ハジメとイノリ

皆中透

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「こないだの通り魔事件、警察の到着が早くて、怪我人少なくて済んだんだってな」

 終業間際のカウンセリングルームにコーヒーの香りが漂う。同僚の相原が、ホットコーヒーで満たされたマグカップを二つ手にして俺のデスクへとやって来た。
 ふわりと漂う香気の中には、ピラジンが多い。それが香ばしさを神経に伝える。深煎りの豆はセンチネルには刺激が強いと言われているが、俺は割と好きな方だ。相原はそれを分かっていて、いつも深煎りの豆で淹れたものを買って来てくれる。さすが、モテる男は気配りがいい。

「通り魔って、三日前のやつか?」

 まるで何も知らないかのように驚いたふりをしながら、俺はそう返した。相原はそんな俺の目をじっと見つめながら、ふっと短く息を吐く。その音の中には、僅かな侮蔑が含まれていた。

「そう。あの犯人って、前に一度ここに相談に来たミュートの人だったよな。何の能力もない自分だって努力してるんだから、その分をきちんと評価して欲しいって喚いてた営業の人。俺たちに飛びかかりそうなくらい憎しみ持ってるのに、めちゃくちゃ頼ろうとしてただろう? それなのに、あの後来なかったからさあ。結構心配してたんだ。まさかこんなことになるなんて」

「……そうだな」

 素知らぬ顔をしてコーヒーを啜る俺を見ながら、彼は諦めたように長いため息を吐いた。

 三日前のこの時間、駅前の大通りで通り魔が発生した。犯人曰く、真面目に働いて来た自分を雑に扱う世の中なんて、なくなればいいと思っての行動だったらしい。
 だからといって数人の人を襲ったところで何になるのか。そんなに短絡的で凶暴だから、評価されなかったに決まっている。
 今や会社が社員評価をする際には、センチネルを雇って面談に同席させるのが一般的だ。その時にいくら嘘をついても、表情の奥を読まれて見抜かれてしまう。それを甘く見てしまったのだろう。

——あの人、プライド高かったからな。

 クライアントに気に入られるために必死だった彼は、精神を病む寸前で相原のもとに相談に来た。
 大口の取引を抱えているが、相手が意図的に心を閉ざしており、その扉をこじ開けたいのだと言っていた。そそのために相原に交渉の様子を記録した動画を見て欲しいと言ったのだ。
 しかし、正義感の強い相原は、いつもそういう営利目的の依頼を断っている。国に雇われた俺たち心理カウンセラーのセンチネルには、治療以外の事に力を使うことが禁じられているからだ。それを忠実に守っている彼は、臨床で個人的な契約をする事を認めていない。

「気になってたなら、助けてやればよかっただろう?」

 俺がそう言うと、相原はムッとした顔で

「いや、それは出来ない」

 と言って俺を睨みつけた。

 その犯人は、闇で取引をしていた俺のクライアントだ。相原のカウンセリングの後に隣の俺のカウンセリングルームへと乗り込んできたこの男を、俺が拾ってやった。
 相原はその事を知っている。この事件の根幹に俺が関わっている事に、気がついているはずだ。

「急に出世とかしてたからさあ、色々うまく行ってたんだと思ってたんだよ」

「へえ、そうか。まあ、お前は断ったんだし、もともとあの人が失敗しようが落ち込もうがどうでも良かったんだろう? あの人の未来よりも規則を守る方が大事だと思ったんだから、仕方ない」

「それは、……そうだけどさ。嫌な言い方をするなよ」

 俺も最初は面白いと思って真面目に協力していた。
 新しく建売りする住宅の建設予定地を視察する時に同行し、その地質を見る手伝いをした。未来を読む能力は無いから目の前のことだけを伝えて行ったのだけれど、それだけでもかなりリスクを攫う手伝いが出来た。
 しかし、俺はこの能力を保つために色々と苦労しているのに、相手は俺から情報を聞き出すだけだということに、だんだんと納得がいかなくなった。
 しかも、相手はかなり評価が上がって稼ぎが上がっていたのに、俺に支払う報酬はずっと横ばいだった。それがどうにも気に入らなかった。

 センチネルが能力を使えば、ケアが必要になる。しかし、違法行為を行っている俺には、正規のガイドへケアを依頼することが出来ない。
 ただ、俺はセンチネルにもガイドにも一定数だけ存在する「レアタイプ」と呼ばれる希少種で、ゾーンアウトしない限りセルフガイディングが可能だ。この男と契約している間は、ずっと自分でケアを続けて乗り切っていた。
 ただ、それもあまりに続くと効果が出にくくなる。その事で苦しむようになり、急に全てが馬鹿馬鹿しくなった俺は、この男に一泡吹かせる事にしたのだ。

