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第1章 Side 珠喜
第2話 迷い込む 後編
しおりを挟む「ない……マンションが」
横浜駅から歩いて20分ほど。目の前にそびえる高層ビルを見上げ、アタシは絶望した。コンビニ騒動の後、自宅が存在するかどうか確認しようとマンションが立つ場所までやって来たのだ。立ち去ろうとしていた彼を咄嗟に引き止めて。
「残念だったな。まっ、あっちの世界から来た人間にはありがちなことだ。じゃ、俺は帰るから」
しかめ面でそう言うと、彼はまたしても立ち去ろうとした。アタシは彼の腕を掴んだ。
「ちょっと待ってよ!あんまりじゃない?年頃の女を一人にするなんて!」
「年頃の女って、自分で言うか?普通」
「アタシはこういう人間なの!」
「……お前、変なヤツだな。分かった。じゃあ、いくらか金やるからその辺のホテルにでも泊まっとけ」
彼は財布から数枚のお札を出して差し出した。アタシは黙って首を横に振った。
「いらないのか?一人で何とかする気になったってか。さっきは一人にすんな、なんて抜かしてたのに。コロコロと気が変わる奴だ」
呆れたような顔をして財布にお札を戻そうとしたその手をアタシは掴んだ。
「お金はいらない。あなたの家にしばらく泊めて欲しい」
「はぁ?!見ず知らずの女なんか泊める訳ねぇだろ!」
「どうして?お礼は沢山するから……」
彼の胸元に体をグッと寄せ、わざと上目遣いで言った。掴んだままの彼の手を両手で優しく包み込み、薄手のワンピースの胸元にさり気なく寄せる。彼の目には深い胸の谷間が見えているはず。案の定、彼の手から財布とお札が落ちた。見るからに動揺している。さっきまでの面倒臭さそうで偉そうな表情は崩れ、頬を赤く染めていた。
「お、大人をからかうんじゃねぇよ!」
「からかってない。だって、あなたはとても素敵だから。ね、いいでしょ?」
更に体を寄せ、上目遣いで畳み掛ける。彼は目を丸くして咄嗟にアタシから顔を背け、空いてる手で顔を覆った。指の隙間から見える頬が真っ赤に染まっていた。あまりに素直な反応が可愛らしく胸がキュンとなった。
(さっきまでツンツンしてたのになにこのギャップ……!)
彼はしばらくすると大きく息を吐いてアタシに向き直り、そっと手を払った。
「……仕方ねぇな。家に泊めてやる。だが、その……お前に手は出さない」
「どうして?アタシは構わないよ?タダで泊めてもらうのは申し訳ないし」
「お、お前、まだ若いんだろ?自分の体は大事にしろ。俺は別に見返りなんて求めねぇから」
しばらく彼を見つめた。心配そうにアタシのことを見つめている。その表情に胸がまたドキドキした。足元に落ちている財布とお札を拾い、差し出しながら言った。
「ありがとう!あ、アタシは夏目珠喜。好きなように呼んで!」
彼はほんの一瞬だけ目を丸くした。でも、すぐに表情を戻すと静かに口を開いた。
「俺は小泉賢弥だ」
――――――
小泉さんの自宅はすぐ近くのタワーマンションだった。でも、元の世界の同じ場所にそのマンションは存在しない。言語以外は一見同じようだけど、よく見てみると微妙に違うのだということが分かる。
部屋は最上階だった。玄関を入って短い廊下を抜けて扉を開けると、正面に大きな窓。その脇には大きな観葉植物。右側はカウンターキッチンになっていて食事用の小さなテーブルの上にノートパソコンが置いてある。何より目を引くのは左側の壁が一面大きなスクリーンになっていることだ。その前には大きなソファと小さなテーブルがあり、脇には高そうなスピーカーと大きな棚。中には映画のBlu-rayがぎっしりと詰まっている。モノクロで統一されたシックな家具がきっちりと並べられたキレイな部屋。だけど、女っ気はまるでない。
「これホームシアターじゃん!小泉さん、映画好きなの?」
「まぁな。その辺に座って適当に寛いでくれ」
小泉さんはキッチンに行き、コーヒーメーカーのスイッチをオンにした。
「意外と部屋キレイなんだね。もっと散らかってるの想像してた」
「俺をどんな人間だと思ってんだよ」
「だって小泉さん、めちゃくちゃ口悪いしぶっきらぼうだから」
「それと部屋が散らかってんのとどういう関係があんだよ」
「部屋がキレイな人って、優しくてニコニコしてる人が多いじゃないですか~」
「それはお前の勝手なイメージだろ。つーか、さっき俺のこと『とても素敵』とか言ってたじゃねぇか。あれ、嘘だろ?」
仕掛けた時のアタシの口調を真似しながら小泉さんは眉をひそめて言った。口元を緩めて静かに彼に歩み寄ると、上目遣いでわざと甘えたような声で言った。
「嘘じゃない。小泉さんは本当に素敵な人。めちゃくちゃ口悪くてぶっきらぼうでも、アタシのこと心配してくれてるんだって分かるもん」
「だ、だから!大人をからかうなっつってんだろ?!」
「からかってない。アタシ、小泉さんのこともっと知りたい」
「……っ!」
彼は更に顔を真っ赤にして固まってしまった。やがてハッとすると、慌てて口を開いた。
