ビリジアングリーンの天冠

皆中透

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「これ……。傷跡?」

 俺の胸には、二つの大きな手術痕がある。そして、この下着の中にも、同じような秘密が隠れている。
 二十歳の時から十年をかけて、ゆっくりと体を作り変えてきた。そうすれば、必ず幸せになれるんだと、若い俺は信じて疑わなかった。

「手術痕だ。大学を出てすぐに胸を取ったんだ。そして、その三年後に生殖機能を失うための手術は全部終えた。それから体を鍛えて、今がある」

 俺は怖くて祐輔の顔が見れなかった。
 俺は男だ。そして、ゲイだ。でも、生まれた時は女だった。いつか必ず男になるんだと心に決めて、その夢を叶えるために生きてきた。
 きっと祐輔は、叔父の話をヒントにして、その答えに辿り着いてここへ来たんだろう。驚いてはいるけれど、全く予想しなかったというような反応じゃない。

「じゃあ、課長がお前の会社に行ってた頃の女性秘書って、もしかして……」

「俺だよ。驚いた? ……もう、好きじゃいられないか?」

 言わなくてはならないとはいえ、そう口にしてしまうと、涙がまるで滝のように流れ始めた。嗚咽が止まらなくて、子供のように泣きじゃくってしまう。

「俺、お前に抱かれて嬉しかった。でも、いつかこの体を見せる時が来て、やっぱり無理だって言われたらどうしようって思ったら、辛くて……。逃げたんだ」

 祐輔は泣きじゃくる俺の涙を指で拭い、頬に優しく口付けてくれた。そして、そのまま唇に触れてくれる。柔らかくて温かいそのキスは、俺の存在を許してくれるような気がした。

「ハル、ごめん。すごく泣いてるから、色々覚悟してたんだろうけれど……。俺、全く気にならない。傷跡が痛そうだなとかそういうのはあるけれど、何を気にしたらいいのかもわからない」

「いやだって……お前、ゲイだろう? 俺の体は元々女なんだ。胸は取って鍛えればなんとかなるけど、下はどうにもならないんだよ。ゲイに女は抱けないじゃないか」

 俺はまだ全てを祐輔に見せることが出来ているわけじゃない。下着に手をかけてはみるものの、どうしてもそれを下げる勇気が湧かない。そこだけはどうしても見せたくなかった。

「ハル、もういいよ」

 祐輔はそう言って、俺の手を掴んだ。それがなんだか決別の言葉のように聞こえて、思わずその手を掴み返した。

「い、いやだ! いなくならないで! 俺、お前のことが本当に好きなんだ!」

 俺は必死になって喚いた。生まれついての男なら、こんな風にはならないんだろうか。紛い物の男だからこんなにみっともない真似をするんだろうかと思っていると、喚いている口が優しく塞がれていった。

「んんっ」

 そのままベッドに倒されていく。マットレスが柔らかく沈み、強く抱きしめられた。

「胸、見せてくれてありがとう」

 ぎゅっと締め付けられる力に、幸せを感じた。その圧力は、想いの強さに比例しているように感じた。嬉しい、ただそれだけを感じられた。こんなことは、生まれて初めてだった。

「俺が下を見なかったら、抱いてもいいのか?」

 そう言ってさらに強く抱きしめられた。その体は震えている。祐輔だって、予想がつかないんだろう。俺たちがこれから先どうなっていくのか、そんなことは誰にもわからない。

「うん。でも、いつか興味を無くされそうで怖いんだ。他の男の方がいいって言われそうで、それを考えると堪らなくなるんだよ」

 俺がそう言うと、なぜか祐輔は笑った。それも大きく噴き出すようにして笑っている。まさかここで笑われるとは思っていなくて、俺は驚いてしまった。

「何笑ってんだよ。ここで笑うってどういう神経してるんだ」

 思わず声を荒げた俺を、祐輔は頭を撫でながら宥めてくれた。そして、柔らかくて甘い視線を俺に送り、「ばーか。そんなの誰だって同じだよ」と言った。

「男女のカップルが結婚しても、同性愛者がパートナーシップ宣誓しても、いつかお互いに興味が無くなる日が来るかもしれないっていう恐怖は、誰にでもある。それはみーんな同じ。子供を産んだ人たちはまた少し話が違うかも知れないけれど、俺はゲイだろう? そもそもいつか制欲が無くなったら、相手とどうやってつながっていけばいいのかとか、そういう悩みはいつだってあったよ」

「……じゃあ、俺のこと愛せるの? あ、今だよ。先のことは考えないとして、今愛せるって言い切れるのか?」

 祐輔のスーツのラペルを握りしめて、思い切り引き寄せた。目の前に迫った愛しい男の顔を見つめて、俺はただ返事を待つ。すると彼は、とびきり優しくて甘いキスでそれに答えてくれた。

「愛してるよ、遥。そのままでいいから、いつまでも俺のものでいて」

 信じられなかった。
 性自認と性志向が理解しにくいと言われて来た俺に、こんな幸せが訪れる日が来るなんて思ってもいなかった。
 いくら性別を適合させるとは言っても、それはステレオタイプの男になれるということと同じじゃない。
 それでも、祐輔は愛してくれるという。このままでいいと言う。

「お、俺のこと、このままでいいって思ってる? 俺にとっては今の状態がありのままに近いんだ。でも、他人から見たらそうじゃ無いだろう? 手を加えて、作り物だと言う人だっている。それでもいいのか?」

 その問いかけに、祐輔は大きく頷いた。そして、ポケットに入っていた万年筆を取り出す。

「これ、天冠の色がビリジアングリーンになった理由なんだけどさ。俺なりに調べたんだよ」

 そう言って、キャップを開いた。そのペン先を俺の指に当てる。

「ビリジアングリーンは、何かと何かを混ぜて作り上げるのが難しい色なんだよな。つまり、それそのものが特別な色ってことだ。万年筆の天冠は、一番よく見える場所だ。そこにこの色を選んだのは、この万年筆は特別なものだってことだろう? 俺がお前にとって特別で、俺にとってのお前もそうであってほしい……ってことかなと思ったんだけど、どうだ? 合ってるか?」

 そう言いながら俺の指をペン先でくるりと囲んだ。ペン先から滲んできたのは、ビリジアングリーンのインクだった。俺が選んで贈った、何物にも変え難い色。鮮やかな青緑が俺の指を周り、まるで指輪のように見える。
 特別な万年筆の特別な色で描かれた、特別な指輪。それが描かれた左手の薬指に、祐輔はそっと口付けてくれた。

「大切にするよ。ハルがずっとそうしてくれたように。俺たちだけの関係を作っていこうよ。な?」

 そう言って抱きしめてくれた祐輔の腕の中で、俺はただ泣くことしか出来なかった。

「じゃあ、俺にこの逞しい体を可愛がる許可をくれますか? もちろん、嫌なことはしないし、見て欲しくないところは見ないから」

 そう言って、愛おしそうに俺の体に手を滑らせていく。触れてくれる度に胸が高鳴って仕方ない。こんな気持ちをくれる人に、愛されたく無いわけがない。

「……いつかは全部見せられるように頑張るから」

 その言葉に、祐輔は微笑んだ。

「うん。ずっと、ずーっと待ってる」

 俺の大好きな声が、俺の意思を尊重してくれる。その有り難さと嬉しさに、幸せを噛み締めて、俺は何度も喜びの涙を流した。
 
(了)
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