その悪魔、優しいけれど、恋を知りません

雨宮澪

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第6話 私達は恋をしましょう

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 いつだっただろう。友達の基準ってなんだろうねって、そんな話を慎太郎とした。
すると慎太郎はこう言った。

「友人に限らないかもだけど、自分をちゃんと必要してくれる人のそばに、いたいよな……なんかそのほうが、幸せな気がする」

 浜辺に千夏と慎太郎はいて、波の打ち付ける音が勢いよく聞こえていた。うるさいくらいだった。けれど、その言葉は妙にはっきりと聞こえ、そして千夏の頭に残っていた。

 千夏はどうしようかと思っていた。紫紋の言葉に揺れる自分がいる。けれど相手は人を堕とす悪魔で、しかも恋人ごっこをしろなんて話、すぐに飲み込めるわけがなかった。

「ちょ、ちょっと考えさせてください……安直に判断出来ないです」

 その言葉に紫紋は静かに頷いた。

「当然です、唐突な話ですから……もし、返事が決まったら、いつでもいい……仕事の時間以外でも私の家においでください」

 無理強いも好きではないので……。
紫紋の言葉に、この悪魔は本当に優しいのだと思った。
いくら魔力や催淫が効きづらいとしてもまるで効かないわけじゃないし、無理やり言うことをきかすことも実は可能……という気もする。けれど紫紋は千夏の心の扉に、ノックはしても、押入ろうしなかった。紳士的であるし……それ故に、ちゃんと考えて態度に示すべきだと思った。
 千夏は一礼する。胸のあたりをぐっと掴む。どうしようかという思いのまま、話は後日に持ち越された。

 数日が経とうとしていたが、千夏は判断を決めかねていた。心が定まらない……どっちが得とか考え出しても、合理的に導こうとしても、感情で決めようとしても、決断がくるくると入れ替わる。

「講義があんま頭に入らなかった……」

 千夏は深くため息をついた。千夏の学科は先生が温厚であるが、授業の難度は高く、とくに休むと決定的に話がわからなくなるので、どの講義のときも、集中力をとても使う……という特徴があった。好きな学問の学科なので、いつもだったら苦労なく集中モードになるのだが、紫紋の件で悶々としていて……今日はあきらかにやばかった……

「早く決めなきゃ、決めなきゃ……」

 まるで呪文のようにつぶやき出す、千夏の肩がとんとんと叩かれた。

「ひにゃっ!」

「猫みたいな鳴き声上げた……」

「千夏、大丈夫ー?」

 慎太郎と香奈が並び立って、千夏を見ている。二人、共通してるのは、びっくりした顔だ。
このタイミングで会うとは……千夏はなんとなく複雑な気分になる。

「いや、大丈夫……一応……」

「なんかぶつぶつ言ってて、どうしたと思ったけど……」

「大したことじゃ、ないよ……それより慎太郎……」

「ん?」

「聞いたわよ、香奈と付き合い始めたんだって」

「んんっ」

 千夏に知られていないと思っていたのか、息のつまる音が慎太郎から聞こえてきた。
香奈は千夏が笑うと、釣られるように小さく笑った。

「ごめん、それ……香奈が言ったんだ。慎太郎、千夏に笑われそってなぜか言わないから」

「だって、千夏、俺が彼女いなかったの……デスヨネーみたいな顔で見るし、いても疑われるかと」

 失敬な……あまりに女気がないから、慎太郎も自分と同族……つまりは恋に破れる&付き合い失敗し続け民族かと思っただけだ。

「まあ……慎太郎の口から聞いたら、ちょっと、疑ってたかもね」

「んんー、じゃあ、香奈の口から言って、わりと正解……?」

「かもな」

 慎太郎と香奈は顔を見合わせて笑いあった。
その瞬間、千夏は感づいてしまった。
二人の間に空気が出来ていることを……こんなに周りに人がいて、目の前に自分もいるのに
二人だけの空間がさらりとできている。それはかつて千夏と慎太郎にあったはずだが、どうやったら取り戻せるか……千夏には分からなかった。胸の奥がきゅっと痛んだ。

 時間の経過がそれほどなかったはずなのに……もうかつての関係でないのだ。仲良しの友達……それ以上でも以下でもない。だとしたら友達としてやることはなにか……千夏だってそれくらいわかっていた。

「もうー、なにさらっとイチャついて……」

「何を急に」

「そ、そんなことないよ」

 あたふたしだす二人をニコニコとほほえみながら、千夏は言った。

「仲良しさんねぇ……というか、そろそろ四限じゃない? ふたりとも間に合うの?」

「やば、じゃ、またな千夏」

「今度飲みにいこうね!」

 二人は一生懸命、校舎にむかって走り出す……香奈が慎太郎より一歩足が遅く、慎太郎は彼女を助けるように手を伸ばしていた。
 あーあ、なにあれ、かっこいいじゃない……と千夏は唇を噛む。

 二人には幸せになってほしい。心の底から願っている。だけど同時に、千夏は自分の手を見た。

「私も手をつなぎたかったな……」

 頬に一筋、涙が流れた。

 モノガタリのお姫様はいつだってハッピーエンドを迎える。
なぜなら王子様はかならず、お姫様を見つけ、お姫様を愛し必要とするからだ。
もし、モノガタリに登場しなくても、王子様に恋するものが別にいたらどうだろう……
お姫様の友人であったり、姉妹であったり……恋に破れたその子の幸せがどこにあるのか。

 千夏にはすぐにその答えを見つけられない……けれどかつての慎太郎の言葉をヒントにするなら……。

 千夏は夜更けに快く迎えてくれた紫紋に会うなり、こう言った。

「紫紋さん……あなたの恋人になります、ごっこ遊びでも……私を必要としてくれたから」

 紫紋は驚いた様子だったが、深く喜びを感じたのか、頭(こうべ)をたれた。

「ありがとうございます……私なりにがんばります……だから千夏さん、恋を、しましょう」

「なんだか、変な感じがする話ですね……恋人になってから、恋を始めるなんて……」

「たしかに」

 くすくすと千夏と紫紋は笑い合う。紫紋は頭をかしげて聞いてきた。

「千夏さん……私とまず何をしましょう……あなたのためになにかしたいんです」

「なにか……」

 紫紋の言葉で思いつくことが一つだけあった。千夏は照れくさそうに言った。

「私と手をつないでくれませんか?」

「もちろんですよ」

 紫紋は疑問を浮かべることなく、素直に頷いた。そして優しく、千夏と手をつないだ。
互いの指が深く絡み合う。悪魔というと、冷たい手のひらなのではと勝手に思っていたが
紫紋の手は存外温かかった。

 千夏は紫紋の熱を感じながら、少し救われた気がして、目をつむった。
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