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第12章 Side 小泉
第20話 過去のトラウマ 前編
しおりを挟む朝、俺は洗面所で顔を洗いながら昨晩のことを思い返した。
(確か、珠喜に無理矢理ワインを飲まされてそれで……)
とてつもなく嫌な予感がした。そこで記憶が途切れているからだ。
(もしや、俺はまたとんでもないことを……?!)
一気に不安が押し寄せる。心臓が早鐘のように鳴り響いている。と、その時。寝室の扉が開いて珠喜が出て来た。寝癖のついた髪の毛に少しだけ乱れた寝巻き姿。俺の顔を見ると一瞬だけハッとした表情を浮かべたが、すぐにいつも通りの笑顔を浮かべて言った。
「あっ、お、おはよう!」
無理矢理、笑顔を作っているのが明らかだった。恐らく昨晩、俺と珠喜の間に何かがあって、それを悟られまいとして俺に気を遣っているのだろう。気づかないふりをするべきか?いや、もしもまたとんでもないことをしていたら謝る必要がある。俺は正直に尋ねることにした。
「おはよう。昨日、俺なんかしたか?記憶がまた途切れてるんだが……」
珠喜は一瞬だけピクンと体を反応させた。が、すぐに首を横に振って言った。
「えっ?だ、大丈夫だよ。な、何もないから!」
笑顔だったが、その頬はまた真っ赤に染まっていた。
(ああ、俺はまたやってしまったのか……)
愕然としたが、彼女が気を遣っている手前これ以上問い質すのは気が引ける。申し訳ないが、ここはあえて気づかないふりをしておくべきなのかもしれない。
それに俺を酔わせたのは珠喜だ。俺が何をしたのかは分からないが、彼女にも責任があるだろう。それもあんなに大胆な方法で……。「そうか」と一言だけ返すと彼女は思い出したように言った。
「あ、あれ?土曜日って仕事なんだっけ?」
「ああ。どうしても今日しか空いてない取引先があってな。朝から商談だ」
「そ、そっか。頑張ってね!あっ、洗面所もう使っても平気?」
「ああ」
ドレッサーの前を空け、俺はリビングへ向かった。
朝食の支度をしながら考えた。何故、彼女は俺にワインを飲ませたのだろう。それも無理矢理、俺の口の中に注ぎ込んだのだ。俺が頑なに手をつけないことに腹を立てて。口移しなんてされたのは50年間、生きて来て初めてのことだった。
(大胆な奴……)
珠喜は俺が酒に酔ったらどうなるかを分かっていた。恐らく自分の身の危険だって承知の上だろう。そうまでして俺を酔わそうと思った理由とは?彼女は俺のことが好きだと告白してきた。だが、俺は冷たく突き放した。だから、納得できず俺との関係を持ちたかったのかもしれない。自意識過剰な考えかもしれないが……。だが、理由はそれだけではない気がする。そういえば彼女は、自分のことをどう思ってるのかを聞いてきた。
(そうか。俺の本音を引き出そうとして……)
俺の返事が本心ではないことを彼女は見抜いていたのだ。意外と鋭い女だ。ならば、俺は彼女の気持ちにしっかり応えるべきかもしれない。だが、そうするには俺がこの世界に来てしまった理由を明かさねばならない。自分の過去……いや、トラウマと向き合わない限り、彼女に俺の本当の気持ちを伝えることはできない。だが、素面の状態では上手く話せる気が全くしない。
(ここはまた酒の力を借りるべきか。珠喜がこっちに来た理由も知りたいしな)
俺は冷蔵庫を開けた。昨日のワインがまだ残っている。飲み過ぎない程度に嗜めばいい。そうすれば記憶をなくすことも、珠喜に何かすることもないだろう。
昨晩は飲み過ぎたとは言えないが、彼女の色仕掛けが追い打ちとなって泥酔してしまったのだろう。その時、身支度を終えた珠喜がちょうどキッチンに入って来た。
「珠喜、今日は俺が夕飯を作る。いいよな?」
「えっ?う、うん。いいけど……」