「げ、玄関入って左が寝室、右がトイレと風呂だ。シーツとかは取り替えるからお前は寝室で寝ろ。俺はそこのソファで寝るから」
「えっ、アタシはソファでいいよ?」
「ソファはベッドにもなるから問題ねぇ。お前は黙ってベッドで寝ろ」
まさかのツンデレ+俺様のダブル攻撃。アタシはますます彼に好意を抱いたのだった。
――――――
「攻治さん、いや、離して!」
二人きりの部屋。攻治さんに腕を掴まれ、アタシは飛び起きた。一瞬、見慣れない部屋の様子に戸惑った。黒いカーテンの隙間から差し込む光。大きなベッドにふかふかの布団。そこでようやく自分の置かれている状況を思い出した。
「そうだ。昨日パラレルワールドに……」
気付くと全身汗びっしょり。パジャマがないからと小泉さんに借りた大きな白いTシャツは少しべたついている。昨日、シャワーを浴びた後、どっと疲れてしまい食事もせずに眠ってしまったのだ。
とりあえず汗を流そうと部屋を出た。すると、玄関で靴を履く小泉さんと目が合った。昨日のラフな服装からは一転、紺色のシャツに黒のスラックス。かっちりしていてかっこいい。
「小泉さん、おはよう!お仕事?」
「ああ。よく眠れたのか?」
「おかげさまで!汗流したいんだけど……シャワー借りてもいい?」
小泉さんは頷くと、ドアが開いている脱衣所を指差して言った。
「タオルは近くの棚にある。あと着替えがないだろうから俺ので良ければ着ろ。着られそうなやつをリビングのテーブルの上に置いといたから。洗濯もしてもらって構わない」
「分かった!」
小泉さんは一瞬アタシの胸元から腿に目をやって、慌てて逸らした。
(ヤバい。ブラもつけてないし、下なんかパンツしか履いてない。すっかり忘れてた……でも、パンツはシャツに隠れてるからまぁいっか!)
口元を緩め、首から胸に掛けて落ちている長い髪をさり気なく掻き上げると、小泉さんは真っ赤になった顔を逸らしながら言った。
「か、帰ったら買い出し行くぞ。必要なもの沢山あるだろうから」
「えっ、いいの?」
「あ、ああ」
「やったー!」
「そ、それより……は、早くシャワー浴びて着替えろ。いいな?」
小泉さんは慌ててそう言うと、一度もアタシに顔を向けることなく家を出て行った。
「いってらっしゃい!」
既に閉まったドアに向かってアタシは手を振った。
「ふふっ、小泉さん。めちゃくちゃ真っ赤になってた」
自分の服を洗濯機に入れてスイッチを押した。シャワーを浴び終わってリビングに行くと、キッチン脇のテーブルの上に洋服が数枚綺麗に畳んで置いてあった。その中からスウェットを選んで着た。少し大きいから手足の裾と袖を捲り上げた。
お腹が空いたのでキッチンを覗くとカウンターの上にラップがかかった皿が置いてあった。トーストの他にグリーンサラダ、目玉焼き、ベーコンとウインナー、それからヨーグルト。料理なんて全くやらなさそうに見えるのに。ましてや朝食なんて食べないか、食べても牛丼チェーン店の格安朝食で済ましていそうなイメージだ。机の上にはいかにも走り書きしたような字で「冷蔵庫の中のもの食べて構わない」と書かれたメモ。思わず笑みが溢れた。
「ふふっ、字汚い……」
冷蔵庫を開けてピッチャーに入ったアイスティーを取り出すと、彼が用意してくれた朝食を味わった。焼き上がったばかりのトーストにかじりつきながら昨日のことを思い返した。小泉さんはピンチを救ってくれた。家に泊めて欲しいと言ったのはアタシだけど。洋服や日用品など不足しているものが沢山ある。特に下着の換えがないことが何よりもきつい。口は悪いしぶっきらぼうだけど、彼はとても気が利く。
「小泉さん、何の仕事してるんだろ。あの格好だとリーマンかな。それにどうやってこの世界に来たんだろう……?もしかして優しくしてくれるのってそのことと何か関係がある……?」
言葉が通じないこの世界で同じ日本語を話せるということは……。懐かしいと言っていたから元は同じ世界にいた人なのだろう。
「帰って来たら色々聞いてみよう」
洗濯機が鳴ったので洗濯物をカゴに入れた後、リビングのカーテンを開けた。最上階のこの部屋からは横浜の街並みが一望できる。まさに絶景だった。遠くには赤レンガ倉庫、山下公園、ベイブリッジといった横浜の名所と海が見え、太陽の光で海面はキラキラと輝いていた。
一見すると元の世界と変わらないように思える。でも、よく見てみると看板の見慣れない文字や見覚えのないビル、建物が目につく。
「やっぱり違う世界なんだ、ここ……」
ため息をついて窓を開けた。今が一体何月なのか分からない。でも、ポカポカな陽気からして春頃なんだろう。昨日着ていた薄手のワンピースがちょうどいいくらい。ベランダには既に小泉さんの洗濯物が干してある。昨日着ていたものだ。その隣に自分の洗濯物を干した。側から見たらカップルが同棲しているようにしか見えないだろう。
「まさか違う世界から来た人間が住んでいるなんて誰も思わないだろうな……」
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