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第9話 捨てられたアンドロイド 前編

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ハレーとイオの実験が開始されてから約1年が経った。しかし、ハレーの暴走は進む一方だった。人間がたった一体のアンドロイドの言いなりになるなど誰にとっても信じがたい状況だったが、ハレーを止められる者など誰もいなかった。水端流の意向でイオの担当は科学者である雄飛の母親に一旦引き継がれていた。

ある日、雄飛と彗は現状を訴えるため、水端流に連絡を取った。

「水端教授、お話があります」

「二人揃って一体どうしたのだ?」

雄飛のウォッチから投影された水端流が、不思議そうに尋ねる。

「時間がないので単刀直入に言います。早急にハレーの暴走を止める対策を立ててください」

「そして、これまで通り雄飛くんがイオの担当を続けられるようにしてください。このままではプロジェクトは失敗に終わります。それも一体のアンドロイドの手によって……ってその原因を作った僕が言うのもなんですが……」

彗は最初は強気だったが、徐々に声が弱まった。すると、水端流は少し考えた後に言った。

「うむ。確かに最近のハレーの行動は身に余るところがある。早急に対策を立てようではないか」

「あ、ありがとうございます!」

雄飛が頭を下げた直後、水端流は再び口を開いた。しかし、その言葉に雄飛と彗は我が耳を疑った。

「だがな、イオの担当を雄飛くんに戻す訳にはいかん。ハレーとイオは上手くいっているんだ。今ここでハレーの機嫌を損ねたら実験をこばまれるかもしれないんだぞ」

「と、父さん?!」

「水端教授、本気で仰ってるんですか……?」

「それに、イオの担当には新しいプロジェクトメンバーをつけることになったのだよ。宵月暁子よいづきさとこくんという元婦人科医でね。今は主に女性を対象としたカウンセリングを行っている。詳しいことはまた伝えるが……。とにかく、イオの担当は雄飛くんではなく、宵月くんに引き継ぐ。いいな?」

冷たくそう言い放つと水端流は二人の返事も待たずにウォッチを切った。二人はしばらく言葉を失ったまま立ち尽くしていた。

イオとの仲を引き裂かれてしまった雄飛はショックのあまり研究室に引きこもってしまった。普段、自分が室内にいる時は鍵を開けておき、誰でも自由に出入りができるようにしていたが、鍵をかけて誰も立ち入れないようにした。

「雄飛くん!開けてください!」

彗が訪れても雄飛は決してドアを開けようとはしなかった。

「用事があるならパソコンかウォッチにでもメッセージを送っておいてくれ」

固く閉ざされたドアの向こうから、何の感情もこもっていない無機質な声が響く。彗は雄飛に会うのを諦め、ため息を吐いて去って行った。

雄飛はしばらくの間、自宅に帰らず自分の研究室に引きこもり、寝泊まりしていた。しかし、その内にずっと密室にいることを苦痛に感じるようになり、夜も眠れなくなった。

「くそっ……苛々いらいらがおさまらないし、全然眠れない」

ある真夜中。雄飛はそっと研究室の扉を開けた。そして、誰もいないことを確認すると、運動着を持ってトレーニングルームへ行った。ここにはスポーツジムにあるような様々な機材があって、センターで働く人は誰でも使用できるようになっている。

雄飛は地球にいた頃から定期的にスポーツジムに通って体を鍛えていた。もちろん健康の為もあるが、ストレスを発散する目的もあった。センターで働くようになってからもこのルームを利用して定期的に汗を流していたが、ハレーが完成してからは思うように運動が出来なかった。何故なら、ここは昼間、ほぼハレーの専用トレーニングルームと化しているからだ。

「夜中ならさすがにあいつもいないだろ……」

雄飛はハレーと顔を合わせないようにしていた。だから、わざと彼がいない時間を狙ったのだ。更衣室で白衣、シャツ、デニムからTシャツとハーフパンツに着替えると、トレーニングルームに足を踏み入れる。やはり誰もおらず、広い室内はしん、と静まり返っていた。

