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芽吹

第4話:七難八苦は我にあり

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 2メートルが入ると部屋は随分窮屈に感じられた。

 ウメちゃんはユウキが普段寝ているベッドに腰かけた。 
 冷蔵庫を開くと缶ビールがあったのでウメちゃんの前のテーブルに置く。
「ありがとう、気が利くねえ」
 銀色の缶はプシュっと炭酸を吐き出した。ウメちゃんは勢いよくビールを飲み始める。
「よければ、どうぞ」
 ウメちゃんの隣で2メートルは立ったままでいた。ビールを飲むような感じはなかったが、とりあえず缶を置いておく。

「しかし、君も勤勉だねえ。海賊に人質にされた後ぐらいは会社を休んでもいいじゃないか」
 ウメちゃんのスーツは船上のものから変わっている。藍色の、いかにも商社に勤めていそうな艶のある生地だった。

「背中と肘がちょっと痛むの以外はなんでもないからね。むしろ仕事に行っとかないと落ち着かなかった」
「会いに来てくれるんじゃないかってウキウキした?」
「ウキウキだ。見ての通り」
 もともと目に活力が無いと言われる。更に顔全体を脱力させた表情は間抜けなものだっただろう。ウメちゃんはベッドを叩いて笑った。
「いいねえ、ユーモアセンスがある人質を捕まえられてよかったよ」

 ウメちゃんは封筒をジャケットのポケットから出してテーブルに投げた。軽くない音がする。
「人質代だよ。一攫千金。千客万来。商売繁盛。落書無用。お受け取りください」
「なんの金かわからない。受け取る気にならないな」
「ええ、そうなの」
 ウメちゃんは封筒から厚い札束を取り出した。
 体が強張る。50万ほどはあるだろうか。それを1枚ずつテーブルに並べていく。
「人質代って言ってるじゃないか。君は務めを果たした。受け取るべきだよ」
「帰るための口実だろう。人質っていうのは」

 ウメちゃんはニヤっと笑った。
「君は本当に人質だったよ。警察に語ってもらった内容の大半に嘘はないよ。目隠しは無かったけどね。もし、あのフェリー船の金持ちを襲うのに失敗してたら、君は本当の人質になるところだった。これは本当のことだよ。そもそもが、君は本当に酔っぱらって船に乗ったと思ったのかい。西日暮里から港までどれだけかかると思うね」

 驚き。それよりもユウキにあったのは納得だった。酒が抜けて冷静さが戻るにつれて、自らが如何にも頓智奇な状況にあったのか不思議に思うようになっていた。
 なぜ、船に乗っていたのか。
 なぜ、仕事に加担させられてフェリーニまで乗せられたのか。
 なぜ、そのまま帰されたのか。
 なぜ、金が貰えるのか。
 
 いや、待てよ。やはりここだけは合点がいかない。金はどういう金なんだ。
「尚更おかしい。金なんて払わないで俺は用済みの人質として忘れればいいじゃないか」
「我々は野蛮人ではないよ。キッチリと礼儀はわきまえてる。金を払うと約束したのだから払うさ。でも、聞いて欲しい話もあるんだ」

 並べられた金はテーブル表面を隙間なく綺麗に隠した。端に置かれた金にウメちゃんが人差し指を置く。
「君にはこれからも働いて欲しい。今度は人質としてではなく、ひとりのメンバーとしてね」
「勧誘も含めて来たってことか」
「そう、でも、決断を待つ時間は惜しい。我々も追われる身なんで」
 ウメちゃんは指をかけていた札をスッと引いたと思うとそれを封筒の中に戻した。
「早いところ話を決めたい。どうするね」
 次の札に指がかけられた。
「待て、なんの仕事をするかも聞いてない」
「今の仕事はしたままで出来るように手配はするよ。心配いらない」
 札がまた封筒へ収められる。
「仕事内容はころころ変わるだろうからなんとも言えないね。どうする」

 ウメちゃんは手を開いてテーブルの上に大きく置いた。その手と指の下にかかっているのは全部で10万から15万程はあるだろうか。
「この分は後ろの巨体の男にあげよう。さあ、どうする。イエスかはい! それかオブリガードか」
 表情を変えないまま2メートルは立ったままだった。しかし視線はテーブルの上に落とされていた。

 普通なら断るべきだった。海賊騒ぎを起こした相手からのリクルート。正気ではない。どんな転職エージェントであっても「あなたの適正業種は海賊です」なんて言ったりはしない。普通に働けている人間がべきじゃない。
 だが、すでにユウキには確信があった。これは選択ではない。圧倒的に立場に偏りがある交渉。優位なのは、ウメちゃんのほう。

「やるよ。断るもんか。やるから金はそのままにしてくれ」
 2メートルの舌打ちが聞こえた。見上げないようにする。
「おっ、男を見せたねえ。君は賢い」
「男もなにもない。協力しなきゃどうなるかわからない。そうだろ」
「賢いオブ・ザ・イヤーをあげたいね。そうだよ。君は人質であり、我々の情報を持つ者だったからね」

 結局、全ての金は封筒に収められてユウキに渡された。中身を確認する。日本の紙幣だ。
「仕事は追って連絡するから。誰かが電話したら絶対に出てね」
 ウメちゃんはビール缶を置いて部屋を出ようとしていた。2メートルが窓から外を警戒する。

「なあ、こういう金ってすぐに使っていいのか。紙幣の番号から足がつくっていうのをドラマで見たことがあるんだけど」
「おおっ、賢いけどアホだね君は。フェリーの金持ちおっさんおばはん達の金の番号を誰が把握していると言うんだい」
 おだてられるうちに少し調子に乗っていたかもしれない。恥ずかしさは取り返しがつかない。

「しかし、当たらずとも遠からずだ。なんにせよ連絡を待っててね」
 そう言い残してウメちゃんは部屋を出ていった。

 刑事の松井のことを言わなかったのにはユウキなりの理由が2つあった。
 ひとつめは、松井との接点を理由にユウキの存在を消されかねないことだった。わざわざユウキのところにまで足を伸ばしにきた刑事がいるとわかれば、余計なことがバレてしまう前にユウキの口を封じようという発想にならないでもないだろう。刑事に情報を漏らしていないと言っても、それを信用してもらえる確証はない。命大事に。黙っておくべきだった。
 
 ふたつめに、残した足が欲しかった。両足でえいやっとウメちゃんたちの仲間入りをするのではなくて、堅気の世界に戻るための地盤が欲しかった。本当にマズいことになった時に松井が居てくれれば逃げやすいかもしれないという打算。これはささやかな保険だった。使わないで済むなら使いたくはない。松井自体がどれほど頼りになるかも未知数であるし、頼る前にユウキの存在はこの世から消えている可能性もあった。

 
 先のことにどれだけ頭を巡らせてもなにも判然とせず、漠然とした不安が残るのみ。
 現在のユウキにとって唯一、圧倒的なリアルであったのは手元の札束だった。強烈な重みがあった。力みなく持てる重量級の現実。金に窮していたわけではない。食うものだって、豪遊できずとも困りはしなかった。
 それでも、50と数万円の魔力は理性を摩耶かすのに十分な金額であったようだ。
 この日、ユウキはなかなか寝付けなかった。不安によるものではなかった。


 連絡が入ったのは3日後となった。集合場所はショッピングモールの第二駐車場。深い夜の注ぐ中となった。
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