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第7話 予感

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「ところで……目が覚めたばかりのところ申し訳ないんだけど、君に色々と聞きたいことがあるんだ。とりあえず、そこに座ってくれるかな?」

彗はそう言ってベッドを指差した。彼女はこくん、と頷くと再びベッドに戻り、腰掛けた。

「君は何ていう名前?いくつ?」

「わたしは……ホクト。北に翔と書いて北翔ほくと。年は……18」

「北翔、18歳……っと。昨日はどうしてあんな場所で倒れてたの?君はどこから来たの?」

すると、北翔は少し考え込んだ後にゆっくりと口を開いた。

「わたし、富士山から来た。頭の中に自分の名前、アンドロイド、研究センターという3つの言葉があったから、それを頼りに歩き回った。ようやく近くまで来た時に急に体が動かなくなった。あの時はキミに対して言葉を送ったんじゃない。誰かわたしの声に気づいてくれる人に助けを求めたかった、それだけ」

彗は北翔の言葉を素早くパソコンに打ち込むと、眉をひそめて言った。

「えっ……君は最初に『富士山から来た』そう言ったよね?富士山に住んでたってこと?違うよね?」

彗の言う富士山とは、当然ながら地球の日本にある富士山ではない。メトロポリス星の日本にある山だ。富士山によく似た形をしているため、人々は親しみと懐かしさを込めて富士山と名付けたのだ。しかし、地球にある富士山と違ってこの山は未だ開拓されていない場所が多く、気軽に登山ができるような山ではない。つまり、人が住んだり滞在できるような状態ではない、ということである。

「気づいたら富士山にいた。山頂の深いところにいたから獣道が多かった。だから、下りるまでに時間がかった。街中に出た時に、研究センターというのがどこにあるのか探し回った。でもなかなか見つからなかった。何の研究センターなのかも、その時はまだ分からなかったから」

断片的な彼女の話を彗は真剣に聞いた。じっくりと耳を傾けて、彼女の言っていることを少しでも理解しようと頭の中で整理をした。しかし、決定的な何かが足りないような気がしてならない。もどかしさを感じながら、彗は丁寧に彼女に聞き取りを行った。

「気づいたら富士山にいた……?えーっと、それはいつ頃か覚えてる?」

「……3年ぐらい前だと思う」

「ちょっと失礼な質問をするかもしれないけど、平気かな?」

「うん、平気」

顔色を変えずに頷いた北翔に、彗は思い切って尋ねた。

「君はその……自分がアンドロイドであることを理解してる?」

「うん。わたしは女のアンドロイドで18歳、名前は北翔。それだけは分かってる」

北翔は依然として顔色を変えずに頷きながら言った。彼女の答えを聞いて、彗の頭の中にひとつの仮説が浮かび上がった。

「……君が今、自分について分かってることは『それだけ』なんだね?」

「そう。他のことは思い出せない。何も」

「何で富士山にいたのかってことも?」

「うん」

「つ、つまり君は……記憶喪失のアンドロイドってことだよね?」

「うん、そう」

彗は驚きを隠せなかった。彼女が自分自身について名前と年齢とアンドロイドであること以外に何ひとつ思い出せないこと、そして、そんな極限の状態であるにも関わらず、その表情には何の感情も浮かんではいないということに。

(まさか記憶を失っているなんて……これは調査と確認に時間がかかりそうだな。それに、3年もの間コアがメンテナンスもせずにどうやって持ったのか。未開拓の富士山からこんな小柄な子がどうやって下山できたのか。それも気になる。早いとこ宵月先生に知らせて検査してもらわないと)

彗はパソコンに向き直ると最後に『断片的な話し方と記憶。感情の欠如』と付け加えて入力した。

「これから女性のお医者さんに君を診てもらおうと思うんだけど、別の人をこの部屋に呼んでも平気かな?」

「うん、平気」

「分かった。ちょっと待っててね」

彗は念のために研究室に鍵を掛けた。暁子の研究室をノックすると、すぐに中から返事がした。暁子は彗の顔を見ると、少し驚いたような顔をした。先程、ベネラから彼の中にいる人格モンスターについて聞かされたばかりだからだ。

「彗、どうしたんだい?」

「宵月先生。ちょっと診て欲しい子がいるんです。とりあえず何も聞かずに僕の研究室に来てくれませんか?」

彗は神妙な面持ちで言った。

「分かったよ。すぐに行くから待っててくれる?」

「ありがとうございます……!」

彗は嬉しそうに返事をすると、慌ただしく研究室へ戻った。程なくして暁子が彗の研究室へやって来た。ベッドに腰掛ける一人の美少女を目の当たりにして、暁子は少し驚いた顔をした。

「彗、この子は?」

「北翔です。実は昨日、道端で倒れているところを助けたんです。しばらく意識を失っていたんですが、さっき目を覚ましました」

北翔は暁子の顔を見るとゆっくりとベッドから降りた。二人はしばらくの間、何も言わずに見つめ合った。その時、暁子は自分の中に不思議な感覚を覚えた。

(……ん?何だろうね、この懐かしい感じ。まるでどこかで会ったことがあるような……。それに、この子……表情が全くない)

