パラレルワールドで愛を問う

松本ダリア

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第2章 Side 小泉

第3話 おかしな彼女 前編

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仕事を早く終わらせ、会社を出ると俺は走った。何故こんなに急いでいるのか自分でもよく分からない。だが、あいつのことが気になって仕方がなかった。自宅マンションのエレベーターを上がり、部屋に駆け込んだ。が、思わず拍子抜けしてしまった。ソファで彼女がスヤスヤと寝息を立てていたからだ。

「……呑気のんきに昼寝かよ」

ダークブラウンの長い髪はソファからつややかに流れ落ち、伏せたまぶたにはブラウンのアイシャドウ。長いまつげは綺麗にカールされ、少しだけ開いている形の整ったふっくらした唇はほんのりピンク色をしており、微かな色気があった。不意に胸が高鳴り、慌てて首を横に振った。

(何考えてんだ俺は……)

気持ちを切り替えて呼びかけた。

「おい」

起きない。

「おい!」

うーん、と うなりながら寝返りを打つ。だが、まだ起きない。

「おい!起きろってんだよ!」

「……っ?!」

ようやく飛び起きた。彼女は酷く驚いた顔をした後、俺の額に汗がにじんでいることに気づいて言った。

「もしかして走って帰って来たの?」

「ああ」

「……アタシのために?」

「はぁ?んな訳ねぇだろ。さっさと買い出し行くぞ。準備できてんのか?」

「ちょ、ちょっと待って!まだ着替えてない!」

「化粧はしてんのにまだ着替えてねぇのかよ……」

彼女は慌てて飛び起き、窓を開けて干しっぱなしのワンピースを引っ掴み、急いでスウェットの上を脱いだ。その途端、今にも下着からこぼれ落ちそうな豊満な胸があらわになり、俺は慌てて目を逸らした。

「な、何でここで着替えんだよ!」

彼女はハッとした。俺をまたからかっているのかと思ったが、そうではないようだ。慌てて胸元を両手で隠しながら声を上げた。

「見ないでよ!ヘンタイ!」

「お、お前が勝手に脱いだんだろうが!」

俺は慌てて後ろを向いた。顔が酷く熱い。もしかしたら真っ赤になっているかもしれない。

(良い年して女の裸に狼狽うろたえるとは……最近はすっかりご無沙汰だからか……)

――――――

横浜駅に向う途中、彼女がふと空を見上げた。そこには二つの三日月が浮かんでいる。

「小泉さんも元々はアタシと同じ世界にいたんだよね?」

「ああ」

「何でこの世界に来たの?」

その時。長い間、心の奥にしまっていたまわしい記憶が蘇りそうになり、再び押し込んだ。できれば思い出したくない。

「……まぁ、色々あってな」

自分でも思い出したくないことを人に打ち明けるなどとても出来そうになかった。ましてや会ったばかりのこんな軽い女に。彼女は不思議そうな顔をしていたが、それ以上は何も言わなかった。

駅には向こうの世界と同じく地下街が広がっている。だが、歩いてみると微妙に違っていることが分かる。

「何キョロキョロしてんだ」

「なんか変な感じがするんだもん。慣れないから」

「その内慣れる。とりあえず先に服か?」

「うん」

財布から札を何枚か取り出し、彼女の手に握らせた。

「レジでこれを全部出せ。そうすれば買える。俺は店の外にいるから何かあったら俺を呼べ」

「分かった!」

彼女は何軒かの服屋の前をウロウロした後、ある店の前で立ち止まり俺に目配せをして店内へ入って行った。女の服はよく分からないが、客の年齢層を考えると、対象は10代から30代ぐらいだろうか。値段はかなりリーズナブル。

彼女のワンピースやバッグは有名な高級ブランドの物だ。普段は高価なブランド品を身に着けているに違いない。だが、安価な店に入ったということは、俺に気を遣っているということだろう。意外と礼儀をわきまえた女なのかもしれない。少し感心していると、彼女が嬉しそうな笑顔を浮かべながら店の袋を下げて出て来た。

