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第14話 外の世界 前編 *

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ある日の夕方。北翔の定期健診を終え、暁子は気晴らしに少し歩こうと自分の研究室を出た。渡り廊下に差し掛かった時、ふと雪の積もった中庭に目をやると、イオとシリウスがいた。シリウスは大きな雪玉を転がして雪だるまの胴体を作っていた。イオはそのかたわらで雪だるまの手足になりそうな小枝を拾い集めており、周りの人に迷惑をかけないよう時折シリウスに声を掛けていた。

その時、暁子の目にある人物の姿が飛び込んで来た。

「あれは……彗?」

イオの後ろには中庭に面した反対側の廊下がある。その窓から彗が中庭の様子を覗いているのだ。彼の視線は真っ直ぐにイオの背中に注がれていた。その視線に不吉なものを感じた暁子は彗の元へ向かった。

「彗、こんな所で何してるんだい?」

窓の外をじっと見つめていた彗はハッとして振り向いた。そして、暁子の顔を見るとニコリと笑った。

「誰かと思えば宵月先生でしたか!お疲れ様です。いや、シリウスが大きな雪だるまを作ってるなぁと思いましてね」

暁子は微かに違和感を覚えた。

(やけに落ち着いてる。それに、彗ならもっと素直に笑うはず。こんな含み笑いじゃない。だとしたら、もしかしてこいつがベネラの言ってた……)

暁子は彗に近づくと腕を組んだまま低い声で尋ねた。

「……あんた誰だい?彗じゃないね?」

すると、彗は口元を緩め、ゆっくり眼鏡を外した。そしてニヤリと笑うと言った。

「……バレちゃいましたか。やはり、宵月先生には全てお見通しですね。彗はいませんよ。閉じこもってしまいました。自分に失望してね。当分起きないと思いますよ」

彼は馬鹿にしたように鼻で笑いながら言った。

「あんたの目的は……もしかしてイオかい?」

「おや、よく分かりましたね。ということは……ぼくのことを知ってるんですね」

彼はクセのある前髪をくるくると弄りながら興味深そうに言った。

「ああ、まあね。彗から直接聞いた訳じゃないけどね。で?あんた、自分の名前はあるのかい?そこまで自我じがを持っているなら名前ぐらいあるんだろう?」

彼は腕を組み、こめかみに指を当てて少し考えた後、口を開いた。

「そうですね……。『黒』とでも名乗りましょうか。ぼくは彗の『暗黒』の部分なので」

「黒……。あんたがいるから彗はいつまでもイオを忘れることができないんだ。それだけあんたは彗の中で大きな力を持ってるってことだ」

「さすがは宵月先生。全くその通りです。彗の邪魔をしていたのは他でもない。ぼくです。だってそうでしょう?イオを忘れようとするんですから。困るんですよ。勝手にそういうことをされては。ぼくはイオが好きなんです。彼女ではありません」

「こっちだってね、あんたに勝手に動かれると困るんだよ。せっかく彗が北翔との恋愛に真面目に取り組もうとしているのに。それにね、あんたがいると仕事が進まないのさ。現に北翔の検査や調査がとどこおってる。最近、彗は仕事が思うように進まないし、悪夢ばかり見るって悩んでたんだ。だから、知り合いの精神科医に頼んで何種類か薬を処方してもらったんだけどね、あまり効き目がないのさ」

すると、黒は大きなため息を吐き暁子を馬鹿にしたように言った。

「宵月先生、あなたそれでもカウンセラーですか?患者の不安を取り除くのがあなたの仕事でしょう。薬の効果がないって……それじゃあ、精神科医に頼ってるだけじゃないですか」

「ああ、確かに。あんたの言う通りさ。私が話を聞いても彗の悩みは消えない。あの子の為に何も出来ない自分が憎いよ。でもね、これだけは言わせてもらうよ。あの子の一番の悩みの種は他でもない、あんただ。あんたが消えるか、彗とあんたがお互いを認め合わない限りはいつまで経っても変わらないと私は思ってる」

「ふん、そうですか」

腕を組み、喧嘩腰の黒に向かって暁子は負けじと言った。

「それから、イオに何かしたら私がただじゃおかない。それだけは常に頭に入れておくんだね」

黒は何も言わずに暁子をにらみ付けた。二人の視線が交差し、火花が散った。黒は白衣のポケットに両手を突っ込み、きびすを返して去って行った。ふんぞり返って歩く彼の背中を見つめながら暁子は思った。

(……放っておいたら危険な人物だね。彗がいないなら、私が見張っておかないと)

そして、声に出して呟いた。

「彗、あんな奴に負けたらダメだ。早く戻ってきな」

***

黒は酷く苛ついていた。

(あの女、ぼくのことなんて何も知らないくせに……!)