「今日の仕事は一社との商談だけだからいつもよりも早く上がれると思う。買い物してから帰るから待っててくれ」
「うん、分かった」
――――――
その夜、俺はポルチーニとベーコンのクリームパスタを作り、ワインを添えた。
「えっ。賢弥さん、ワイン飲むの?」
「ああ」
「な、なんで?」
珠喜は明らかに動揺していた。昨晩、頑なに拒否をしたから当然だろう。俺はパスタを口に運び、咀嚼するとワインを一口飲んだ。濃厚な酸味が鼻から抜けていく。途端に昨晩、彼女に口移しされた時のことが鮮明に蘇り、恥ずかしくなった。だが、何となく勇気が湧いてきたような気がする。早くも酔いが回り始めたのかもしれない。俺は咳払いをすると思い切って口を開いた。
「お前に話しておかなきゃならないことがある」
「は、はい。なんでしょう」
珠喜はパスタを口に入れようとしていたが、慌ててフォークを置いた。緊張した面持ちで背筋をピンと伸ばしている。
「……と、その前にまずはお前に聞きたい。どうやってここに来た?」
「えっ?えーっと……」
珠喜は驚いて狼狽えた。俺から尋ねられるとは予想もしていなかったようだ。黙り込む珠喜。早く言え、と急かしたくなった。が、グッと堪え、彼女が話始めるのを待った。沈黙に耐え切れなくなったのか、珠喜はようやく口を開いた。
「し、信号無視のトラックに轢かれたの。それで気づいたらここに……」
珠喜は目を逸らして俯いた。
「……それだけか?俺が知っている限り何の理由もなくこっちに来る奴はいない。お前も何かあったんだろ?」
「う、うん……カレシとケンカして、それで……」
会話がなかなか前に進まない。端から見たら俺が珠喜を尋問しているように見えるかもしれない。俺はまた急かしたい気持ちを堪えてなるべく穏やかな口調で尋ねた。
「それで?どうした?」
珠喜はまた黙り込んだ。俯いたまま顔を上げようとしない。言うべきか否か迷っているようだった。俺は苛立ちを覚えたが、何とか堪えた。気を紛らわす為にパスタを口に運ぶ。すると、珠喜が思い切ったように口を開いた。
「実は……アタシ、上司と付き合ってて……彼には奥さんがいてもうすぐ子供が生まれるの。別れたいって言ったんだけど、彼はうんて言わなくてそれでケンカになっちゃって……」
全く予想もしていなかった言葉に俺は唖然とした。フォークを持ったまましばらくの間反応することができなかった。彼女は顔を上げ、ハッとした表情を浮かべた。しまった、という顔をしていた。
何故なら俺が明らかな「嫌悪感」を露わにしていたからだろう。次第に自分の中でとてつもない怒りが湧いてくるのを感じた。自分から理由を尋ねておいて憤るのはどうかと思うが、どうしても怒りを抑え切れなかった。
「俺はな、浮気とか不倫ってのが大嫌いなんだよ。この世の中で一番嫌いだ」
「一番」という言葉を強調し、低く鋭い声でそう言うと彼女は不安そうな表情を浮かべて体を強張らせた。
「そんなことする奴は全員クズだ。男でも女でもな」
すると、彼女はムッとした表情を浮かべて強い口調で反論した。
「そ、そんな言い方……。許されないことだってアタシにも分かる。別れようとしたって言ってんじゃん!」
「お前、自分の母親のこと考えたことなかったのか?」
「あ、あるよ!ない訳ないじゃん!」
「じゃあ、なんで不倫なんてした?」
「それは……」
彼女はそう言うとまた黙ってしまった。俯いて狼狽えている。何か事情があるのかもしれない。だが、頭に血が上った今の俺には彼女のことを気遣う余裕なんて全くなかった。
「俺がこの世界に来た理由、教えてやる。嫁に裏切られたからだ」
「えっ……?」
「あいつは不倫してた。それも俺の親友とな」
彼女は唖然とした表情を浮かべて俺の顔をじっと見つめたのだった。
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