「なんかライバル会社の担当に、社内恋愛をバラされたくなかったら取引から手を引けって脅したんだってね。しかも人前で。ちょっと信じられないっていうか、公開で脅迫してるし、そもそも秘密もバラしちゃってるし……」

「そうらしいな」

 俺はコーヒーの香りを鼻から息を抜きながら、「バカだよなあ」と呟いた。それを見て、患者様のコロンと丸いフォルムの一人がけのソファに座った相原が、眉間に皺を寄せる。

「お前、何とも思わねえの? あの人、それがきっかけで契約が全く取れなくなったんだろう? それまでは安全性に考慮した住宅を売るって評判良かったのに、評価が地に落ちたらしいんだ。可哀想だとは思わねえのか?」

 きっと相原は何か尻尾を掴んでいるんだろう。確信を得た表情で、真っ直ぐに俺を見ていた。相原も俺よりはレベルが低いとはいえセンチネルだ。表情を見抜かれるのと追及されるに決まっている。そうなると厄介だ。

「思わないね。元々頭が悪かったんじゃ無いか? いちいち気にしてたらやって行けねえよ。それに、何度も言わせてもらうけど、そんなに気にするならお前が助けてやれば良かっただろう? 何もしないくせに綺麗事だけ言ってんじゃねーよ」

 そう言って、彼の背中をそっと叩いた。

 本当に有能なやつなら、自分がつかまされた情報の有益な利用方法くらい、簡単に気がつけるはずだ。それなのに、あの男は全くそれが出来なかった。それは、これまで身の丈に合わない高評価を受けていたという事を、自ら証明する事になってしまったのだろう。

 つまり、あの男のそれまでの成功は、俺の助けがなければ成り立たなかったわけだ。それにも関わらず、俺を蔑ろにした。だから、潰れて当然なのだ。
 それを、世の中が間違ってると言って通り魔を起こすなんて。愚かにも程がある。

——まあ、俺にはもう関係ない話だけど。

 俺は情報を提供して、相手がそれの扱い方を間違えた。いつまでもあの男に関わったことを覚えていても、良いことはない。早く忘れて、次の獲物を探すことに集中した方がいいに決まっている。

「通り魔になる程病む前に、もう一度うちに相談に来てくれたらいいのに。その時はちゃんと治療になるんだから、俺も引き受けるのにな」

 相原はそう言ってため息を吐いた。
 こいつは義理人情に厚く、優しくて親切だと呼び声の高い、優秀なカウンセラーだ。これまで、自殺寸前でそれを回避され、助けられた人は星の数ほどいる。
 それだけのことを成し遂げていても、国に雇用されたカウンセラーであるため、慎ましい生活をするほどにしか稼ぐことはできない。それでも、一切の不平不満を言わないような、稀有な人材だ。

「お前、本当に人がいいよな。どれだけ善行を積めば気が済むわけ?」

 俺が呆れてそう返すと、彼は穏やかに笑って見せた。

「できれば死ぬまでに心がキラッキラに輝くような人になりたいんだよね」

「なんだそりゃ。神にでもなる気かよ」

「あっはは。いいね、それ。俺は神を目指すよ」

 俺の腹黒さを知っているはずの男は、そう言いながら手を組んで祈るふりをして見せた。

「あっ! そうだ、忘れてた。なあハジメ、お前今日何か予定ある?」

 突然話が変わった。俺の目の前でお祈りのポーズをとったままの相原は、目の奥から一切の感情を捨てたような視線を俺に向けている。仕事の後に楽しい事に誘うにしては、目が死んでいる。何かを企んでいるのだろうか、そう思いながら俺は思わず警戒した。

「いや、別に無いけど」

 そう答えると、相原の表情がぱあっと一度に光度を増した。何がそんなに嬉しかったのか、細胞が一つ一つ活性するように輝き始めている。

「本当か? 無いならこれに付き合ってくれねえ? これに行きたいんだけど、一人じゃちょっと怖くてさ」

 そう言って、相原は一枚のフライヤーをポケットから取り出した。

 そこには、真っ黒な背景の中で、色とりどりの衣装を着た人物が舞い踊っている姿があった。そして、その人物を取り囲むように光の球が配置され、幻想的な雰囲気とダンサーの強い視線がドキリとさせる魅力を放っていた。

「……即興舞踏? へえ、即興で踊るのか。音楽も即興? すごいな。なに、お前こんなの見るの? 一緒に行くのはいいけれど、俺には理解できないかもしれないぞ。人混みに行くなら制御装置をつけるから、ミュートより感覚が落ちるだろうからな」

