ビリジアングリーンの天冠

皆中透

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「渕上、前から思ってたんだが、その万年筆誰かからのプレゼントなのか? この状況でお前が仕事より自分の落とし物を優先しようとするなんて、俺には信じられんのだが」

 課長は目を丸くして俺にそう問いかけてきた。確かに仕事第一の俺にしては、珍しい行動だったのだろう。大切にしているものだとバレてしまうのも無理はない。

「はい。これは仲良くしている友人から、今年の誕生日に貰ったものなんです。彼がずっと励ましてくれていたので、工場との折衝でめげそうだった時もなんとかやれました。その人、いつも俺を支えてくれるんです。そんな人からの頂き物なので、すごく大切にしてるんですよ」

「そうか。それなら、まずは落とさないようにしておかないとな。見つかったから良かったものの、あの場でなくしていたら今後の仕事に影響が出るぞ。秘書の彼に感謝だな」

「はい。明日伺うときに、先方へのお詫びと一緒に、彼の方にもお礼をしようと思います」

 そこでふと気がついた。そういえば、彼の名前はなんだっただろう。これまでずっと対応してくれた方とは、おそらく違う方だ。前の秘書の方は女性で、常務の姪御さんだったはずだ。

「課長、あの方のお名前ご存知ですか?」

「いや、知らないな。今俺もお前に聞こうと思ってたんだ。同族経営の会社だから、大半が脇坂様みたいだけどな」

「そうですね」

 明日も彼は勤務だろうか。

——会えるといいな。

 そう思い、バックミラーを覗き込んだ。

「あ、あの方まだいらっしゃいますよ」

 彼はまだ、あの場所にいた。もう表情は読み取れないほどに離れてしまったのに、まだこちらを見ていた。その目が切なげに揺れているような気がした。そして、ふとあることに気がついた。

——『それだけ大事にしてもらえたら、嬉しいと思いますよ』

「……俺、これが貰ったものだって言ったかな」

 不思議に思い、俺は万年筆を取り出した。

「もしかして、ハルの知り合いなのかな?」

 そう独言ると、天冠のビリジアングリーンが、それに応えるようにきらりと輝いた。



 その翌日、脇坂様主催の社内イベントは大盛況のうちに幕を閉じた。午前中の搬入がギリギリになってしまい、始まるまでの攻撃は凄まじかったものの、終わってしまえばいつもの陽気な方に戻られていた。

「あー無事終わりましたねえ」

「本当だな。社内イベントって言っても、ほぼ親戚の集まりみたいなものなのに、ノベルティまで作るとは、さすが脇坂様だな。楽しませたくて仕方がないんだろう。無事に揃って良かったよ」

 結局当日の配送のドライバーが捕まらず、課長と俺が搬入することになった。うちの会社は今日は休日だ。だから搬入後にはすぐに帰宅しようと二人で約束していた。
 しかし、そこを酒の入った脇坂様に見つかってしまい、結局最後までイベントに参加することになった。
 今ようやくそのイベントが終了し、ようやく帰宅の目処が立った。結局一日勤務したことになり、昨日からの疲労の蓄積で体はボロボロになっていた。

「お二人とも、お疲れ様でした。常務が無理を言って申し訳ありませんでした。よろしければ、これどうぞ」

 昨日万年筆を拾ってくれた秘書の遥さんが、冷えた缶ビールを二本とおしぼりを持って来てくれた。俺と課長は、差し出されたものを考える間もなく手に取ってしまう。それくらい、今日は暑かった。

「ありがとうございます! 遥さん……ってお呼びするように脇坂様に言われたのですが、あなたも暑いのにずっとスーツで大変ですね」

「あ、いいえ。私は仕事用の服をこれしか持っていませんので、仕方ないんです。それと、名前は好きに呼ばれてください。分かりやすいように呼んでいただければ構いませんので」

 そんな風に他愛もない話をしていると、脇坂様が遠くから俺たちを呼ばわる声が聞こえてきた。

「遥、これお前のだろう? 片付けるのに邪魔なんだそうだ。早く飲んでしまってくれないか?」

 達成感に満ちているのか、清々しい表情の脇坂様がこちらへと走って来た。遥さんはその手に持たれているコップを受け取ると、顔を顰めて彼を嗜めた。

「常務、お酒を飲んだ後に走るのはおやめ下さい。危ないですよ」

「何、これくらいなら大丈夫だよ。ほら、お前が飲んでいたお水だよ」

 そう言いながらも、脇坂様はふらついている。聞いたところによると、遥さんは彼の甥にあたるらしい。小さな声で「おじさん、危ないですよ」とちくりと刺す声が聞こえた。

「おお、吉岡さん、渕上くん、ご苦労だったね。今日はありがとう。おかげでとてもいい日になったよ。今度は製品の方でのデザインをお願いしようと思うよ。トラブルに強い会社は頼りになるからね」

