その悪魔、優しいけれど、恋を知りません

雨宮澪

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第12話 こらえられない

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 千夏は好きなものは好きだが、とてつもなく好きになったということはない。
人間関係ではとてつもなく好きってあるかもしれないが、映像作品、ドハマリしたことがないのだ。しかし今、彼女は、ドハマリしたもの達の集会に身を投げ出したことに気がついた。

「というわけなんですよ! わかります!! ヨハンって、ここで何かを言いかけて、でも去るじゃないですか。今の彼の立場ではリーアをどうにも出来ないんですよ、そこで何かを言うって、無責任ってわかってるからこそ、ここで何も言わないんです!」

「ここの情景が夜中で周囲は何も見えない……まさに映像的にも象徴されていますね……泣ける、エモい……」

「音楽もなく、環境音もほとんど聞こえないところが、見えない緊張感を感じさせる……ちょっと興奮しすぎて、水、水……」

 ……すごいところに来ちゃったんじゃないか、これ。
千夏は用意されたお茶を飲んでいた。もう最初から映画考察会は、熱のこもった答弁が繰り返されている。二時間もだ。きっと、この熱を共有できたら楽しいんだと千夏は理解しているが、どうにも共有しきれない……そして一緒に来るといった友人はトイレから三十分以上帰ってこない。
 
 あせあせしそうな状況、それと同時に千夏の心はどんどんと沈んでいった。まだ通常時だったら、この状況を楽しもうと頑張ると思う。努力はするタイプだ。だけど、余裕がない自分に気がついた。自分はもっと、もっと、自分の心に向き合うべきだったじゃないかと。

 紫紋のことが頭から離れないのだ。

 部長と名乗っていた男が時計を見て、あっという顔をした。

「というわけで、考察はつきませんでした……しかしみなさんの、熱い考えに僕はとても感動を覚えています」

 終わりの挨拶かと、こっそり胸をなでおろす千夏がいた。しかし部長はこう、つづけたのだ。

「さて、この議論は居酒屋で話しましょう、駅前、予約してます」

「え」

 思わず声が出た。映研部員は不思議そうな顔をする。
あれ、行くでしょ、行くよね、当然だよねという圧を映研部員から感じて、千夏は何も言えなくなってしまった。友人はトイレじゃなくて、家に帰ったのだろうなと理解する。千夏は心底嫌な気持ちになって、ぐっと唇を噛む。何をやっているのだろうと肩が落ちた。
 おかしなことをする人たちではないと分かりつつも、このノリについていけない……特に今日はと、会場になっていたサークル棟を出る。
すると、そこに紫紋がいた。映研部員も、見慣れない美丈夫がいることに驚いた顔をする。
 千夏もあっと声が出た。

「し、紫紋さん……どうしてここに」

「千夏さん、お迎えに参りました」

「お迎え……?」

 困惑する千夏の後ろで、映研部員が「飲み会にいくのでは」「そうですよね」と騒ぎ立てている。
おそらく外部から人が来るということが少ないがゆえに、千夏を離したくないのだろうと推測できた。
紫紋は穏やかな顔のまま、こう言った。

「いえ、彼女は帰りますよ……車も用意してますし」

 そう言って、紫紋の目が細くなった瞬間、一瞬瞳が色味の濃い紫色になった。
その視線を当てられた映研部員は……

「ハイ、そうですね……俺達だけで飲むか」

 まるで大人しくなった犬のように従順に、駅に向かって歩きだしていった。
千夏のことなど眼中にないようだった。その突然の心移りに、目を丸くする。
紫紋は千夏にいたずらっ子のように微笑みかけた。

「ちょっとだけ、悪魔っぽいことしちゃいました」

 千夏さんを私のもとに帰したくて。

 なぜだろう、悲しくもないし、むしろ嬉しいのに。
心が高鳴るくらいなのに。泣きそうになってしまった。
多分、ホッとしてしまったのだろう。

……私、本当に紫紋さんが、好きだ……

 こらえられない。
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