 即興で何かをやる芸術系の人は、純粋にすごいと思う。あの体から放出されるエネルギーが生き物のように舞い上がるのが見れるのは楽しい。
 ただし、その芸術性を理解出来なくて反応に困る事が多い。そして、センチネルである俺には、暗闇の中で複数のライトと集団という演出がかなり厳しいものがある。ただし、それは相原も同じはずだ。

「行ってみたいのは行ってみたいけどなあ」

「あ、そっか。ライトとかダメなんだっけ? サングラスとかしてれば大丈夫だろ? どうしてもお前に見せたいんだよ、このイノリくんのダンス」

 相原はそういうと、フライヤーの中で踊る人物を指でくるくると指し示した。
 その彼は、細い体を後ろにそらして回転しているようで、長めの髪や衣装をふわりと靡かせていた。
 ただ、その表情の中にはなんの意思も感情も含まれていなくて、俺には彼の考えを読み取る事が出来なかった。表情は雪深い森のように静かで音が無く、まるで彼に意思が存在しないかのように見えた。
 反して体には大きな熱の移動の痕跡が浮かんでいて、表情には乗せられていない情熱は、全てその動きに乗せられているのだろうということが窺える。

——不思議だな。

 思わず吸い寄せられるようにして、しなやかに舞う彼の体へと手を伸ばしていた。

「気になるだろう?」

 その言葉に我に返りぱっと手を引くと、相原はニヤニヤしながら俺を見ていた。

「この人を見せたいのか? 確かに不思議な雰囲気を持った人だよな。普通なら写真でもなにを思ってるのか大体わかるんだけど、この人からはなにも感じ取れない」

 するとアイハラは、ニヤリと悪どい笑いを浮かべた。そして、なぜか得意げに「そうだろ?」と言う。

「なんでお前がそんな顔をするわけ……」

「イノリくんな、信じられないほど純粋なんだよ。純粋っつうか、純真無垢。汚れを知らないのよ。そういう子と対面した時、お前みたいな腹黒なセンチネルはなにを思うのかなって思ってさ。それが知りたくて」

「……お前、俺のことなんだと思ってるんだよ」

「え? 自分さえ良ければ良いと思ってる、腹黒センチネル」

「……うわ、ひっでえな」

「でも、否定はできないだろう?」

「うっせえ」

 そんなやり取りをしていると、終業時間が来た。俺たちは揃って机の上を片付け、帰り支度を済ませる。白衣を脱ぎ、バッグを持って外へ出る頃にも、まだ相原との貶し合いは続いていた。

 確かに俺は同僚の間でも腹黒くて有名だ。自分が楽をして生きていくためには、周囲の人間などどうなっても構わないと思っている。

 昇進するためにクライアントを利用するし、性欲の解消のためだけに同僚を抱いたりする。同時に複数の人間と関係を持ったことで、何度か修羅場を経験したりもしていた。

 それでも、誰よりも読み取り能力に優れているからか、事務所ごとの成績を確保するために、クビにされることも無かった。追い出されるのは、いつも相手の方だ。

「お前なんて一度痛い目見ればいいんだよ。いっつもいい思いばっかりしやがって」

 そう言って、俺の手を引く。そして、

「ほら、いくぞ」

 と言いながら、繁華街の方へと駆け出した。

 夕暮れの空の下、相原の薄茶色の髪がオレンジ色に光っている。俺はその後ろ姿を見ながら、心臓が調子外れに跳ねるのを感じていた。

——浮かれるな。

 そう言い聞かせるようにして、空いてる方の手でそこを抑えた。
 胸の中には、淡い思いを抱えている。それでも、俺のような奴はこの思いを叶えようとしてはいけない。ずっとそう思って過ごしてきた。

「イノリくんに会えば、お前みたいな最低なやつでもきっと変われるからさ」

 そう言って息を切らす笑顔を見て、胸が詰まる。顔が赤くなるのは、夕焼けのせいできっとバレてはいないだろう。

「全く……そんなこと言いながら、お前がいつもかげで誤解解いてくれてんの知ってんだよ、ばーか」

 相原はとてもいい人だ。だから、俺が周囲に嫌われるたびに、俺には知られないようにしながら色々とフォローをしてくれていた。
 何の見返りも求めず、俺がそれを知っていることにもあえて触れて来ない。

「じゃあ、恩返しだと思って付き合えよ。ほら、もっと早く走れ!」

 本当に神か仏のようなやつだ。こんな俺が言っても信用ならないかもしれないけれど、自信を持って善人だと言えるタイプの人間だ。

——仕方がない、付き合ってやるか。

「……仕方ねえなぁ」

 俺は一つ長く息を吐くと、相原と繋いだ手にギュッと力を込め、オレンジ色の街中を息を切らして走り抜けた。 
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