廊下の壁に拳を叩きつける黒を見て、近くにいた職員が驚き、不審者を見るような目で彼を避けながら歩いて行った。黒は彗の研究室に戻るとパソコンを開いた。彗が闇に消えてから、それまでの遅れを取り戻すように黒は彗の代わりに仕事をしていた。彼はこの仕事を特に嫌っている訳ではなかった。

(アンドロイドには興味がある。それに毎日、彼女のデータを見るのもまぁまぁ楽しい。彼女自身には全く興味はないが……)

黒はそう思いながら、スヤスヤと寝息を立てる北翔の顔をちらっと見た。そして、手付かずだった北翔のコアの調査に取り掛かった。コアの数値を順番に見ていくと、彼はあることに気づいた。

(これは……)

顔を上げ、クセのある前髪をいじりながら彼は考え込んだ。と、その時。

「……彗?」

北翔がベッドから起き上がり、まぶたこすりながら彼のことを見ていた。

(……起きたのか。面倒だな)

黒は内心そう思うとニコリと笑い、彗を装って言った。

「北翔、起きたんだね」

「うん」

「よく眠れた?」

「うん、まぁまぁ」

北翔は相変わらず無表情で頷くと彼の顔をじっと見つめた。そして、首を傾げた。

「……彗、なんかいつもと違う」

「ん?どこが?」

「分かんない。でも……」

北翔はそう言いかけてまた首を傾げた。上手く言葉にできない様子だった。

(ああ、苛々いらいらする。こうなったら黙らせた方が早いか……)

黒は眼鏡を外すと素早く立ち上がった。そして北翔に歩み寄ると彼女の唇に自身の唇を重ねた。あまりに突然のことに北翔は驚いた。固まってしまった彼女を黒はベッドに押し倒すと、検査着のボタンを外して前をはだけさせた。首筋から胸元にかけて唇でなぞりながら下着を緩め、膨らみを乱暴に愛撫した。

「んんっ、す、彗、どうしたの……あぁっ」

彼の愛撫を受けながら北翔は戸惑っていた。

(やっぱりいつもと違う……彗はこんなに乱暴に触ったりしない……どうしちゃったの……)

黒は北翔の肌に触れながらもイオのことを考えていた。敏感な場所に触れた時の恍惚こうこつの表情、名前を呼ぶ甘い声、桃色に染まる滑らかな肌……そのどれもが鮮明に蘇り、黒は徐々に高揚していった。

(イオ……もう一度あなたに触れることができたら、ぼくはどんなに……)

彼女の膨らみを愛撫していた手を下腹部に滑らせると、下着の中に手を突っ込んだ。そして、程よく湿っている花びらをなぞった。指を入れると乱暴にその中を掻き回した。強烈な刺激と痛みに北翔の体が跳ねる。

「あんっ、や、やだ、彗、やめて……!」

首を横に振りながら必死に懇願こんがんする北翔を見て、黒は苛々しながら言った。今の彼にはもう彗を装っている程の心の余裕がなかった。

「どうしてですか?セックス、好きなんでしょう?」

彼の冷たい眼差しや言葉に、北翔の中で彼に対する違和感は更に大きくなった。と、同時に彗の中に自分は知らない全く別の人物が存在しているような気がして恐怖を覚えた。

「……彗は……こんな乱暴なこと、しない……っ。それに……わたしには、敬語使わない……んあぁっ!」

黒は彼女の耳に唇を寄せると、指の動きを早めながら低い声で言った。

「……一体、何が言いたいんです?」

北翔は違和感を覚えながらも体の奥底が激しい熱を帯び、疼きが大きくなるのを感じた。

(あ、ダ、ダメ……わたし……)

「キミは、ダ、ダレ……っ?」

震える声でそう尋ねながら、北翔は果てた。黒は彼女の花びらから指を抜くと、甘い蜜で濡れたそれを舌先でペロリと舐めた。そして、鼻で笑うとニヤリとしながら言った。

「残念ですね。あなたの好きな彗はもういませんよ」

「……彗はどこ?」

「さぁ。自ら暗闇に飛び込んで行きましたからね。僕はダメな人間なんだ!とか何とか叫んで。当分の間、出て来ないでしょう」

北翔は絶句した。黒は大きくため息を吐くとベッドから降りて言った。

「……えました。せっかくその気になったのに。今のぼくならきっとあなたの中に入って、あなたを満足させてあげられたでしょうけど……そんな態度を取られてはねぇ」

北翔は自分の中に今まで感じたことのない感情が湧き上がるのを感じた。沸々ふつふつと燃えたぎるような感情。それは『怒り』だった。

「わたしが欲しいのはキミじゃない」

黒は振り返って北翔の顔を見た。そして、少し驚いた。

(何だこの目……こいつ、今までこんな目したことあったか?いや、ない)

黒は鼻で笑うと、眼鏡を掛けながら言った。

「なるほど……ぼくに対しての怒りってことですか。面白い」

そして、ドアを開けて部屋を出て行った。変わり果てた彼の姿を目の当たりにして、北翔は強く思った。

(……彗、早く戻ってきて)
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