貢献していくのかの妄想を止めなかった。

 海賊ごっこの後、フェリー旅行を楽しんでいたはずの憐れな富裕層の方々と共にユウキは解放された人質として保護された。として港で攫われた。そういう設定がウメちゃんの紙に書かれていた。警察からの取り調べに対しても律儀にウメちゃんの設定で答える。全て真相を話すという選択肢を考えなかったわけではないが「酔っぱらっていて船に乗った経緯をよく覚えていない」と言った途端に余計な疑念を持たれそうでやめた。

 定時。113番から国道へ。国道。市道。市道。国道。市道。私道。

 アパートの階段を上ろうとしたところだった。
「3丁目ってここかな」
 年季の入った革靴があった。ベージュのスーツはスリムなタイプのものではないが生地の艶が質の良さを物語っていた。
「ちがいますよ。そっちのカフェの角から向こうが3丁目です」
「なるほど。ありがとうございます。黒崎さんですね。わたくし、刑事の松井というものでして」
 刑事手帳を取り出す仕草は手慣れたものだった。
昨日さくじつの件で少しお伺いしたいことがありましてね、お時間ありますか」

 家のすぐ傍にあっても入らないカフェもある。住宅街の中のカフェが夜の遅くまでやっているなんてことも知らなかった。松井という刑事の前にはアイスコーヒーが置かれた。淹れ方にこだわりがあるらしくホットコーヒーがくるのは少し遅れるらしい。

「すいません。家は散らかってるもんで」
 金を払いに来るようなことをウメちゃんが言っていたのが気にかかった。無いとは思うが中年の刑事と海賊を鉢合わせさせるわけにはいかなかった。

「いや、こういうところは好きだよ。まさしく」
 松井は店主が奥に入っていくのを窺ってから顔を近づけた。
「主婦の暴走って感じの喫茶店」
「主婦の暴走ですか」
 ユウキも声を潜める。

「僕みたいな仕事だと色々な場所を訪れる。聞き込みってやつでね。こういう個人の喫茶店が住宅街には特に多いんだ。たいていは主婦だとか退職したご主人さんが始めた半分道楽の喫茶店なんだ」

「それが、主婦の暴走ですか」

「ああ、案外多いんだ。家庭内で揉めてるパターンが。店始めるのだって安くはない。数百万単位でかかってくる。家族だって止めたくなるんだ。その制止を振り切っての開業。主婦の暴走って感じだろ」
 なるほど。言われてみれば付近には他にも似たような喫茶店もあった。普通の戸建てを少し改造したような喫茶店で、入りやすい雰囲気はない。

「それでいて店の中に『珈琲豆にはこだわってます』なんて書かれていたりするんだ。喫茶店がコーヒーにこだわるのなんて当たり前の話なんだが」
 松井が急に話を止める。ホットコーヒーが運ばれてきたからだ。ユウキの前に金の装飾が施されたホットコーヒーのカップが置かれる。

「話を戻そうか。海賊騒ぎの人質なんて、なかなか災難だったね」
 松井は小さいメモ帳とペンを取り出した。

「色々と聞かせてもらえるかな」
「色々と警察にはお話したんですが」
「色々と聞き漏らしもあって困るんだ。犯人グループには目隠しをされてたんだろ」
「ええ、船に連れて行かれるまでは目隠しを」
「目隠しはなんだった」
「え?」
「何で目隠しをされたんだ」
 さすがに目隠しの詳細まではウメちゃんの指示には書かれていなかった。
「えっと、布です」
「どんな布だった」
「タオルみたいなものですかね。目隠しされてたんで詳しくはわからないんですけど」

「そうか。以前に立てこもり犯の人質から話を聞いたことがあってね、その人からタオルでの目隠しは案外見えるって聞いたんだ。俺も体験したことは無いからわからないんだが、どうだい、何か見えたりはしたかい」
 眉間に皺を寄せて天井を見上げた。松井からしたら頑張って思い出しているように見えるだろうが、実際には想像力をフルに働かせている。例えば何か見えたりするだろうか。タオルを巻かれていたなら明かりの具合ぐらいは伝わってくるかもしれない。

「昼の間は、明るいことぐらいはわかりました」
「なるほど、なら外に居たんだね」
「外で、座らされていました」
「そうか、ありがとう」
 松井はメモ帳に手早く書きつけた。ボールペンの先が走る勢いの良い音がした。
「他の人質が言ってたけど、君は最後に船に取り残されたらしいね」
「ここに残ってれば帰れると言われて残されちゃいました」
「最後に戻っていく犯人たちの姿は見えた?」
「顔は隠されてて」
「船からはロープを使って降りたのはわかってるんだけど、その時の降り方はわかるかい」
「降りる瞬間だけしかわからないですけど」
 実際、ユウキがウメちゃんに蹴られた後に辛うじて見えたのは、ウメちゃんが船から去る間際の格好だけであった。
「どんな格好だった。ロープをどういう風に持ってたとか」
「なんか、斜め、なのかな、体にロープを巻く感じにはしてましたね」
「こんなのかい」
 松井が差し出したメモ帳には荒いスケッチが描かれていた。
「ああ、そうです。こんなのでした。なんでわかるんですか」
「懸垂下降というやつだね。ありがとう。聞きたいことは聞けたよ」
 
 その後ユウキがホットコーヒーを飲み干すまでの間、松井は他愛もない話だけをした。ここらの地域はゴミの収集が厳しくなくて羨ましいとか、息子にせがまれて買ったゲーム機に自分がハマってしまっただとか。
 刑事の聞き込みとはこんなものなのかと拍子抜けさせられた。
 そのままコーヒーも飲み終わり、主婦の暴走カフェを出た。松井はそのまま警察署に帰るらしくその場で別れることとなった。

「じゃあ、ありがとうございました」
 言った後でお礼を言うのもオカシイことにユウキは気が付いた。
「こちらこそ時間を取らせて悪かったね」
 その言葉を聞いて、頭を下げて振り返ったところだった。
「君はあまり海賊たちを悪くは言わないね」
 思わず固まる。振り返ると松井は笑っていた。

「人質にされて引きずり回されてるのに、怖がったり怒ったりしないなんて君は結構優しいんだな。僕なら怒りたくもなるけどな」

「もう大人なもんで」
 咄嗟の笑顔は引き攣ったものになった。



 アパートの階段の3段目に足をかけたところだった。
「やあ、お仕事お疲れ様だったねえ」
 階段を上がり切ったところでウメちゃんと2メートルが待ち構えていた。


 
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