暁子は微笑むと優しく言った。

「私は宵月暁子だ。ここで婦人科医とカウンセラーの掛け持ちみたいなことをやってる」

すると、北翔の銀色の眉が少しだけ動いた。

「よいづき……」

「……北翔?」

彗の言葉に北翔は首を横に振った。

「……何でもない」

「宵月先生、ちょっとこれを見てください。さっき僕が彼女に聞き取りをした結果なんですけど……」

彗はそう言って暁子にパソコンの画面を見せながら、北翔についてのこれまでのことを説明した。もちろん、自分が裸になって彼女を暖めたこと、イオとの一件を彼女に見られていたことは伏せて。暁子はパソコンに入力された彼女の証言を読み、時折、頷きながら真剣に彗の話に耳を傾けた。

「記憶喪失のアンドロイドか……」

暁子は内心驚きを隠せなかった。彗が女の子のアンドロイドを助けたこと、彼女が記憶喪失であること、殆ど感情が表に出ないこと……どれもが予想を遥かに超える出来事であったからだ。

「気になることがいくつかある。ちょっと質問してもいいかい?」

「うん、平気」

「あんたは自分のことが殆ど分からない。そのことに対してどう思う?悲しいとか辛いとか、そういう気持ちはあるのかい?」

暁子の質問に北翔は少し考えた後、首を横に振って言った。顔色は変わらない。

「別にない」

「そうかい」

暁子がパソコンの画面に目を移したその時。

「ただ……」

「ただ?」

暁子は再び北翔に視線を移した。彼女は彗の顔を見ながらぽつりと呟いた。

「ここにいると寂しくない。彗がいるとなんか安心する」

「えっ、ぼ、僕?」

「うん」

暁子には北翔の表情が微かに和らいだように見えた。

「彗、あんたはどうやら彼女に気に入られてるみたいだねぇ。良かったじゃないか」

暁子の言葉に彗はハハハと笑うと恥ずかしそうに頭を掻いた。暁子は質問を続けた。

「これはあんたに聞いても分かんないと思うんだけど……あんたの中にはコアっていう人間でいうと心臓みたいな物が入ってる。通常は定期的なメンテナンスが必要でね、放っておくと弱って死んでしまうこともあるのさ。現にあんたは昨晩、死にかけた。でも3年もの間、メンテナンスは一度もしてないんだよね?」

「……うん、してない」

「飲食ができるわけでもないんだろう?それも未開拓の富士山でどうして生き延びることができたのか……それが不思議なのさ」

北翔は少し考えた後、首を横に振った。

「それはわたしにも分からない」

「そうだよねぇ」

暁子はそう言ってため息を吐いた。すると、それまで黙って聞いていた彗が口を開いた。

「あの、もしかしてコアの提供者と何か関係があるのではないでしょうか……」

「ああ、確かにそうかもしれない。でも、開発者が分からないと提供者のことも分からない。開発者がアンドロイドに関する全ての情報を持っているからね。北翔、あんたは自分を作ったのが誰か、それも覚えてないんだよね?」

「うん、分からない」

暁子と彗は考え込んだ。

「ひとまず、僕が彼女のコアを詳しく調べてみます。数値を見ればどういう人が提供してくれたのかぐらいはある程度、予想できますから」

「そうだね。その方がいいかもしれない。じゃあ、コアに関しては彗、あんたに頼んだよ。私は彼女の生殖器官について検査をするから」

「分かりました」

暁子は頷くと、再び口を開いた。

「もうひとつ気になってることがある。北翔が富士山で目を覚ました時期だよ」

「ああ……実はそれ、僕も引っかかってました。3年前に最後の宇宙船が富士山に墜落して乗客・乗務員約1万人の内、生き残ったのが僅か9人という『宇宙船墜落事故』が起きた時期と被るってことですよね?」

「ああ、その通りだよ」

北翔は黙ったまま不思議そうな顔をして二人の話を聞いていた。暁子は北翔に向き直ると尋ねた。

「北翔、あんたはこの星と地球のことについては知ってるかい?」

「……地球に住めなくなったからこの星に来た。それは人に聞いたから知ってる」

「じゃあ、自分が宇宙船に乗ったことがあるかどうかは覚えてるかい?」

北翔はしばらく考え込んでいたが、やがて首を横に振った。

「覚えてない。でも、富士山を降りる時にどこかで何かの機械の破片を見たような気がする」

「なるほどねぇ」

暁子は大きく頷くと、パソコンに彼女の証言を全て入力した。そして後ろに立っている彗を振り返って言った。

「彗、3年前の宇宙船墜落事故を調べる必要があるね。あと、教授が何か知ってるかもしれない。彼女のことを報告しても驚かなかったんだろう?」

「……はい。確かに僕もそれは気になりました」

「それに他言無用ってのも引っかかる。もしかしたら開発者に心当たりがあるけど、何か事情があって伏せてるのかもしれない。それとなく探っておいてもらえるかい?」

「分かりました」

暁子の中にある仮説がぼんやりと浮かんだ。そして先程、彼女と対面した時に感じた不思議な感情をふと思い出した。

(もしかしたら、あの感覚も何か関係があるのかもしれない。だとしたら、彼女と私自身にも何か繋がりがあるのかも……いいや、彼女とは初対面だ。繋がりなんてある訳が……)

その時、暁子の脳裏にある人物の顔が思い浮かんだ。しかし彼女はそれを必死に打ち消し、考えないようにしたのだった。
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