ホッと胸をで下ろすと、雄飛はランニングマシンのスイッチを入れた。久しぶりに筋肉が動いているのを感じ、スピードを上げた。走りながら様々なことを考えるのが、彼の昔からの癖だった。

(イオ……俺がこうしてただ走ってる今この時も、あいつに抱かれてるのか……)

込み上る熱で汗ばみ、桃色に染まる柔らかな肌。触れる度に漏れる甘い声。快感に必死に耐える色気のある表情と熱い眼差し。

不意に、彼女の姿が鮮明に蘇り、雄飛は思わずハッとして息を飲んだ。忘れかけていた彼女の温もりや感触が次々に蘇る。

「ああっ……!イオ……っ!」

耐え切れず、雄飛は走りながらも、思わず声に出した。

(俺、最後にイオに触ったのいつだ?もう思い出せない……)

頬を伝うのが汗なのか涙なのか分からなかった。雄飛はマシンのスピードを更に上げ、夜が明けるまで走り続けた。まとわりつく彼女の温もりや感触を振り切るように。

一方、イオはほぼ毎日、ハレーの手によって彼の部屋に押し込められていた。昼夜問わずハレーに求められ、体力の限界だった。しかし、自分よりも遥かに大きく、支配力を持っているハレーに逆らえるはずもなく応じるしかなかった。

行為後、隣でぐっすり眠っているハレーの顔を見ながら、イオは雄飛のことを思い出した。薄れ行く意識の中、愛おしい笑顔が浮かぶ。

(雄飛、会いたいよ……)

ひっそりと涙を流しながら彼女は深い眠りに落ちていった。センターの中は明らかに殺伐とした空気が漂っていたのだった。

そんなある日、新しくイオの担当になった宵月暁子から水端流に緊急の連絡が入った。報告を聞くと水端流はすぐにセンターへおもむいた。会議室には雄飛と彗が呼ばれた。

「今日は二人に残念な報告をしなければならない。イオの生殖機能に問題が見つかった。宵月くんが詳しく調べた結果、子供は産めないということが分かった」

「そ、そんな……」

第一声を発したのは彗だった。雄飛は言葉を失い、絶望的な顔で押し黙っていた。

「原因はこれから調べるので少し時間がかかるだろう。その間、イオにはしばらく静養してもらう。実験は一旦中止にする。悪いが、お前達の方からイオとハレーに伝えてくれるかね」

「はっ……?」

雄飛は思わず顔を上げた。

「俺は今、イオとの接触を禁止されてるはずですが?」

すると、水端流は淡々とした様子で言った。

「実験は中止だと言ったろう?それならばハレーに気を遣う必要はもうない。お前達は自由だ。会うなり話すなり好きにするがいい。ああ、それと宵月くんと協力して、原因の追求も頼む」

「なっ……?!」

雄飛は驚愕きょうがくした。

(こいつ……イオが使えないと分かった途端、手のひら返したぞ……)

頭に血が上り、思わず拳を握り締めた。が、何とか堪えた。水端流は身支度を整え、コートのえりを立てると言った。

「では、私は失礼する。これから大事な会議があるのでな」

そしてきびすを返して去って行った。父親の後ろ姿を見送りながら彗が申し訳なさそうに言った。

「雄飛くん……父が色々とごめん」

「いや、いいんだ。とにかく二人に伝えに行こう」

雄飛は何とか怒りをしずめてそう言ったが、正直なところ、二人とは顔を合わせたくなかった。

(どうせまたハレーの部屋にいるんだろ……)

ハレーに求められ、甘い声を上げるイオを想像し、雄飛は怒りや嫉妬が入り混じった複雑な感情を抱いた。胸の奥がモヤっとした。ハレーの部屋の前に立った雄飛は耳をそば立てた。