「ありがとうございます。そう言っていただけて恐縮です」

 俺と課長は、脇坂様の寛大さに揃って深く頭を下げた。そして、三人で今後のことについていくつか言葉を交わしていく。
 数分が経った頃だろうか、遥さんの様子がおかしくなっていた。放っておいてはいけないような気がしたので、俺は勇気を振り絞って声をかけてみた。

「遥さん? 大丈夫ですか?」

「え? 私何かおかしいでしょうか?」

 おかしいと思いますと言っていいのだろうか。明らかに顔が真っ赤になっている。それに、目もすわっているように見えた。心なしか、体もゆらゆらと揺れているように見える。

「もしかして、悪酔いされてませんか? 顔が赤いですし、ふらついてますよ」

「ええ? いえ、私はお酒は飲んでいませんから……」

 そう言いながら手を振った拍子に、彼の膝がガクンと折れた。そのままでは頭を打ってしまう。俺は咄嗟に彼へ手を伸ばした。

「遥さんっ!」

 ドサっと倒れ込んだ彼の髪が、さらりと流れる。顔が隠れてしまったら体調がわからないと思い、俺はその前髪を掬い上げた。よく見ると頬はうっすら赤いけれど、他は青白くなっている。瞼は苦しそうに強く閉じられていた。

「あの、脇坂様。遥さんもしかして、下戸なのでは……」

「下戸というわけではないんだけれど、今は控えているんだ。だから今日もお酒は飲んでないはずだ。ずっと水を飲んでいたはずだよ」

 驚く脇坂様に、課長が言いにくそうに声をかけた。

「あの、脇坂様。先ほど遥さんが飲まれたもの、どうやらウォッカみたいです。このグラスから強烈なアルコールの香りがします」

 そう言って課長が差し出したロンググラスには、溶け残った氷と共に僅かに残った液体があった。そこからは、クセのないアルコールの香りがふわりと漂っていた。揃えてあった酒瓶を見る限り、間違いなくウォッカだろう。

「ええ、それは困ったね。この子は酔うとすぐに寝てしまうんだ。これがもしそうなら、しばらく起きないかもしれないな」

 脇坂様はグラスを受け取ると、まるで小動物のように狼狽始めた。酔って寝てしまうタイプの人は、きっと何をしても起きないだろう。かと言って会社の敷地内とはいえ、彼を外に寝かせて帰るわけにもいかない。

「脇坂様、よろしければ私たちが遥さんをご自宅までお送りしましょうか」

 課長がそう声をかけると、脇坂様はぱあっと表情を明るくされた。この方は、仕事には厳しいのだが、そこから一歩外れると行動が全て可愛らしくなる。課長も俺も、それを見てしまうと、手を差し伸べたくなってしまうのだ。

「そうですね、そうしましょうか。脇坂様、それでもよろしいですか?」

「もちろんだよ。私が遥を運ぶことは出来ないから……。この子は会社の裏にあるマンションで一人暮らしをしているんだ。タクシーを呼ぶから……」

「いえ、私がおぶって行くので大丈夫です。ここ、タクシー捕まりにくいんです」

 俺はそう言って、課長に手伝ってもらいながら遥さんをおぶった。そして、荷物を課長に持ってもらい、二人で彼の自宅を目指すことにした。

「では、脇坂様。お先に失礼致します」



 背中の成人男性の重みが思っていたよりも軽く、背負った瞬間にかなり驚いた。割と背は高めなのだが、かなり細身だ。抱えた足と掴んだ手首は、簡単に手折れそうなほどに頼りなかった。触れているのに存在しないかのような頼りなさがあって、なぜか守ってあげなくてはならないような気さえしていた。

「えーっと、確か五階だよな。そうだ、エレベーターから一番遠いらしいけど、お前大丈夫か?」

「大丈夫です。なんだかやたらに軽いんですよ。ちゃんと食ってんのかなって心配になるくらい」

 そうして話しながらでも部屋に楽にたどり着けるくらいには、彼は軽かった。

「まあ、そうだろうな。どう見ても痩せてるもんな。とりあえずベッドに寝かせておいたらいいだろうから、そうしておこう。俺は脇坂様に連絡を入れるよ」

「はい」

 遥さんをベッドにおろし、ジャケットを脱がせてハンガーにかけた。シワになってはいけないからと思ってそうしたのだが、さすがに下は脱がせられない。相手はお客さんだ。
 ベルトだけは外しておいた方がいいかと思い、金具に手をかけた。金属の擦れ合う音がして、思わずどきりと胸がなった。仕立てのいいスーツに、上品でシンプルなバックルがきらりと光っている。
 眠っている顔もそれと同じように見えた。艶のある髪と唇が、爽やかながらも色香を感じる。無防備に眠るその姿に、思わず見惚れてしまいそうになった。

「渕上」

 ぼんやりとしていた俺に、課長が玄関から声をかけてきた。手にはスマホを持ったままで、靴を履き直している。

「課長、どうかしました?」

「悪い、家から帰ってきてくれって連絡が入った。産気づいたらしい。先に帰るな。後よろしく」

 そういうと、こちらを振り向きもせずに手を振り、慌てて飛び出して行ってしまった。
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