「ありがと!言う通りにしたら買えた!」

「そうか。次は何だ?」

すると、彼女は俺に体を寄せると上目遣いでわざとらしく甘くささやいた。

「……下着、一緒に選んでほしいな」

上半身にさりげなく押し当てられた柔らかな感触。視線の先にあるのは深い谷間。俺は慌てて彼女から離れながら声を上げた。

「ば、馬鹿かお前は!一人で選んで来い!」

「ふふっ、冗談に決まってるじゃん。もしかしてエロいこと考えた?小泉さんてばやっぱりヘンタイ~!」

「う、うるせえ!……いいから早く行けよ!」

「はいはい、分かりました~!」

彼女は楽しそうに笑うと、手を振りながら店の中へ入って行った。買い出しを終えた後、レストラン街で少し早めの夕食をることにした。

「何が食いたい?」

「うーん……全部気になる!」

「そういう答えが俺は一番嫌いだ」

「ええー?じゃあ、逆に小泉さんオススメのお店は?」

「……蕎麦屋も美味いし、あの洋食屋も良いな」

「結構色々な店行ってんじゃん」

「ああ、仕事の後に夕飯食ってから帰ることもあるからな。よし、あっちの定食屋だ。行くぞ」

それは古くからある昔ながらの店だ。レストラン街にしては珍しい和食メインの定食を出している。

「この店、元の世界にもあるよ。気になってたんだけど入りにくくて。だって、男の人とかお年寄りの中にアタシみたいな若くて可愛い女の子が入って来たらみんなびっくりしちゃうでしょ?」

彼女はワンピースのすそひるがえしながらわざとブリっ子をするように言った。

(面倒くせえ……)

「……お前、いつもそんな感じなのか?面倒臭いとか絡みにくいとか言われねえのか?」

「別に?カレシはいつも喜んでくれたよ?可愛いって」

(こんな奴にも恋人がいるのか……。まぁ確かに可愛い顔をしてるし、スタイルも良いが……)

「何その『こんな奴にもカレシがいるのか』的な顔。ちょっと傷つくんですけど」

「別に。そんなこと思ってねえ」

「じゃあ、聞きますけど、小泉さんは付き合ってる人とかいるんですかー?家の中はまるで女っ気がなかったですけどー!」

「……んなもん、いねえよ」

ふと脳裏にある人物の姿が浮かび上がった。が、すぐにそれを打ち消して店内に足を踏み入れた。

「そんなことより早く入るぞ」

「はーい」

夕食にしてはまだ少し時間が早いようで客はまばらだった。仕事帰りらしい高齢男性会社員が何人か、酒を飲みながらゆっくりと食事をしていた。和服を着た愛想の良い女性店員に案内され、俺達は店の奥の席に向かい合って座った。

「ぜんっぜん読めない!小泉さん、翻訳ほんやくしてくれない?」

「……仕方ねぇな」

一通りメニューを読み上げると彼女は少し悩んだ後にサバの塩焼き定食を選んだ。俺は豚の生姜焼き定食を注文した。

「若いくせに意外と渋いもん食うんだな。パスタとか洒落しゃれたもんが好きそうに見えるが」

「意外で悪かったですねー。こう見えて魚は好きなんですー。だって魚って美容にいいでしょ?若さを保つならお肌には気を使わないと!」

いちいち反応するのも面倒になって来て、何も言わずにお茶を一口飲んだ。

「小泉さんの方こそ意外と料理上手いじゃん。朝食、めっちゃ美味しかった。どうもありがと!」

不意に見せた素直な笑顔に思わず焦ってしまい、危うくお茶をこぼしそうになった。が、何とか平静を装った。彼女はしばらくの間、俺の顔を興味深そうな表情で見つめていたが、やがて思い出したように口を開いた。

「あのさ、何で会ったばかりのアタシにここまでしてくれるの?」

湯呑みを置き、少し考えた。ここは正直な気持ちを伝えておくべきかもしれない。

「俺もここに来た時、苦労したからな。それに……」

彼女の顔をじっと見つめた。実は初めて会った時からずっと引っかかっていることがある。花が咲いたような明るい笑顔と「夏目珠喜」という名前に覚えがあるのだ。

(会ったことがある?いや、そんなはずは……)

俺は首を横に振った。

「なんでもねえ。俺の場合は一週間野宿だった。残飯を食べたからな、腹を壊したりして大変だったんだぞ」

「の、野宿?!」

驚いた拍子に、彼女が手に持っていた湯呑みからお茶が少し溢れ、ワンピースの胸元を濡らした。彼女は慌てておしぼりを取ると溢れたお茶を吹いた。濡れた胸の谷間に思わず目がいってしまい、慌てて目を逸らした。

「……ったく、何やってんだよ」

「だってびっくりしたんだもん。で?続きは?」

「状況はお前と同じだ。自分が持ってる金を店で出したらトラブルになった。それで悟った。『ここは俺がいた世界じゃない、向こうの世界の常識は通用しない』ってな。かといって戻る方法も分からない。なら、その辺の草むらで寝泊まりするしかない。お前が困っているのを見た時、あの時の自分と重なった」

「そっか……」

その時、女性店員が二人分の定食を持ってやってきた。先程、全力で走ったからか腹が減っていた。熱々の豚肉と白飯を夢中でかき込んでいると視線を感じた。箸を止め、彼女が俺のことをじっと見つめていた。表情が曇っている。何か嫌なことを思い出したか、もしくは考えているのかもしれない。