「ゆ、雄飛くん、何してるんですか?」

「何って、二人が真っ最中だったら気まずいだろ?」

「ああ、まぁそうですが……」

彗はそう言って顔を赤らめた。しばらく中の様子を伺っていたが、何の音もしない。雄飛はドアを叩いた。

「ハレー、開けてくれ。大事な話がある。水端教授からハレーとイオに伝えるように頼まれたんだ」

しばらくして、中からイオが顔だけを覗かせた。わずかに見えた彼女の肩は露わになっていて、二人が行為後だということを悟り、雄飛は苛立ちを覚えた。

「ゆ、雄飛……?ハレーは今寝てるんだけど」

「起こしてくれる?悠長ゆうちょうに寝てる場合じゃない」

「ど、どうしたの?何があったの?」

雄飛は更に苛立ち、イオを押し退けて部屋に入り込んだ。イオは驚いて、下着姿を両手で隠しながらドアの影に隠れた。ベッドの上では大男が全裸のまま豪快ないびきをかいて爆睡していた。

「ハレー、起きてください。大事な話があります」

彗がハレーを揺さぶった。しかし、起きる気配はない。雄飛は舌打ちをするとハレーのオレンジ色の髪の毛を無造作に掴みながら叫んだ。

「おい!起きろって言ってんだろ?!いつまで寝てんだ!!」

ハレーは目を覚ました。そして、雄飛の顔を見ると思い切り眉をひそめ、顔を歪ませた。

「……なんで貴様が俺の部屋にいる?」

「水端教授から君達に伝えてくれと言われたからだ。俺だって好きで君の部屋に入ってるんじゃないよ」

「チッ……で?水端は何っつってんだ?」

雄飛は一瞬、躊躇ためらった。事実を告げれば間違いなくイオは傷つく。しかし、自分が言わなければ……イオをこの大男の魔の手から解放するためにも。雄飛は意を決して言った。

「イオの生殖器官に問題が見つかって、子供が産めないことが分かった」

その瞬間、イオが床にへたり込んだ。いつの間にか洋服を着たようで、白いセーターとストライプのスカートを身につけていた。ハレーは目を丸くしてしばらく押し黙っていた。彗が遠慮がちに続ける。

「ハレー、申し訳ないけど実験は中止です。イオはこれから原因究明の為の検査と、静養しなければならないんです」

すると、ハレーはクックっと笑いながら言った。

「どうりで……おかしいと思ったのさ。この1年間、毎日オレとイオは朝から晩までヤり続けた。だが、一向にガキができる気配はねぇ。……そうか。実験なんぞハナから無駄だったわけだな」

「おい、そんな言い方ないだろ」

雄飛は今すぐハレーをぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。しかし、うなだれて泣いているイオの姿を見てグッとこらえた。そして、彼女の元へ行こうとしたその時だった。

ハレーはベッドから降り、イオの元へ歩み寄ると、うなだれている彼女の髪の毛を鷲掴わしづかみにして乱暴にその顔を上げた。

「イオ、オレはお前を愛していた。だからこそお前にオレのガキを産んで欲しくて、毎日お前を求めた。だがな、ガキが産めないとなると話は別だ」

イオはハッとした表情を浮かべた。ハレーは低い声で静かに言った。

「お前にもう用はねぇ」

それはまるで深い闇のような目だった。自分に対する失望――イオはそれを感じ取った。

「ハレー、そんな……」

イオのブルーの瞳から大粒の涙が溢れた。ハレーはイオの腕を掴んで無理矢理立たせ、開いたままのドアへ向かった。

「この役立たずめが……!」

そして、吐き捨てるようにそう言い放つと、彼女の背中を蹴り飛ばし、部屋から追い出した。

「ハレー……お前……!」

怒りのあまり雄飛はハレーに向かって拳を繰り出した。しかし、武闘派の大男に敵うはずもなく、またもや返り討ちに合い、床に叩きつけられた。

「雄飛くん!」

彗が慌てて駆け寄った。ハレーは二人に向かって鬼のような形相で叫んだ。

「お前らもだ!死にたくなけりゃあ、さっさとここから出て行け!」

怒りに顔を真っ赤にするハレーを見て、彗は小声で雄飛にこう言った。

「雄飛くん、今すぐ出ましょう。グズグズしてると僕たち、本当に殺されるかも」

そして、自分より大きな雄飛の肩に腕を回し、必死にハレーの部屋から退散したのだった。
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