「どうした?」

「……なんでもない」

不安そうな表情が気になったが、俺はとりあえず話を続けることにした。

「ある日、残飯を探して彷徨さまよってたら前を歩いてたオヤジが財布を落とした。盗むか迷って結局渡した。『落ちましたよ』と言ったらそのオヤジは驚いた顔で振り返ってこう言った。『その日本語を聞いたのは久しぶりだ』と。そのオヤジも同じ世界の人間だったんだ。懐かしいって喜んでな、野宿している俺のことを心配して家に入れてくれた。それからそのオヤジに凄く世話になった。それで今の暮らしがある」

「そうだったんだ……」

「オヤジは井伏博いぶせひろしっつってな。ここに来たのは50年前って言ってたな。去年80歳で死んだよ。戻りたくないのか聞いたら『あっちに俺の居場所はないから』だと。井伏のオヤジも同じで向こうの世界から来た人に出会って助けられたらしい」

「井伏さんは戻る方法を知ってたの?」

「ああ、知ってるって言ってたな」

「じゃあ、小泉さんも戻る方法知ってんの?」

井伏のオヤジから聞いた話を思い出し、少し考えた後に俺はこう言った。

「……ああ。だが、本当に戻れるのかは分からん。試したことがないからな。あくまで俺の予想だが、この世界とあっちの世界は恐らく昔から繋がってて何かの拍子に行き来できるようになってるんじゃないか。んで、皆あっちの世界から来た奴に出会って何とか生きてる。俺達みたいに。偶然か必然かは分からんが」

「ふーん。小泉さんがこの世界に来たのっていつ?めちゃくちゃ慣れてるように見えるんだけど」

「10年前だ」

「そんなに前なの?!何で戻らないの?あっもしかして、本当に戻れるか分からないから怖いとか?」

少しいらついて口調を強めながら言った。

「違えよ。あっちの世界が嫌いだからだ。まぁ辛い現実から逃げてるだけって言われたらそれまでだがな」

彼女はまた好奇心に満ちた眼差しを向けて来たが、俺は何も言わず白飯、豚肉を全て平らげて、残りの味噌汁を飲み干した。空になったわんを置いてふと目を上げると、彼女は再び表情を曇らせてうつむいていた。

(今すぐ戻りたいと思ってんなら方法を聞いてくるだろう。だが、そんな素振りはない。向こうの世界で何か問題があって戻る気がないのか……俺みたいに)

「な、何見てんの?」

「また黙り込んだから。腹でも壊したか?」

「こ、壊してないから!」

彼女は再び箸を持つとサバをせっせと口に運んだ。そんな姿を見ながら俺は独り言のように呟いた。

「初めて会った気がしねえんだよな……お前と」

「えっ?それはアタシが人懐こいからじゃないの?」

「人懐こい?馴れ馴れしいの間違いだろ」

「何それヒドイ!アタシは人見知りしないタイプなの!それに、小泉さんとは初対面だよ」

「……どうしてそう言い切れる?」

「だって小泉さんみたいな人、一度会ったら絶対覚えてるはずだもん」

「どういう意味だよ」

苛つきながらそう言うと、彼女は少し考えた後に楽しそうな笑みを浮かべながら言った。

「ん~?内緒!」

「はぁ?お前、本当に変な奴だな。そろそろ出るぞ。あと二軒、寄るところがある」

「わ、分かった」

彼女が最後のサバの身を口に運んだのを見計らって伝票を持って席を立ち、レジに向かった。彼女は慌てて箸を置くと、俺の後ろをついてきた。その後、鍵屋と携帯電話ショップで合鍵とスマホを手に入れ、彼女に差し出した。

「お前のだ」

「アタシの?」

「当たり前だろ。俺は自分のがあるから必要ない。しばらくここにいるつもりなんだろ?」

「うん、よく分かったね!」

「お前の態度見てりゃあ分かるっての」

彼女が一瞬だけギクリとしたのを俺は見逃さなかった。彼女が戻るのを躊躇ためらっている理由が気になったが、自分から聞く気にはなれない。あえてその話題には触れないようにした。話したくなればきっと自分から打ち明けて来るだろう。

「ああ、そうだ。携帯は文字が打てないだろうから、基本的には電話を使えよ。文字は後で俺が教えてやるから。電話が出来ない時はノートか何かに要件を書いてそれを撮影して写真で送れ」

「はーい!」

「それから、今は戻る気がないかもしれんが一応伝えておく。井伏のオヤジの話によると向こうの世界に戻るにはタイムリミットがあるらしい」

「タイムリミット?どれぐらい?」

「二週間だ」

「意外と長いじゃん」

「そうでもない。お前、いつここに来た?昨日か?」

「うん、そう」

「今日入れて既に二日経ってる。二週間なんてあっという間だぞ」

「マジか……」

彼女はため息を吐きながら呟いたのだった。
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